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【24歳 癌闘病懐古録#7】
ご無沙汰しております久しぶりの回顧録更新です。
というのも大変嬉しい事に美容師忙しい😌
美容師って本当に楽しい。
改めて当たり前に日々を生きれてる事を本当に嬉しく思います。
さて、さて、
いよいよ始まるBEP療法。僕と癌の約210日間の戦争が始まります。
BEP療法開始
7月12日。
長い闘いの火蓋が上がった。
僕が施される治療はBEP療法。
ブレオマイシン、エトポシド、シスプラチンと呼ばれる3種類の抗がん剤を使って行う。
1クール凡そ3週間。
その後1週間のインターバルを経てまた次のクールを施していく。
先ずこのブレオマイシンの副作用で肺機能の低下がみられる。
めちゃくちゃ詳しい事は難しいので分からないが、患者が分かっとけば問題ないレベルで話すと
酸素を取り入れれる量が減るわけだ。
因みにこの機能は一度下がるともう二度と回復しない。
且つ肺疾患の副作用の可能性もある為
治療の度に毎回検査を行う、そのくらい慎重に行っていく治療法である。
さて、抗がん剤というものはずっと投与しておくものではなく、
数日間投与し、その後副作用が収まるのを待って続きをやっていく。
使う抗がん剤によりけりだが、
今回行うBEP療法は先にエトポシド、シスプラチンを投与して、その後2回に分けてブレオマイシンを投与していく流れである。
正直エトポシドの副作用はそこまで強い記憶はないがシスプラチン。
こいつは本当に気持ちが悪くなる。
吐き気とも違う、具合が悪いとも違う、
心の底から気持ち悪くなるのだ。。
ただ、このシスプラチンは回数を重ねてくにつれどんどん副作用が酷くなってくものだから、
最初投与時はまだそこまで酷くなかった。
だからこそ本当に辛かったのはブレオマイシン。
僕はこいつを許せねぇ、マジで。
そのくらい辛い。辛かったのを今でも鮮明に憶えている。
ブレオマイシンと夜明け
初めにあるのは圧倒的”悪寒”
寒い寒い寒い寒い
寒い寒い寒い寒い寒い寒い寒い寒い寒い寒い寒い寒い寒い寒い寒い寒い寒い寒い寒い寒い寒い寒い寒い寒い寒い寒い寒い寒い寒い寒い寒い寒い寒い寒い寒い寒い寒い寒い寒い寒い寒い寒い寒い寒い
これが俗に聞く寒いのゲシュタルト崩壊である。
投与してから凡そ30分位してからソイツはやってくる。
急激な寒気。
上がる体温。
指すのは40°
身体の節々は痛く、真夏の病室で掛け布団を3枚長袖、長ズボン、靴下を履いての完全装備でもまだ寒い。
震えが止まらない。
身体が言う、異常事態だと。。。
発熱だけならまだ良い。
本当に恐ろしいのはこれからだ。
その後必ずやってくる。
頭を内側を骨と皮膚の間をムカデが這い回る様な
”激痛”
それはとても経験した事ない頭痛。
身体はのたうち回り、寝る事すら許されない
そんな頭痛。
頭痛薬は3種類あった。それを点滴で流し込む。
人間が持ちえる最大の効果を持った方法だ。
1つを打つ、眠りに着く。
15分後には目が覚める。
痛い痛い
痛い痛い痛い
痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い
そして思う。
いっそ、いっそ、
いっそ殺してくれ。
それをもう一度繰り返し、
3種類めの痛み止めで漸く眠りに付ける。
汗が引き、
熱が38°まで下がり、
目を覚ます。
時刻はまだ月明かりが顔を除く天井を指す時間だが、
僕にとっては夜明けも同然だった。
ビショビショの布団と服を替える。
少なくともあと2回僕はこれを耐えなければならない。
人間とは愚かで浅はかで、
生きる為の必死の治療なのに。
殺してくれと願う。
強欲で薄情だな僕は。
そんな抗がん剤治療の洗礼を受けた1クール目.
抗がん剤治療でひとつ言えるのは、、
クールダウン中の期間をどう過ごすか、これに尽きます。
では、また次回の回顧録で。
篠原 大也.