山口新聞 東流西流 #6「アートが成り立つ条件」
山口新聞の担当の方から了承をもらい、こちらのノートへ転載していく。
#6 アートが成り立つ条件
先週まで、マネやデュシャンによる歴史を揺るがした作品が、発表当時においては必ずしも評価されていなかったことを述べました。それは、アートの評価基準そのものを揺さぶったため、評論家がどう評価すれば良いのか分からなくなってしまったためです。しかし時が経ち評価基準が醸成され、現代ではマネやデュシャンは大きく評価されています。
アートは難しいといわれる理由を探す本連載においては、今日的な問題も考えたいと思います。歴史の中には、アーティストの表現を何かしらのプロパガンダ(扇動的広報)に応用してきた史実があります。また現在も、観光の目玉としてアートを活用する地域おこしも見られます。これらは「○○のため」という目的をアートに担わせています。
しかしアートは本来、誰か他人の要請に従うのではなく「過去の表現を乗り越え、その時の必然に従う」という儚い理由で成立している脆い存在です。私たちは学校での教育やテレビなどの情報を元に「作品は作者の意図を代弁する」という前提をあまりにも強く鵜呑みにしています。なのでどうしても美術史や文脈が大切な手がかりに見えてしまい、結果的に「アートには専門知識が必要」と信じてしまっているのです。
次週の最終回では、鑑賞に際して専門知識よりも大切なことをお伝えします。