山口新聞 東流西流 #4「文脈を断った絵画」
山口新聞の担当の方から了承をもらい、こちらのノートへ転載していく。
#4 文脈を断った絵画
前回はニューヨークMoMAのアート鑑賞メソッドについて紹介し、作品を語り合う創造性の話をしました。
作品鑑賞の現場で「私はアートは詳しくないので…」といった声を聞くと、アートは知識を持っていないと楽しめない?という問いが生まれます。いや、そんなことはない、というのが先週の話でした。知識という外部から借りてきた言葉ではなく、作品そのものを良く観察し、自分の言葉を紡ぐことが大切なのです。
しかし、かつてのアートは、外側に様々な文脈が絡まった、知識でがんじがらめのものでした。宗教画なら神の世界、肖像画なら時の権力者の物語を語るために描かれたのです。これを打破したのがエドゥアール・マネだと言われています。それまで宗教や権力という理想化された世界が描かれていた絵画に、現実の裸体の女性や、鼓笛隊の少年など、文脈のない、いわば普通の人々を描いたためです。
そこで困ったのが批評家たちでした。知識をあてにした批評ができなくなった画壇は紛糾し、マネは嘲笑されました。しかしこのことで、物語や文脈に拠らない、画家の動機や絵の内容そのものに焦点が当たりました。結果としてマネは印象派の指導者、先駆者と目されるようになったのです。何かのための作品ではなく、芸術としての自立性が着目される起点となりました。