あいちトリエンナーレ2019 コーディネーター×会田大也 座談会
収録日:2019年10月24日
参加者:
[コーディネーター]
野田智子
近藤令子
谷薫
松村淳子
山口伊生人
山口麻里菜
[キュレーター(ラーニング)]
会田大也
※ 本原稿は、あいちトリエンナーレ2019 ラーニング報告書 に掲載された座談会の未編集元原稿になります。報告書には紙面の関係でカットされた内容なども含みます。(約15000文字)
––今回の経験を経て、新たにつくられた理想とは?
会田|理想というのは常にどこかにあるわけだけど、その理想に向かって、現状とのギャップを埋めるのが仕事ということになります。 これまでみたこともないようなことに遭遇すると、その理想が更新されるのが人間だと思う。今回の経験を経て、新たにつくられた理想ってなんだろう?ということをみんなに聞いてみたいです。その理想の変化について話してもらうことで、思考のプロセスというものがあぶり出されるんじゃないかなと。今回の仕事に関わって確信に変わったっていうことがあるから、そういった話を一人一人に聞かせてもらえたらいいなと思ってます。
近藤|普段関わっているアートラボあいちの活動を服部浩之さんと取り組んでいるというのもあるのですが、今回のラーニングに関わることで、さらに「育っていくこと」に興味があります。特に会田さんやみんなと一緒にやっていくことで、さらにこう具体的な理想に近づいていると思っていて。去年行った人材育成のプログラムもそうだし、今回のサポートスタッフも、そして来場者の人たちも、その方向に関わることでいろんな種がまかれて、それが芽吹いて育っているっていうようなことが目に見えて実感できたなと。
会田|手応えあったよね。
近藤|それは自分がなんとなく漠然と思い描いていた理想というものが、現実的にちょっとつかみ始めたみたいな。自分が次に何ができるのかっていうところを考えていかなくちゃいけないんだろうなって、すごく簡単にいうとそんな感じです。仕事を始めて約10年経ってきた中で、育てられる側から育てる側に、どんどんシフトしているという意識を持ち始めている。それが理論的な何かを学んでいるわけではないのだけど、ただただ日々仕事をこなしていく中で発見できている。でもそれをもうちょっと個人の理想に戻すと、理論的にもう少し勉強するなり、またいろんな人と一緒に仕事をしていくことで、それをもう少し言葉にして誰かに伝えていくことができるといいなと思っていて。
会田|論文だね。
近藤|論文はどうかな。でも、細かく見ていくと、例えば、野田さんが麻里菜さんと昔から一緒に仕事してて、それはたぶん麻里菜さんのことを昔育てたんだと思うんですよ。それで一緒に今回一緒に仕事ができて、それを私が受け取ることができている。その他に谷さんも、伊生人さんも、松村さんも、今回のことでいろんな発見をしてるだろうしいろんなバックグラウンドを持っている人たちとともにあることの面白さを今回の活動を通して見えてきたってことは、いろんな視点みたいなものを広く取り入れることの重要性みたいなことも知れた。それは今後の自分の理想像を作ってく上でもすごく良いきっかけになるんじゃないかって思っています。
会田|アート業界と縁が遠い人とかと一緒に仕事をする興味が湧いている状態かなと思いますね。
近藤|だと思います。トリエンナーレスクールとかも本当にそうだなと思っていて。池田 さんとかね。結局、トリエンナーレスクールに来て、ガイドボランティアにまでなって。彼と話してると本当に別の視点からこのアートの業界を見ることにつながるし、いろんなことに疑問を持つこともそうだし、それを面白がることもそうだし、それを外に伝えていくこととか。しかもそれができる環境を今後つくっていきたいと思っていて。
会田|まぁ、アートセンターとか、アートなんちゃらとかって言っちゃうとね。アート好きだけが集まっちゃうからね。そうじゃない人がどんどん入り混じる場所っていうのがいいよね。
近藤|あと、やっぱ立場を主張しないっていうか、特に立場を主張してこなかったなぁと思っていて。アート・プレイグラウンドの活動中に「ボランティアさん大変ですね」とか言われても「私はスタッフなんです」みたいなことではいなかったし、受け取る人にとっては、そこは関係ないなっていうのをすごく思ってて。だから、生身でめちゃめちゃ今回立ち向かったなっていう気はしてるから、そこで得たものもすごく多かったと感じています。
会田|面白いですね。じゃあ次の人を指名してください。
近藤|じゃあ谷さん。
谷|うん、そうですね。紫 T シャツは面白いなと思ってて。
全員|(笑)
谷|最初に紫シャツ着るのとか「ダセェな」とか思ってたんだけど。なんか、それはちょっと違ったなと途中で思って。それは近藤さんが言ってたことと似てるんだけど。来た人にとってはその立場はどうでもいい、まあ、スタッフだとわかるようにそれを着るって自分たちで決めて、紫シャツを着ている。本当はコーディネーターとかファシリテーターとかどうでもいいというか。時間が経つほど「なんか紫 T シャツ着よう」と思って着るようになったっていうのがありました。
会田|意味がかわってそうですね。
谷|そうですね。今、近藤さんの話に出てきたんで、その自分の変化が面白かったことを思い出しました。自分のやりたいことというか、いつもやっていることって、そんなに強く野望を持って生きてるわけじゃないから。結構流れで仕事をやらせてもらってるけど、でもこれくらいの歳になって、やっている道筋が勝手に見えてきたりするものだなあ、と思ったりもして。もともと作品をつくっているっていうのもあって、作品作りのモチベーションが自分を表現するみたいな事もあるけど、なんだかんだいって、みんな人を変えようと思ってるよねって。表現するっていうことは、何か影響を与えるということでもあったりして。その時にだいたいアーティストは、もっとみんながアーティスティックになればいいのになぁみたいなことをいうことが多いと思ってて。ラーニングっていうのは、そういう意味では個人の作品をつくるのではないかもしれないけど、より具体的に「創造させる場」をつくっていくということをやっていたと思うんですね。しかも、それが誰かの作品という話ではもちろんなくて。みんながこう、どんどんぐちゃぐちゃに混ざっていくみたいな場をつくっていることに関われたのは、すごく面白いなと思って。
会田|よく分かる。少し世代が上のアーティストなんかはワークショップをやるでも何でも、アーティストっていう署名が必要みたいな。僕はそれよりは少し後ろの世代だから「俺がやった」っていうことに、なんないようになればいいのになっていつも思ってるんですね。今回のラーニングとかも、誰がやったっていうことにならないかたちになっていくといいなっていう。作品名だけが残って署名がなくなっていく。署名がなくなっていった方がいい理由は、署名をする人が死んじゃったら残らないっていう感じがするからだけど、みんなが自由にそれに影響されて似たようなもの、もしくはもっといいものをつくれる人だって全然出てくると思うから、そういう人たちが簡単に受け取ってバトンを勝手に引き継いでくれるようなかたちになるのが理想的ですね。よくよく考えてみたら、みんな誰かの影響を受けてやっているわけだからね。署名をすることによって、それが消されちゃう。
谷|そして一人一人はやっぱり、みんな作品を残したいなとかそういう欲望もあって。なので駆動していくんだなっていう。それが「全体」になると良くなって見えてくるみたいな、そういうプラットフォームを作る。まあ、めっちゃアートっぽいちゃアートっぽいんだけど、面白かったなっていう感じですね。
会田|ありがとうございます。じゃあ次の指名を。
谷|じゃあ伊生人さん。
伊生人|はい、そうですね。ちょっと理想には届かなかったなっていうのが正直な気持ちです。で、その理想はなんだというと、最初の理想は、全然アートとか関係ないし、トリエンナーレも見てない、みたいな人に来て欲しかったし、豊田だったら外国の人とか、外国籍の人とかにももっと遊んでほしかったというのがあったけど、実際には、基本的にはほぼ作ることが好きな人が集まって、その人達と遊んでいることにエネルギーを費やされちゃったかなっていう気はするんです。だから、リーチしたかったところまでにいけなかったっていうのが、正直なところです。
会田|「マニラドラゴン 」の人に来て欲しかったね。
山口い|例えば普段家で絵を描いているのが好きなブラジルの人だって絶対いるけど、そういう人にまで届いてないし、たぶん届かなかった。もっとアピールするようなことをしても、キャパが狭すぎて入りきれない。入場制限で終わっちゃうというのが課題だったというのがあります。ただ、入ってきた人たちは常連さんがいてくれたり、機械を使いこなそうと一生懸命頑張ってくれる人もいたり、出てくるメッセージも想像していたよりは多様性があって、色んな言葉が入ってきたっていうのに感動した。何ていうのかな、椅子をデザインするっていうと、大体の人は脚が四つあったりとか、座面が丸とか四角だったりして終わるんだけど、メッセージの場合、たくさんのバリエーションがあって、それがすごく良かったかなと思います。あとはワークシートに消したり書いたり、消したり書いたりする人たちがいて紆余曲折がが見えたのは結構面白かったですね。あと、そうですね、僕は、個人的な自分の理想像は「歩くリベラルアーツ」みたいになりたいので。そう考えると…
会田|どういう意味ですか?
山口い|僕からしたら、それはヘボ をやっているおじさん達が、僕にとっての理想で。
会田|なるほどね。
山口い|彼らは、そんな大した専門家じゃないんですよね。だけど、身の回りのことで、自分のやりたいことは自分でつくる、みたいなタイプなんですよね。頼むくらいなら自分でやる、専門家じゃない所がすごく良くて。で、今回はマネジメントするということで、そういう部分もいっぱい学べたっていうのもあるし。かつ、来場者の人にも自分のメッセージを考えてくださいよっていうところが言えたのが良かった。僕の一番の理想は、それぞれのエキスパートがパーツとして何か一つの事業を組み立てるっていうよりは、あれもこれもできる人が関わって、色々混ざりながらこの人がこっち行ったり、この人がこっち行ったりとかもできるような組み合わせで、むにゃむにゃしながら何か世の中動いていくのが理想なので、そういうのが担当する「しらせる」っていう場で関われたのが良かったなと思います。
会田|遠藤(幹子)さんといっしょにザンビアに行くしかないですね。
山口い|それはめっちゃ行きたいですね。
会田|なんか彼らは「自分の手で家建てられないの?かわいそうだね」って、日本人のことをいってたんですね。
谷|ほんとだよね。
会田|家の材料とかどこで買うのって聞くと、その辺の土を指して「それでレンガ作るんだよ」みたいな。
山口い|それがいいと思う。
会田|震災で避難所生活をしてる人たち、個別の家に暮らせない状況の日本人を見て愕然としたっていう、遠藤さんのエピソードですが。住む家も自分で作れないのか?ってザンビアの人に聞かれたという。
谷|まず作れるべきものなんだね、家って。
会田|衣食住の中で、食くらい?いや、食ですら外注になってるからね、今。自分の食べるパンすら作ったことない。買わなきゃいけないわけだよね。
山口い|そういう意味では、参加できてよかったですね。
会田|理想としては、じゃあ、次やるなら、いろんな人が来る場づくりということですね。あと人数制限もしない。
山口い|そうですね。
会田|しないためには、たくさんスタッフを雇うとか、そういうことですよ。そこリベンジして。もしくは長時間やるか。あとは場所がまち中が良かったのかな。
山口い|そうそう、そうですね。
会田|「マニラドラゴン(フィリピンパブ)」の昼間にやってる、ぐらいの感じが一番良かった。夜になったらパブとして営業するけどお昼は違うことやってるみたいな。
山口い|ちょっと細かい話ですけど、豊田市美会場の展示見終わったら、高嶺格作品か「しらせる」なんですよ。大体作品の方に行くんですよ。こっちは知らずに来てしまう人。あとは、動線的にいきなり「しらせる」からスタートする人も結構いた。そこで僕たちが「作品見た感想とかメッセージを考えて…」というと「え?」みたいな。「まだ見てない、ここじゃないんですか?」みたいなことを言われる。あと、クリムト見終わって高橋節朗館も行こうかなっていう、おばさま方が「ふ〜ん」スッ〜って入ってくるタイプ。
野田|おばさま方も何かつくりたいんだよね。
山口い|おばさまたちは少しは来たけど、やっぱりあのどうしてもキャパが足りないから、入れられないっていう。あとは、場所が複数あるとかだと最高です。
会田|「マニラドラゴン」と豊田市駅、あとなんかちょっと北?とか。わかんないけど。
野田|複数会場あったら伊生人くんはどこにいるんですか?
山口い|俺は「マニラドラゴン」がいいよね。
野田|では、どんどんいこう。では次の方、指名してくださいね。
山口い|じゃあ、麻里菜さん。
山口ま|今みんなの話を聞いてても思ったし、参加して得たものはアートに関わる人達の中でも、「人」の部分に興味がある人は面白いなって。っていうのが、キュレーターミーティングのメンバーの中でも、ラーニングのチームの人って面白いし、サポスタさんも面白い人が多かった。アートに興味があって、且つ「人」にも興味がある人。来場者に興味があるっていうよりも、人間に興味がある人っていうのは信用できると確信できて良かったなと思います。それが崩れると、アートに関わることを考え直すことぐらいのことだと。
会田|歴史に興味がある人もいるからね。アートに興味がある人の中には。
山口ま|作品に興味がある人がやっぱ多いし、その「人」に興味がある人は、できることの幅も広いし、面白いっていう言葉だけだとちょっと浅いですけど。この人たちを信じるというか、一緒に仕事ができるのがいいなって思いました。アートに関わる中でも、やっぱりこういうフィールドの人たちとの関わり方を探したいなあっていうのが、これから思っているところですね。
会田|そうか、確信に変わった感じですね。じゃあ将来に、麻里菜さんがどんなパートナーと仕事していくかっていう時に、「人」に興味があるやつと組んでおけば間違いないっていう感じがあるんだね。
山口ま|そうですね。あと「つくる」自体も他のところも面白かったけど、やっていて思ったのはすごく充実した時間ではあったけれども、すごく手がかかってる。物すごく贅沢だったじゃないですか。あれだけスタッフもいて、あれだけ手厚くて、無料で。すごく贅沢だったなーってのは思っていて。だからこそできたこともたくさんあるんですけど。次にやることは、もうちょっとサバイバルなことがやりたいなと思いました。ここまで手厚いからできることもあるんだけど、手厚いからこそ、丁寧な対応がされていることで、削がれている力も少しはある気がしていて。それはもうちょっとお互いに試される状況だからこそ、できることもあるんじゃないかなっていう。日常にしていくならその方がいいなっていうのが思いました。
会田|ファシリテーターとかサポートスタッフの介入の仕方みたいなものが、なんかもっと違うやり方があるのかもしれないね。その「サポート」ではないやり方、関わり方があるかもしれないね。
山口ま|そうですね。
会田|僕が関わっている「VIVITA 」は、子ども向けのファブなんだけども、大人の人たちは自分たちで専用のプログラミングツールを子どもたちに使わせながら子どもたちと一緒に開発をしている。開発陣たちが、開発の場自体が子どもと直接触れるような環境になんないとだめだよって言ってて。しかも無料なんですよ。利用者から金を取らないっていうのがスタンス。なぜなら、お金が払える人しか教育が得られないっていうのは間違っているっていう強い信念がって。まずは理想のかたちっていうのを、他の人が誰も真似できない状況まで、ずば抜けてつくってからユニークネスを担保としてお金を集めればいいという考え方なんですね。目先の云々で小銭を稼ぐみたいなことにエネルギーを費やしていくと、理想を得られなくなることになるから、理想を得ない。超贅沢なことを理想として一回やってみたことがあるかないかは全然違う。「もうこんなに贅沢な事ってあり?」みたいな。それはトリエンナーレの価値であるとも思っていて。だから、あの時はあんだけのリソースが割かれていて、だからここまでできたよね、というのが経験としてあって。じゃあ次にサバイバルな方法として、スタッフと利用者の関わり方の設定をどうつくるかみたいなことになるといいよね。トリエンナーレという機会だから、超贅沢をやってみた。その時にそのできる範囲の中で、理想のことをやればいいというのが僕の中にはあったかな。まあ、次はその理想の新しい理想が生まれているはずなので、新しい理想に、どうその場でフィットしていくか試すことで次の課題が出てくるのかなと思いますね。
山口ま|ケアが厚いのは、良いのか悪いのかっていうのをちょっと思ったっていうのがあるっていうことですね。予算があってっていうことよりも、そこが自分で考えるところが増えるから、その部分が本当にしっかり担保されてたのかっていうのが、もっと試される場があっても面白いなっていうのをあらためて思いました。
会田|スタッフの理念の共有のところだよね。
山口ま|そうですね。
会田|やりすぎちゃうと良くないっていうのは、もちろんある。観察を主体とした関わり方っていうか。この人は何を悩んでるのかなとか、何を満たそうとして手を使ってるのかなとか、思考止まってる時は分かるもんね。ただ、時間がないとそれができないんだよね。
山口ま|芸術祭っていう形式の難しさもあるなと思いました。
会田|1年間できるんだったらまた違うよね。
山口ま|テンポラリーな美術館のプログラムとは全然違うし、そこはこのフレームだからっていうところはすごくあるなって。
会田|児童館だとまた違う。
山口ま|全然違うと思う。75日間で、サポスタ研修会も1回だけで、でもそれでもあんだけできるって事は、やっぱポテンシャルがすげーなっていうことなんですけどね。
近藤|その辺はボランティア育成やサポートスタッフも同じようなことが言えて。今回のガイドツアーボランティアは、鑑賞者の人が考えるように投げかけをして、どんどん手を離していくっていうことをやろうとした。そしてサポートスタッフの手厚いサポートを薄く、薄くするんだけど、来場者の満足度が高くなっていくみたいなかたちを考えていくのが、ちょっと面白いなと思いました。
会田|そうだね、なんか手厚いかどうかっていうよりは、その来場者の方の脳みそが回っているか、みたいな基準なんだろうね。来場者の脳みそがぐるぐる回っている状況をどうやったら最大化できるか、みたいな話だね。じゃあ次、あつこちゃん。
松村|はい。みんなの話をすごく聞きながらまとめていたんですけど、霧の中にいるようで言葉にならないんですが。私は達成感と課題と、あと、どちらかというと今は先が見えないなっていう、戸惑いをじわっと感じているところです。達成できなかったことに関して言うと、最初の方に考えていたアイディアの落書きとかを見ると、スタッフが誰かわかんない描き方をしていて。みんなが三々五々話しているという絵を描いてたんですよね。だから、それを見直した時に思ったのが、スタッフと話すというよりは、スタッフは交通整理はするんだけど、来場した人たちが、それぞれ話したい相手を見つけて話しているような、そういうスポットみたいなのが、ぽこぽこ生まれていく状況を作りたかったんだなって。でも、それは初日で無理だなって感じたんですね。多分それはすごく理想で。だって、そもそもそれが生まれるためには、ベースに話したいっていう気持ちが来場者の中にあって。みんなコミュニケーションができて、で「どう思ってます?」みたいに話せる人たちっていう、その前提条件があるから。やっぱり初日に人が来た時に、スタッフがいないと立ち止まって話をしようっていう考えにまずならない。美術館に来て一緒に来た人と話すことはあるんだけど、立ち止まってその場所にとどまって話をするということが全然当たり前のことじゃないんだっていうことに、割と早めの段階で思い至りました。で、このやり方では無理だなと思って、三日目か四日目ぐらいに、そのテーマをちょっと絞って、スタッフが必ず中に入ってしゃべるようグループディスカッションに変えたりとかしていて。来場者が「話す」っていうだけなのに、どうやったらいいんだろうってずっと考えつつやっていたなっていうのがありましたね。
ただ、達成感があるのは、私は作品とかを見たりとか、何かを体験した時に誰かと話すということはとても大事なことだとずっと思っていたから、それが同じように、そういう場所を求めている人だったりとか、そこにたまたま来て体験したことによって、こういう場所がもっとあったらいいのにって、やっぱりそうやって言ってくれる人が多くて。やっぱりああいう場所の必要性は絶対あるなっていう確信を持てたっていうことは、私の中ですごく大きな経験になったなと思いました。
なぜ、私が戸惑っているかというと。ファシリテーターで入っていた遠藤君と私で考え方が違うところだったんですけど。遠藤くんはわりと使命感を持って「はなす」に入ってくれてたんですね。例えば、「表現の不自由」展とかで顕著だったけど、単純にこの作品は自分は好きだとか嫌いとか、いろんな自分と違う意見の人がいるんだけど、そういう自分も違う意見に対しても「はなす」というプログラムに参加することによって、その違いを乗り越えられるとか、相手を受け入れるとか、溝を無くすことができるって。そういう使命感というか、そういう目的をもって「はなす」をやりたいっていうことを、遠藤くんは言ってくれていたんですね。で、私にはその考えはなかったんです。つまり、そうやって「はなす」のプログラムが作用する人もいれば、「あなたはそう思う。私は別にこう思うけど。だからといって私の意見は変わりませんが。」っていう人も、もちろんいるし。攻撃的な形にならなくても、絶対に相手の意見を受け入れられないっていう事も必ずあるから。それはなんというか、触れられない領域というか。それはそれぞれが受け取って考えてくれたらいいと私は思っていたので。遠藤くんとこう話していた時に、私が「はなす」にそういう使命を最初から求めていなかったていう、ズレや無目的感みたいなのがうまく伝わらなくて。目的はあるんだけど、ぱっと見、無目的に見える場所という。それがすごく私にとっては大事なことだったんだけど、うまく伝えられなくてもどかしい気持ちを持っていた。「はなす」では「表現の不自由」とかで、いろんなことがあったけど、サポスタさんとか遠藤くんとかと話してたりとか、高森先生とかと話してる時に、自分で自分にびっくりしたのは、私ってあんまり割と「こうだ」っていう信念があんまりないんだっていうことに、結構気が付いて。
会田|つまり、もっと持ってたってこと?本当はもっと信念があるタイプの人間だと自覚してたっていうこと?
松村|うーん、いや、なんていうかもともとあんまり強い「こうだ」っていうのは思ってたんですけど。あまりにも「ないんだな」ってのに結構びっくりして。例えば「トリエンナーレクソみたいだ」とかその「表現の不自由なんてアート作品じゃない、超つまんね」とか、「はなす」に来るんですよね。河村さんのファンとか、「大村さんなんかアホだ」みたいな人かも来て。その人たちも「はなす」で話していくんです。私は紫のシャツを着てるんだけど、私にも面と向かって「今回のトリエンナーレ、クソだよね」みたいな。そういうおじさんとか来るんだけど、何か別にそれで傷ついたりとか私はしなくて。この人はそうやって思うんだ、と思って「なんでそうやってクソだと思うんですか?」って話し聞いて聞くと「あーなるほどそうなんだ」って言って。「でもこれはどうでしたか?」みたいな感じで、その人達とそれなりに話すことができて。その「トリエンナーレクソ」みたいなおじさんは何回も「はなす」に来てくれて、で「この作品意外と良かった」みたいに話したりとかしてくれていて。ただそのおじさんは他のサポスタさんとも話してて。そのサポスタさんたちは「あの人はアンチトリエンナーレだから話しにくくて」みたいな話があったりとか。その、あんまり何を言われても、自分の心がざわつかないと言うか、傷ついたりもしないし、その「絶対それ違うじゃん」っても思うこともあるけど、なんか「この人を、じゃあこう変えよう」とか思わなかったし。うまく言えないんですけど、こう「絶対この方がいい」とか「こうしてあげたい」とか、こうそういう気持ちがあんまり今回は起こらなかったというか。それを、そういう自分にちょっとびっくりして。私このままで大丈夫かなって思っているっていう感じですね。つまり、その「はなす」に来る人達は、アートが好きだったりとか、あるいは哲学とかに興味があったりとか、あと自分がこうだろうなって思っていることを、本当にそうなのかを確かめたくて話しに来てる人とかもいて。そういう人達って熱い思いがあるし、あのアートってこういうふうに受け取られるべきじゃないのとか、アートを好きになるってこうかなとか、このアートのこの先のことを考えてる人も結構いて。その話を聞く度に、それはすごく理解できるし、そうだそうだって思ったりするんだけど、何ていうんですかね、別に違うなとも思わないんだけど、私自身そういう熱い気持ちが出たわけじゃなかったから。でも、すごく「はなす」のプログラムとかアート・プレイグラウンドには愛があって関わっていたんだけど。すいません、全然言葉にならない。
会田|話を聞くにつれ、これ適任だったなと思ってますけどね。「はなす」に松村さんがいてよかったなって。だって、いろんな人の生の声が来る場所だから全部受け入れてくれないと。なんか排除されたって一人でも出ちゃったら「はなす」を設定したその本義に反すると思うんですよ。まぁ「しらせる」もそうかもしれない。この人はダメとかっていう話をし始めるスタッフがいた時の方が恐ろしいわと思う。
松村|会田さんも時々言ってますけど、理想だなと思うのは、こういう仕事が必要じゃなくなるって言うのが一番大事だと。そう考えた時に「はなす」で話すためのスタッフがいなくなる状況っていうのが理想だなって思ってたんだけど、それが結構なんだろう、理想と現実のギャップが結構大きいなと思っていて。それ、どうしたらいいんだろうってすごく思っているとこかな。
会田|「はなす」なんていう場所がなくても、美術館の中は喋っていいんだって普通に思えて、来場者同士が話し合ってる状況が生まれれば、あんな場いらないわけですよ。それは理想的だし。例えば、最初に言ってたファシリテーターがいなくても、自動的に「あ、ここで話していいんだ」みたいなこと、どっかの国だったら成り立つかもしれないじゃないですか。最初から日本、しかも名古屋という地域でやるからこそ、ファシリテーターの人がいないときっかけがスタートしないということはあるかもしれないですね。じゃあ、野田さん。
野田|いいチームだったなと思いました。私はラーニングプログラムだから今回のトリエンナーレに関わろうと思えたというのが、最初の一歩としてあって。そもそも教育普及というものを信頼してないところがあって。芸術祭の中で教育普及をやる必要があるのか、そもそも誰かがやるものじゃないというか、漠然とした疑問があって。そんな中で「野田さんはエデュケーターじゃないから、別にそこは望んでない」みたいなこと言われた時に、会田さんのアーティストマネジメント=ラーニングチームっていう捉え方をしたら良いのだと。それでやっと自分の仕事が理解できたというか。当初からアート・プレイグラウンドっていう構想を会田さんが描いていて、どう考えても「チーム」をつくらないとやれないなと。ラーニングプログラム自体が人と関わることだから、それぞれの関係づくりを丁寧に行なってチームビルドしていかないといいチームになれないだろうと。私の理想は「いいチームになる」ということだったなと。あと、会田さんがずっと言い続けてきている「絶対に誰もがもっている来場者の創造性」に関しては、実は私はその言葉の実感を当初持ててなかった。それはアーティストの職能、大げさにいうならば特権でもある。
会田|あ、そうなんだ。
野田|でも、ラーニングのプログラムに関わって、スクールに何度も通ってくれた来場者の姿とか、人材育成の受講生とか、さらにこのチームができていく中で、創造性が発揮される場面を感じる場面があって。アート・プレイグラウンドでも何度も目にしたけれど、人が思考してアイディアを出したり、新しいものに出会ってそれを自分ごとにしていくこと、それそのものが創造性なのか、って。そこに結構感動しました。
会田|初めてやる時にクリエイティビティが最大限発揮されると思うんだよね。見たことない状況に放り込まれた時に、すごい観察とか洞察をして未来を、未来っていうか近未来を想定して、どうやることが一番合理的なのかを判断していく。そのプロセスが創造性と僕は思っていて。初めて見た状況の時に、どう動けるか。そういう意味で、アーティストが持っている特権ではない、それは初めてのことを常にし続けているけど、でもアーティストじゃなくても、前提がなきゃ何も出来ませんっていう人は、クリエイティブでないと思うんですよ。
野田|そういう場面今回たくさんあったからね。あと、諦めないで、ちゃんと話していく、対話していくっていうこともすごい大事なんだなと思った。
会田|諦めたら本当にダメ、すぐ終わるし。こっちも思考停止する。でもだから、やってて面白かったですけどね。今回、粘り強くずっと対話をして。何か打開できないかなって探ること自体は、僕にとっては作品を作るのと同じぐらい面白かった。
野田|この人数でゼロから一緒に作るチームは初めてだったから面白かったですね。
会田|チームビルディングは本当に助けられた。僕がちょっと苦手としてるところだったから、野田さんをチョイスして良かったと思ってるところはありましたね。
野田|思い返すと、いい意味でこんなにもプレッシャーを常に感じる仕事は初めてだったかもしれないです。
会田|失敗したらどうしようっていうこと?
野田|失敗したらというか、チームのみんなが最大限の能力をちゃんと発揮してほしいと思ってきたから。
会田|社長。本当にそれは社長の考え方だよね。
野田|会田さんもそうだけど、他のみんなもそれぞれの場所で、やりたいことをやってほしいと思っていたという感じかな。私が一から十まで全部やっていくわけじゃなくて、みんなの力量でやりたいことをやればいいと。やりたいことをやれる場所でありたいと思ったから。それは本当に。特に、不自由展再開は最大のプレッシャーを感じてて。
会田|僕もそうだよ。
野田|これやり切らないといけないプレッシャー。
会田|今思えば、保育園のテロ予告とかの問題も解決しないままオープンしたからね。金曜日の夕方に一番安心したもん。あ、これでもう週末だけだと思って。もう保育園閉じないと思って。なんか台風来るかこないか、みたいなことを考えることよりも、金曜の夜、午後くらいにすごい安心してた。
近藤|私がこの仕事をのびのびやりたいことをやってこれたのは、会田さんが放任的にみてくれつつ、野田さんが細かいところの相談にのってくれたりとか、全体を見渡した時にどう思うかみたいなことを、常に問い続けてくれた。それがあるから、自分も思考を止めないし、自分だったらどうするべきかを常に考える。で、そもそものベースの部分は、コンセプトとして大也さんの存在があって。さらには横のつながりでそれぞれのアート・プレイグラウンドを持ったコーディネーターたちがいたからうまくできたかなっていう。自分の理想を掴んでいくことができたのは、このメンバーだったからだと思いますね。
野田|そうした一方、ちょっとクリティカルな話をすれば、やっぱコーディネーター五人が集まってなんかをやるっていう場面があんまりなかったね。五人で同じプログラムをやるっていうか。
会田|ひとつのプラットフォームの中で文化祭みたいに。
野田|それができていたら、もっと広がってたかもしれないなぁ、とかは思うところですね。9月の後半はこの記録集のためにゆっくり各場所で過ごそうと思っていた矢先に不自由展の再開がラーニングの方にきてしまいましたね。
近藤|私もなんか想像してたのは、例えば9月ぐらいに落ち着いたタイミングで「はなす」に全員が来て。
野田|そうそうそうそう。
近藤|もっとトークしたかったなとか。それぞれが、それぞれのアート・プレイグラウンドに行って。
会田|1日店長やるとか。
野田|現場からのコーディネーターが離れられなかった。ファシリテーター、一人で現場を任せてっていうのが難しかったかな。
松村|「はなす」は、始まる前にもっと話したかった。方向性とか、可能性とかこれで本当にいいのかなとか話せる人がいなかったから、それが個人的には一番きつかったかな。
会田|もうちょっと、こう、10プランくらい考えてその中でこれしかない、みたいなパターンでいきたいみたいな?可能性の多様なオプションを一回つくり、その中でこれをやってくのが正しいだろうみたいな?
松村|いや、もうちょっとフランクに色々アイデアを話したかったですね。結局みんなで話したのは「こういうのです」って出して、それに対して意見を言うから、その前の段階でもうちょっと「はなす」で何をやるかっていうとこととか、コンセプト自体のブレスト。
谷|それはできたらよかったなっていうことだけど、他のプログラムでもそうだと思うけど、だからやればよかったこともそうなんだけど、何でやれなかったのっていうこと。つまり、ちょっと風呂敷が広かったっていうかな。
近藤|風呂敷は広かったと思う。
谷|リソースっていうのは決められているから、それに対して風呂敷がちょっと大きかった。不自由展があったから出来なかった、薄まっちゃった、予期せぬマイナスが起きちゃったということもすごい大きいけど、最初のプランのところがちょっと大きかったかもしれない。
山口い|シュミレーションがほとんどできなかった。
野田|トリエンナーレ自体の人の流れ、オープンしてお盆までは人がめっちゃ来るとか聞いてたけど、どういうレベルの人がくるとかは想定し難い。ましては初めてやってみることだしね。現実的に言えば、「はなす」のフィードバックをどこかで一回つくれればよかったのかな。途中でコンテンツを見直しブラッシュアップする。
会田|それができるためには、一旦2週間ぐらいまでの間に各アート・プレイグラウンドに、他のコーディネーターが行くっていう。
近藤|できない。時間が足りないですよ。だって風呂敷もデカい上に、準備の時間もタイト過ぎて、その準備の期間にやらなきゃいけないことがめちゃくちゃあったじゃないですか。
野田|あと、コーディネーターじゃない、ファシリテーターとかサポスタの調整、慣れるまでの感じとか。
近藤|もうちょっとあそびほしかった。
山口い|みんなそう思ってたんだ。よかったー。俺、バカなのかもしんないと思って。なんでみんな、こなせるんだろって。
近藤|みんなギリギリでやっとったんだわ。
谷|なんとかいい感じになったけど、ギリだよね。
山口ま|それがきてれば、ファシリテーターとコーディネーターの役割分担も、もうちょっと明確にできた気がして。ファシリテーターがちゃんと現場を自分がトップに立ってまとめるんだっていう意識も生まれたかと。ずっとベタつきでいたらできないよねっていうのは思うから。
野田|なるほどね、そうだね。そこのバトンの渡し方はもうちょっとやれたかもね。
山口ま|そう、バトンを渡していなくならないといけないのに、いなくなれない状況だったっていう。
野田|アート・プレイグラウンドって、ディレクションのバトンさえも渡していく現場だった。だけどそれがファシリテーターには伝わりきらなかったし、お互いに渡す/受け取る準備までいかなかったのかもしれないね。
山口ま|でも、現場に入ると顔色見るし、強制的にでも、いなくなった方が良かったなって。
近藤|「もてなす」の半澤さんは強制的に。
谷|コンテンツも大きくないし。
野田|一方で「はなす」は全方向から来るから、そうはいかない。
谷|なんとかなったけど、結構やばかったっていうのはすごいあるね。
会田|八ッ場ダムぐらいのことだったっていうことだね。
近藤|でも、あれだね。楽しい。まだまだ喋れる。
野田|楽しいね。まだまだ喋れるから、また1ヶ月後に振り返りやりましょうか。
全員|いいね 。