書き始めた手帳
手帳は私にとってなくてはならない道具であり、それそのものが想い出の宝庫である。
勿論、私の記憶力の悪さという理由もあるのだが、私は彼を見かけたその日から何かあると必ず手帳に記録を残している。
手帳によると2020年1月18日、時折雪が散らつく日であったがこの日、私は日立台まで練習見学に行った。
柏レイソルの練習見学は殆ど試合開始前のピッチ上での練習と変わらぬ内容で、プラスαとしてミニゲームや大型器具を使ったシュート練などがある。
既に最大の推しである中村航輔選手がポルティモナントカというクソチームに移籍した後であったがいつもの癖で早い時間帯のゴールキーパーが絡むミニゲームに間に合うようにスタジアムに着いた。
並み居る有名選手が入るゲームの中、緩急あるドリブルとゴールキーパーが届かないゴール角を突くシュートでバンバンとゴールを決める若い選手。
控えめに言ってエースの動き。素人目にも『飛び抜けている』それが山田雄士選手であった。
正直、ユースなど下部組織から選手を見ていなかった私は「なぜ試合に出ないのだろうか…」と純粋に疑問を持ち思わずカバンに入っていた手帳に彼の名前を記した。それが記録の第1ページである。
現実と悔しさ
練習後、江坂選手やクリス、サヴィオなど人気選手にサインの列が並ぶ中、当然の様に片付けを最後まで行い淡々と道具を片付ける山田選手。 ただ笑顔は絶やさない。
活躍していない選手、未だ無名な選手は練習見学でもサポーターから「〇〇選手!サインお願いします!」と声は掛けらない。 一部のサポーターから「お疲れ様です」と声を掛けられるだけである。
「あんなに上手いのに…悔しいだろうなぁ。」 彼にチャンスが巡ってくる時を楽しみに、私はその日から彼のファンになった。
僕にとっての山田選手
応援しているチームが勝った日、負けた日、推しの選手がチームから消えた日…。 サッカーとの思い出は、週末ごとに少しずつ積み重ねられ、同時にそれは、自分自身の人生の思い出と、どこかでつながっている気がしてならない。
山田選手のファンになったその日、自分は何をしていた。山田選手がピッチに立った日、スタジアムで誰と出会い楽しい1日を過ごしたか。 都度手帳に書き止めてはいるが、自然と自分事と彼の活躍は繋がって覚えている。
彼がピッチに立つ事で自然と周りとの会話も増え、時が過ぎてもそれは良き思い出となっていく。
今、僕にとって彼の活躍は周りを巻き込み笑顔にしてくれる起爆剤なのかもしれない。
そして来週もまた彼の活躍により手帳に「山田」の文字が増えていく。
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