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江戸の見世物はこんなに楽しい/高小屋で魅せる驚異の軽業

江戸時代の見世物は、「蛇女」や「大イタチ」といった怖いものやイカサマなものだけではありません。
手妻や曲独楽、異国から来た珍獣、細工物、からくり人形、落語、講談などなど多彩な演目を、当時の人はまるっと「見世物」と呼んでいたのです。

◎江戸時代の見世物の種類や開催場所、小屋掛けの理由、入場料(木戸銭)など、概要についてはこちら ↓

今回はその中から、信じられないほどの大技で江戸の庶民を沸かせたアクロバット、軽業(かるわざ)について。


歌川国貞「大阪下り早竹虎吉」(パブリックドメイン

軽業とはどんな芸?

アクロバティックなショーは、今でもサーカスの花形。古くは中国から伝来した、蜘蛛舞という綱渡りの芸から日本の軽業は発展したといわれます。

江戸時代初期の延宝頃には「綱渡り」のほか、身を躍らせて籠の中を抜け出る「籠抜け」などが多く行われていました。「籠抜け」というのは、横にした円筒形の竹籠や輪の中を潜り抜ける芸です。籠の中に刃を立てたり、蝋燭を灯してこれを消さずにくぐり抜けるといったことも行われていたそう。

中期以降には技もさらに洗練され、ダイナミックになり、綱どころか髪をしばる元結(こより)の上を歩く「元結渡り」や、「曲差し」と呼ばれる芸、「足曲持(あしきょくもち)」(あるいは足芸)と呼ばれる芸などが登場。舞台背景や衣装、お囃子にも凝ったな多彩な演目が演じられるようになります。

特に「曲差し」「足曲持」は、日本の伝統的な軽業芸の代表格でした。

旗竿を巧みに支える「曲差し」

歌川国芳「早竹虎吉 富士旗竿」(パブリックドメイン)

上の絵は幕末の大人気芸人・早竹虎吉を描いた作品で、これは「曲差し」と呼ばれる芸。芸人の肩に乗せられた旗竿の上に、子方(子供の芸人)がぶらさがっています。

旗竿がしなる中で、子方が落ちないようバランスを取るのは、どれほどの筋力と集中力が必要だったことでしょう。絵を見ているだけで緊張感が伝わってきますね。
※左で扇を持っているのは口上人。

源頼朝の「富士の巻狩」をモチーフにしており(見立て)、身体芸だけでなく背景の書割や衣装、音曲にもこだわって観客を楽しませていたのがわかります。

さらにこの芸の変形バージョンで、「かざぐるま」というものがありました。それはまっすぐな竿の頂点に子方がうつぶせになって腹を乗せ、そのまま手足を伸ばし、下にいる虎吉と呼吸を合わせてくるくる回るというもの。想像するだけでハラハラしますよね。これは最も危険な芸といわれています。

足裏を使う芸「足曲持」

歌川芳晴「大坂下り 早竹虎吉(石橋の曲)」(パブリックドメイン

上の図は同じく早竹虎吉のステージを描いたもの。こちらも歌舞伎や能の演目として知られる「石橋(しゃっきょう)」をモチーフにしています。

二本の竹の先に石橋があり、それにぶらさがる二人の子方を、仰向けになった虎吉が足で支えていますよね。子方を支える虎吉の足裏にかかる重さは、いったいどのくらいだったか……、もはや想像を絶します。

また、この図に「早替り」と真ん中に書かれていますが、これは最初は獅子のぬいぐるみに入った虎吉と子方が、谷間を戯れ狂う軽業乱舞を魅せた後、早変わりでぬいぐるみから出て上図のような姿になって「足曲持」の芸を魅せる、という流れだったからだそう。

軽業は背の高い「高小屋」で

このような技を演じるにはステージに高さが必要で、小屋掛けの仮小屋といえど、軽業興行には巨大な「高小屋」(背高小屋)が作られるのが常でした。

北尾政美「江戸両国橋夕涼の景」(パブリックドメイン

上の絵の一番左端の高い小屋が軽業小屋です。

見世物小屋は興行ごとに取り壊されるのが基本ですから、毎回このような大きな小屋を作るだけでも大変なお金がかかったでしょう。

しかも、豪華な舞台セットに衣装、お囃子などの人件費も入れると、相当な額を稼いでいないとこのようなステージは続けられません。

私たちは江戸時代の小屋掛けの見世物というと、つい簡素で小さなものを想像しがち。ですが、特に中期以降、そんな想像をはるかに超える大規模なショーを江戸の人々がこぞって楽しんでいたことに驚かされます。

特に人気だった軽業師たち

女性の軽業師も多数活躍。特に寛政九年の葺屋町における玉本小新、文化元年の両国における玉本小金の興行が有名です。この玉本一座は、歌舞伎演目の題材にもなったほどの人気ぶりでした。

また安永年間に活躍した早崎京之助も有名。京之助も「曲差し」を得意としたほか、道成寺の白拍子となって釣鐘から飛び出るパフォーマンスが人気で、「京之助」ブームを巻き起こしたそうです。

しかし、何といっても軽業界の大名人は、幕末にその名を轟かせた早竹虎吉でしょう。大坂で活躍後、安政四年に江戸デビュー。またたくまに人々を熱狂させ、幾枚も錦絵が摺られました。その人気のすごさは、前日から両国の茶屋での予約が必要だったといわれるほど。
なんと、慶応三年には一座を連れて、アメリカ興行にも挑戦しています。
※両国の茶屋では、人気の見世物の予約も受け付けていたようです。まるで歌舞伎のようですね。

この早竹虎吉については、魅力的すぎて簡単には書ききれません笑
また後日ゆっくり紹介したいと思います。

おわりに

今回は江戸の人々を熱狂させた脅威の見世物・軽業について紹介しました。
あなたが気になる演目はありましたか?
ほかに江戸時代の見世物で気になっているものはありますか?
ぜひコメントで教えてください♪


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それではまた~。

参考文献/「江戸の見世物」川添裕/岩波書店、「幕末明治見世物事典」倉田喜弘/吉川光文堂、ほか

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