世界初の古代メソポタミアレシピ本!『古代メソポタミア飯』遠藤雅司氏インタビュー【刊行1周年!】
『歴メシ!世界の歴史料理をおいしく食べる』で人気を博し、数々の著書や、音食紀行でのイベントなどで大活躍の遠藤雅司さん。
2020年12月に発売した『古代メソポタミア飯』では、ギルガメシュ叙事詩を読み解きながら、古代メソポタミアの食卓を再現し、大反響。
ギルガメシュやエンキドゥが一体どんな料理を食べていたのか想いを馳せ、ギルガメシュ叙事詩と古代メソポタミアの世界にどっぷり浸れるロマンあふれる1冊です。
発売から1年経った今、改めて『古代メソポタミア飯』での制作秘話を伺いました。
粘土書板だったからこそ再現できた最古のレシピ
──まず最初に、なぜ古代メソポタミアをテーマにしたのでしょうか?
遠藤:実は、編集者との打ち合わせのときに、2つのテーマを提案していたんです。1つは「シャーロック・ホームズの食卓」、もう1つが「ギルガメシュ叙事詩の食卓」。どちらも多くのファンを持つ素材で、ドラマやアニメなど、様々な作品で馴染みがあり、私自身もこの2つであればすぐにとりかかれるという理由でしたが、編集者の「では、ギルガメシュ叙事詩で!」という一言で、この本の企画が決まりました。
──「シャーロック・ホームズの食卓」も興味がそそられますね。
遠藤:ありがとうございます。ただ、シャーロック・ホームズが書かれたのは19世紀。しかも英語なので、別に原文を載せる必要もありませんし、英語ができる人はたくさんいるので、「この日本語訳おかしくないか?」と逆につっこまれる可能性もあるので、この本のようなスタイルではできなかったと思います。
──なるほど。ではこのスタイルは古代メソポタミアだからこそ、というわけですね。
遠藤:そうですね。メソポタミアに関しては、『歴メシ!世界の歴史料理をおいしく食べる』(柏書房)でも取り上げていました。また、2016年から音食紀行で古代メソポタミア食に触れてきているので勘どころもあり、私としても書きたいと思っていた素材でした。
調べてみると古代メソポタミア食のレシピでも、実際に発見された粘土板にのっていたものは限定的でした。だから、書板に書かれた楔形文字をしっかり訳して解釈し、提示すれば、皆さんに納得していただけるものができると思っていので、そのもくろみは成功したのかなと思っています。
──他の古代文明でもレシピは残されているのですか?
遠藤:古代エジプトにもレシピはありますが、記録媒体としてパピルスを使用していたので、保存性が悪かったんですね。時間が経つとボロボロになってしまって、紀元前の古代となるとあまり残されていないんです。また、中国の黄河文明でも、残念ながらレシピという形では残っていません。
その点、古代メソポタミアでは粘土の板に楔形文字を打ち込んで書き連ね、それを火で焼いていた粘土書板という形で残されているので保存状態がよく、現在でも読むことができます。ですから、判読できる最古のレシピとなると、やはり古代メソポタミアになると思います。「古代にも様々な料理があり、王様や庶民がこんなものを食べていたのか……」、そんなふうに思いを馳せることができるのも、粘土板だったからと言えるでしょう。
──なぜ古代メソポタミアではレシピを残したのでしょうか?
遠藤:多分、王様付きの料理人たちが、祭祀などのために、口頭ではなく、文章で残したのではないかと思います。王宮で文字が書ける人が近くにいて、料理人がこの料理のレシピはこうだと言ったものを、職人が書き残す、というシチュエーションがあったのではないでしょうか。
ギルガメシュ叙事詩は、
何度読み返してもおもしろい最高級の英雄譚
──ギルガメシュ叙事詩の魅力はどこにあると思われますか?
遠藤:この物語は、今から4000年前に作られたものです。そんな古い時代に作られた作品が、なんと、マンガ雑誌『週刊少年ジャンプ』の3大要素である「友情」「努力」「勝利」が盛り込まれた、時代を越えて人々を夢中にさせる冒険物語だったのです。非常にエンターテイメント性にすぐれた作品だと、私は思います。
内容を簡単にあらすじを紹介すると、
暴君であった古代メソポタミアの都市ウルクの王ギルガメシュと、そのギルガメシュに対抗するために女神アルルに創造されたエンキドゥが出会い、拳を交えて戦ったのちに親友となり、香柏の森に住む最強の怪物、フンババとの死闘を制して凱旋します。
ここまではエンターテイメントとしての心沸き踊る冒険物語で、実際に生きていた人物として生き生きとした描写があり、物語に引き込まれます。
その後、親友のエンキドゥが亡くなり、ギルガメシュ自身も死への恐怖に囚われていきます。冒険物語から一転、内容は哲学的になり、死をどう捉え、どのように立ち振る舞うのか、というシリアスな展開になります。友情あり、努力あり、勝利あり、そして死生観にも触れるなど、時代を超えたエンターテイメントとして、何度読み返してもおもしろい、最高級の作品だと思います。
──この物語はどのように語り継がれたのでしょうか?
遠藤:元々、メソポタミア文明を築いたシュメール人によってこの物語がつくられました。そのシュメール人を滅ぼしたアッカド人がこの物語を読み、「これはおもしろい」となって、語り継がれるとともにアッカド語で粘土板に書き継がれてきました。
ギルガメシュ叙事詩は神話と言われることもありますが、当時のアッカド人はギルガメシュのことを神様ではなく、自分たちと同じ人間としての王様だという認識で読んでいたのだろうと思います。実際、紀元前2600年にギルガメシュは実在した王として記された記録もあります。ですから、イシンから香柏の森までという想像を絶する距離をわずか3日で到達するくだりは、驚きと憧れが混在する、古代の人にとってもワクワクする場面だったでしょう。読み手が驚嘆し、語り継がれるなかでアレンジが加えられ、どんどん内容が膨らみ、物語がおもしろくなっていったのかもしれませんね。
世界初の試み
古代都市ガイドブック
──世界初の試みがあると聞きましたが?
遠藤:はい。打ち合わせを重ねる中で、編集から「そもそもギルガメシュ叙事詩を知らない人も多いので、きちんと記載しておいたほうが親切かもしれませんね」と言われ、物語の要約を載せることに決めました。
ギルガメシュ叙事詩は神々こそ出てきますが、実在の王様(ギルガメシュ)が出てくる物語で、実在の都市も出てきます。書板を細かく読み込んでいくと、「第●章の第●の書板でギルガメシュがここにいる」と読み解くことができるのです。
せっかく要約を載せるのであれば、その足跡を追いかけて地図に落とし込めば、さらにこの物語に臨場感が出るのではないかと思い、古代の地図をつけたガイドブックを載せることにしました。
──地図だけでなく、標高図が載っていることで、土地の険しさが伝わってきますね。
遠藤:そうですね。イシンは海抜10m程度の平地ですが、香柏の森に向って3000m、4000mとどんどん標高が上がっていきます。ふたりが辿った道のりが、このような過酷な地形だと知ることで、よりこの冒険譚が楽しめます。
また、フンババの攻撃によって山脈が2つに分かれた“激戦地”はどこなのか?など、ギルガメシュ叙事詩ファンにも楽しんでもらえる作りに仕上がっていると思います。
──レシピの前に読みどころ満載ですね。
遠藤:たしかに。『古代メソポタミア飯』といいながら、全体の3分の1を占める最初の64ページはギルガメシュ叙事詩の要約と古代都市ガイドブック。なかなか料理にたどり着きません。これは「最初にたっぷりとギルガメシュ叙事詩を堪能して、料理に向かってくださいね」という、私からのメッセージです。
レア度の高い古代の書板だからこそ生れた
遊び心のある試み
──この本で苦心した点はどんなところですか?
遠藤:本書は粘土板を解読して、解読したものを日本語訳したうえでレシピを作る、という工程を踏んでいます。説得力のある本に仕上げるために、この日本語訳を古代オリエント博物館館長であり、ギルガメシュ叙事詩研究の第一人者である月本昭男さんにお願いしました。
レシピに関しては、元々フランスの学者ジャン・ボテロ氏が訳して本にまとめたもの(『最古の料理』(法政大学出版局))がありました。古代メソポタミアにレシピが書かれていた文書があったのだという驚きと知見の高さがうかがえる学術性に優れた書籍ですが、一部訳されていない箇所があったり、不明な点があるなど不明とされる点が多々見られる点をもっと知りたい!と思ったので、楔形文字から月本さんに訳し直していただきながら、同時に従来の本を参考にして再現料理ページの作業を進めました。
ただ、毎年様々な粘土板が見つかり、新たな発見があるのもこの時代の楽しさのひとつ。この本でも従来はネギと訳されていたものが実は玉ねぎだったり、そもそもの材料自体が違っているなど、新たな解釈がいくつかありました。その結果、従来の本で作った料理とは齟齬が出てくるため、17品の料理を作り直すことになりました。
──半分以上も? それは大変でしたね。
遠藤:はい。時間短縮をもくろんでの同時進行でしたが、この点に関しては月本先生の日本語訳を待ってから料理ページに取りかかればよかったと思っています。
──今回、月本昭男先生にご協力いただきましたが、その点ではいかがでしたか?
遠藤:そうですね。「ギルガメシュ叙事詩の要約」と「古代都市ガイドブック」に関しても月本先生にチェックしていただいたのですが、不明点が出るたびに時間をとってアドバイスをいただくことは不可能です。そこで、楔形文字をラテン文字に翻字した文献を世界中から探し、それを元にまず私自身のフィルターを通して書いたものを月本先生に見ていただくという形をとりました。
ただ、月本先生はギルガメシュ叙事詩研究の第一人者。そんな方に私の書いた文章を読んでいただくのは、それ相当の度胸を要する工程でした。もちろんダメ出しをされることによって作品のクオリティが上がるので、この本にとってはいいことです。でも、本当に心臓に悪い作業でした。
──たしかに。心中お察しします。
レシピが残っているとはいえ、古代の料理を再現すること自体、難しいことではありませんか?
遠藤:たしかに再現料理自体、私が研究者ではなかったからできたと思います。例えば、レシピに出てきた単語の意味が分らなかった場合、研究者は「正確な意味が不明」と書かなければなりませんから、料理を再現することができません。でも、私は研究者ではないので、単語自体は不明だけれど、前後の文脈から推測して、ここではこの食材を使うものだと特定して作ることにしました。
──なるほど。分らないところを推測して補うことで、はじめて再現できるわけですね。
遠藤:そうですね。古代都市ガイドブックでも、「イシンから香柏の森までこう行った」という資料はほとんどありません。ですから、実際に世界地図に線を引きながら、このルートで行くと何千キロかかるということを割り出し、それを元に距離や標高などを算出しました。ただ、それだけだと自分の妄想となってしまうので、紀元前4000年から前500年までの古代メソポタミア地域の交易路を調べ、それを参考にしてルートを割り出して、地図に落とし込みました。これも研究者ではない私が、エンターテイメントを目指した本として作ったからできたことだと思います。但し、史料を集めて、史実に近いものから物語世界の解像度を高めているので、説得力を持たせることができたかと思います。そもそもギルガメシュ叙事詩研究の本や論文にあたりましたが、そこまでまとめているものはなかったので、ここで提示しておこうと思いました。
──本書の見どころはどこでしょうか?
遠藤:やはり第3章からの料理のレシピページです。見開き2ページで再現料理の写真とレシピ、さらに古代の書板と翻字、その日本語訳という5つの要素で構成しています。ですから、現代でも再現できる古代料理のレシピ本としてだけでなく、古代の書板に書かれた文章が、料理として再現されるプロセス自体も楽しんでいただける作りになっています。
──巻末の付録も豪華ですね。
遠藤:はい。レシピ本なので、ご家庭でも再現できるように、食材リスト&入手法も載せました。スーパーでは購入できないようなマニアックな食材が多く使われていますが、入手先や検索ワードも書いてあるので、ぜひ手に入れて作ってほしいと思います。
また、せっかく世界が誇る「日本の知能」である月本さんにご協力いただいているので、レシピページの書板の読解に活用できる辞書も備えました。ここまでまとめてあるものは今までありませんでしたし、私自身もほしいと思っていたので、これはもう「載せるしかない」という気持ちで作りました。ぜひお役立ていただければと思います。
──翻訳から料理を再現するときの裏話を教えてください。
遠藤:粘土板の翻訳には、「あなたは(それを)取り上げる」「あなたは水を用意し」など、用意する材料は分かりますが、ほとんどの料理に分量が書かれていません。
また、塩と書いてあるレシピと書いてないレシピがあることにも頭を悩ませました。
そこで、「粘土板に忠実に作る」というルールを決め、書かれていることは常識にとらわれずに、その通りに作ることにしました。塩と書いてなければ味気なくなると感じても入れないと徹底し、逆に粘土板に書かれていないことに関しては、想像力を駆使しておいしく再現できるように、現在の常識を当てはめてつくることにしました。
ただ、レシピに忠実なだけでは現代のおいしさとかけ離れてしまうところもあるので、レシピの最後の【ひとこと】には、「一口目はそのまま味わい、二口目は塩のよさを感じるために追塩を」などのコメントを入れ、おいしく食べていただくよう作っています。本書はガチガチの研究書ではなく、楽しんでもらえるエンターテイメント性を備えたレシピ本だからと言えるでしょう。おいしく味わってもらえるように苦心しています。「古代のおいしさ」を追求した本だとも言えます。
──最後に読者へメッセージをお願いします。
遠藤:本書は、ギルガメシュ叙事詩の要約からスタートし、物語に基づく古代都市ガイドブックまでで、まず文学や地理の世界で古代メソポタミアを堪能していただきます。そしていよいよお腹が空いてきたところで、古代メソポタミア料理28品をご用意しました。ギルガメシュやエンキドゥ、フンババなど、登場するキャラクターを思い浮かべながら、当時の雰囲気とともに味わっていただければうれしいです。
また、粘土板に書かれた楔形文字や翻字自体、目にする機会が少ないので、この本を読んでアッカド語や古代メソポタミアに興味を持ち、沼にズブズブとはまっていただけたら、それはもう著者冥利につきます。
もちろん、料理に関する粘土板で、月本昭男さんによる翻字、翻訳されたものは世界にこの本しかないので、その価値に値する、研究書並みの仕様といっても過言ではありません。
そして、本書は古代メソポタミアに関する研究の蓄積から食の情報をまとめました。本当に多くの先人の研究結果と研究者の皆さまに敬意を表します。学術性と娯楽性のバランスを考えて作りました。
シュメール語やアッカド語が読める方には、「あなたならどう訳しますか?」という挑戦状として、ぜひ腕試しをしていただきたいと思います。
遠藤雅司 (えんどう・まさし)
歴史料理研究家。世界各国の歴史料理を再現するプロジェクト「音食紀行」主宰。
著書に『歴メシ! 世界の歴史料理をおいしく食べる』(柏書房)、『英雄たちの食卓』(宝島社)、 『宮廷楽長サリエーリのお菓子な食卓―時空を超えて味わうオペラ飯』(春秋社)、『食で読むヨーロッパ史2500年』(山川出版社)がある。
また、漫画「ウルク飯」(KADOKAWA「Fate/Grand Order カルデアエース VOL.2」収録)、「Fate/Grand Order 英霊食聞録」で食文化と料理を監修。明治の食育サイト「偉人の好物」にて監修を担当。