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みんなが幸せで平和である社会

正直なところ、野球に関わる人と話していて、野球をしたい子供たちが減っていることを、過去から現在までが原因とする話を聞くと、僕は心がザワつきます。


「原因」という槍で、ここまで野球というスポーツ文化を、各所で様々な形で、それぞれの思いで広げてきた人達に対して、加害者のようにまくし立て、突き刺しているように感じるからです。


ウクライナ情勢におけるプーチン大統領に対する報道も、新型コロナウイルスにおける政府などに対する批判。ハラスメント、虐待、犯罪、薬物依存、不倫・・・に至るまで、悪者や加害者化した物の見方にも同じように胸が苦しくなります。


社会というのは、地続きで面で捉えていくものなんじゃないだろうか。

加害者のように、また加害者として社会で捉えられている人から、線で繋げていくとめちゃくちゃ遠いのかもしれないけれど、僕にも繋がってくるような気がします。

社会で問題が起きた時、何事も他人事ではなく、自分事として自分のスタンスみたいなものを、じっくり考えることって大切な気がしています。


昨今のテレビのニュースはとても分かりやすい気がしますが、報道する内容は、ほぼ限定的な報道しかしていないような気がしますし、報道の仕方にも偏りを感じますから、広く全体的に、また報道とは逆サイドの視点も気にしながら、見たり聞いたりすることが大事になってきていると感じています。


どんなことでも問題の解決を本気で目指すなら、罰したり対極に立つのではなく、受け入れ合うことや、信じ合える関係性を作ることが大切で、そのためには相手の主張を中心とした対話が重要なんだと思います。

人は、受け入れてもらえている、信じてもらえていると感じない限り、心の距離感を近づけることはなかなかしないと思うからです。

年齢における、年長者を敬う気持ちなどはとても大切です。だけど、序列を感じせてしまったりして、縦の関係を作り出してしまうのは、平和とは程遠いように感じています。


だから、国籍や人種。性別。年齢。障害の有無に至るまで、全てのことがグラデーションで彩られ、みんながみんなを受け入れられる社会になっていかないと、幸福に感じたり、平和に感じたりすることはできにくいんじゃないかなとおもいます。


序列や縦の関係を築いたり、結果や評価ありきの社会は、自分中心に物事を捉え、自分の欲求を満たすことありきでしかないと思います。

一打出れば勝負が決まる場面の投手と打者は、相手と勝負しているのではなく、自分の中に湧き出てくる恐れと向き合い自分と勝負し結果がでるんだと思います。9イニング27アウトすべてがその積み重ねで結果的に勝負が決せられるのが野球と僕は捉えますが、同じように、ひとりひとりが「今ここ」で感じる“ダメな自分”と向き合い乗り越えていくことの積み重ねで個人に変化が生まれ、社会に変化が生まれていくんだと思います。

皆が、レギュラーでひとりで“ダメな自分”と向き合えるわけではないでしょう。向き合えない人には、繰り返しになりますが、手を取りながら前に進んでいくのが僕は良いなって感じています。

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僕の活動に関心を持っていただきご支援いただける方はよろしくお願いします。一人でも多くの人が心が弾むような生活が送れるように悩み事をひとつひとつ丁寧に対応していきたいと思います。がんばります!!