頑張ることにも向き不向きがある
今回は親ばかかとおもわれるかもしれませんが、娘の自慢をしたいと思います(アメブロのものを再度投稿しているので少し前の出来事です)
小学校の修了式の日に娘が達成したこと
普段忘れ物が多い、片付けができないと担任の先生からは目をつけられており、小学1年生を無事に終えることができるのかとハラハラしていましたが、「クラスの中で私だけ皆勤賞もらったよ~!」と嬉しそうに報告してきてくれました
最後は先生に思いきり褒めてもらえたんだとか
マイペースな娘がなんとか「小学1年生」をやり切った日
お祝いにリクエストに応えて夕飯は焼肉にしました(笑)
大人になって余計に思うのですが、続けることって結構難しいんです
誰かに強制されているときはまだいいのですが、自分ひとりになった時「また今度でいいか」とか「疲れたからやめる」ということはよくあることで、続けるって体力がいるし精神も使う
この1年娘に「毎日行きなさい」って言ったことはなく逆に「疲れたなら休んでもいいよ」ぐらいに言っていました
学校が嫌いになってしまったら元も子もない
という気持ちからそういう風に言っていましたが、逃げ道というかいざという時は親に頼ればいいといった状態を作っておいたのが良かったのかなと思いました
それか、毎日ちゃんと登校していたのは彼女の「続ける力」がそこそこあったのでしょうね
寝る前に「これは本当にすごいことなんだよ、他のみんなができなかったことをやれたんだからね」というと、「2年生も頑張ろうかな」と言ってくれました
頑張ることにも才能が居る
続けることが難しいように、頑張るという行為も向き不向きや才能があると思っています
自分は幼少期の負けず嫌いの性格と両親が共働きという環境が幸か不幸か、「頑張り続ける」という性格を生み出してくれました
なので、続けることをやめてしまう人、頑張らない人よりも、多くの知識を知っていろんな人と会えてたくさんのことを感じ取れている自信があります
逆を言うと続けることをやめてしまう人、頑張らない人の存在とかあり方がすごく自分を助けてくれることもあって
サボっても死なないんだ、とか頑張らなくても褒められることってあるんだ、など息抜きが苦手な自分からするとそういう友達ほどそばにいてほしかったりするのがまた面白いところで
ただ頑張り続けることができる自分というところや今までの経験があるからこそ、娘が何か困った時にそれを補助してあげる知恵や工夫を持っていてあげられているなと感じます
これからいざ娘が何かを頑張りたいと言った時、レールを敷くのではなくレールを増やしてあげられるような存在でいられたら素敵かなぁと思いつつ日々また勉強にいそしんでおります
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