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フィンセント・ファン・ゴッホ / メトロポリタン美術館
問題を生み出す
「問題」とは「理想(あるべき姿)とのギャップ」と定義できるのではないでしょうか。
例えば「チーム内の連携が悪いことが問題だ」などです。しかし、よく考えてみるとこれを問題として見るには、「チーム内の連携が良い状態であるべきだ」という前提が必要になります。
「この問題をどう解決するか」の前に、「なぜそれを問題だと思うのか」があるはずで、それを自分に問い詰めていくと、善悪を決める価値観に行き着きます。
視点を引いてみれば、世の中はただ存在しているので問題が存在しなくなります。問題を存在させるためには、物事を局所化させる必要があります。
こう考える人は、確信犯的に何が善なのかという前提を押さえにいきます。アートや、哲学、宗教を権力者が押さえたがる理由です。
それによって価値観、善、理想状態が方向づけられ、問題がはっきりします。
問題解決者は常にある価値観の中に生きることになりますが、優れた問題設定者は、問題は実は人工的に生み出されたものであるという視点を持っています。
かといって、斜に構えたり、達観した感じで生きていてもつまらないわけです。
毎日落ちてくる落ち葉を掃いている人を見て、なんて無駄なことをもっと根本的な問題解決をしなければ毎日掃除をする羽目になると考えることもできますし、人生は落ち葉掃除だ、と捉えることもできます。
価値観から離れながら、一方で社会の問題解決に関与することを十牛図では「入鄽垂手」と言っているのではないかと思っています。
空っぽになった上で、それでも社会に貢献せよ、ということでしょうか。
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