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力と抑止
棍棒を持って穏やかにというのはルーズベルトの言葉だけれども、全ての交渉の後ろには暴力によるパワーバランスがある。法に反した行動を取り締まれるのも法の力が背景にあり、法の力を行使する暴力がその背景にあり、秩序が保たれている。悪いことをすれば最後は自分は罰せられるということがわかっている。
南米などでこのパワーバランスが崩れているところに行くと、法律があまり意味をなさない局面を見て驚く。日本にいると気づきにくいけれども、このような国では自分の身を自分で守るしかない。西部劇でも時代劇でもならず者が狼藉を働き放題で、それを抑止する側は必ずならず者を上回る力を持っている。基本的にはいざことを構えた時にどちらのダメージが大きいのかという計算が抑止の背景にある。
日本人は戦略的思考の欠如と情報軽視がよく言われるが、パワーバランスの計算に疎いことが影響していると思う。どこかで話せばわかると考えているウブなところがある。理想としてはいいけれど、実際の交渉は常にこの棍棒の大きさの測りあいで決まっている。諜報活動がなければ棍棒の大きさがわからない。
喧嘩ができないということと、喧嘩はできるけどやらないということは本質的に意味が違う。後者がなければ、本当に際どい交渉ができない。相手が死に物狂いで抵抗する場合後者でなければ話を通せない。喧嘩ができなければ、血を見るけれど絶対にやらなきゃいけない際どい交渉ができない。また、そもそも喧嘩が始まらないためにも喧嘩をしたくないと思わせる必要がある。
ロビイストと話をすると、このパワーバランスを熟知していてとても勉強になる。誰が何に強く弱いのかの構造をよく理解し、合理的に戦略を立てる。表でやった方がいいこと裏でやった方がいいことを分ける。後ろでは勝負がついていながら、表面では真剣勝負に見えている争いを見ることがしばしばある。
情報を軽視すれば戦略がなく、パワーバランスを軽視すれば精神論になる。平和とは喧嘩をしないことが喧嘩をすることよりもお得な局面のことを言う。
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