『ジョニーは戦場へ行った』とで見る植物状態と医療の限界と僕の孤独
母は他界しました。
前回の記事からすぐのことです。
一度、実家から引き上げてきて日常が戻る前に連絡が来ました。
実家に帰るまで、母のことを思いました。
もうすでにこの世にいないのは分かっている。
分かっているのに分かろうとしないまま、母の遺体の前に立ちました。
その後、本当に色々ありました。
何度も何度も泣きました。
生まれて初めてアドレナリンの噴出を感じることもありました。
僕自身の精神的な強さが母あってこそのものだったと知りました。
色々あったせいで忘れていました。
前回の記事にあった「作品で見る植物状態」について。
けじめをつけるためにこのことだけまとめようと思います。
生前の体を動かせない母。
その母に会った時、僕は二つの作品を思い出していました。
『ジョニーは戦場へ行った』と『失はれる物語』です。
非常に後味の悪いかたちで物語は幕を下ろします。
感覚をほぼ全て失ってもなお正常な意識が残っている。
だからこそ、今自分が置かれている環境を冷静に分析できる。
分析できてしまう。
彼が望んだのは見世物になり、それで金を稼ぐ。
現在であればそれをせずとも国からの補償は大きいでしょう。
しかし、この物語が発表されたのは第二次世界大戦中の1939年。
補償がどれほどのものであったかは窺い知ることはできません。
ここで注意すべきなのは医者の見方。
体が動いても、すべて反応としかみなしません。
これは前回の記事で書いた定義に近い。
一度植物状態とみなせば、反応としか扱わないのです。
呼びかけによる眼球の動きや涙。
それも医者から見れば反応。
植物状態の一反応であり、患者からの呼びかけではありません。
母は、緊急搬送された大学病院から移動を余儀無くされました。
より緊急度の高い患者さんもいる。
その後の治療は大学病院である必要はない。
そう言われては、移動せざるを得ません。
結局、A病院に移ることになりました。
僕は兄弟の中で一番遠い場所に住んでいます。
しかし、父以外誰も動きません。
老いて耳の遠くなった父。
仕方なく僕が家に残って病院側の説明を聞くことになりました。
そのときA病院からの説明がありました。
もう、次に何かあったら命は助からない。
そうなった場合、延命措置はしない。
そういった感じの内容でした。
聞いていた当時ではその話の内容まで頭が回りませんでした。
もうとにかく母が良くなることしか考えられません。
はい、はい、と話にうなづくことしかできません。
頭の中では、母がまた良くなると信じていました。
大病を患い骨を折り精神を病み、その度に僕は母の看病のため戻りました。
いつもその後は心配したのが馬鹿らしくなるくらいに治ったのです。
だから今回だって治るに決まっている。
何の迷いもなくそう思っていました。
植物状態でも意識があることは知っていました。
暇つぶしを用意してあげないと。
そんな風に考えていました。
その病院に入ってから数日。
僕も自分の下宿先に帰らなくてはいけない日がきました。
挨拶をするために、母の顔に近づくと目をはっきりと開けています。
僕は母に聞きました。
「聞こえてる?」
母はうなづきました。
確かに僕の声に反応していたのです。
「救急車で運ばれたんだよ。覚えてる?」
母は首を振りました。
弱々しくても、確実に意識があったのです。
「手を強く握ってみて」
母は握っていた僕の手にグッと力を入れて握り返しました。
母は確実に生きているのです。
ホッとしました。
また母が復活する。
何十時間もかかる手術を乗り越え幾度となく乗り越えた死。
それをまた母は軽く乗り越えられる。
そう思ったのです。
母は何度も僕の手を力を込めて握り返しました。
母の大病。
それは下咽頭癌でした。
その処置のため、首と胸の間には気管孔がぽっかりと空いています。
寒い季節は痰が固まりやすくその対策が必要です。
痰を柔らかくする薬剤が時折母の気管孔へ放射されます。
しかし、その日は薬は放射されていませんでした。
数日後、母は死にました。
死因は低酸素脳症。
救急車で運ばれた時と同じでした。
その時、僕は悟ったのです。
なぜ、病院の説明は「助けない」だったのか。
植物状態の人間を人間とみなすにはリスクが大きすぎるから。
植物状態であれば体の異変を伝える術はありません。
だから患者のことを思えば常に観察していなければいけないのです。
多忙を極める病院の中で常に、です。
だから言ったのです。
「助けない」と。
植物状態の定義も、病院側の説明も「反応」にすぎない。
ジョニー同様、母の返答もまた「反応」にすぎない。
植物状態の反応であれば、病院側は手を出さない。
手を出す暇も予算もない。
だから言ったのです。
「助けない」と。
おそらく、母の死は病院側がしていなかった気管孔への投薬。
痰が固まり呼吸ができなくなったことによる低酸素脳症でしょう。
母の死亡時刻は面会時間間際でした。
面会時間前に様子を見にきた看護師。
呼吸できずそのまま放置された母をその時になってやっと気づく。
そんな光景がふっと頭をよぎりました。
許さん。
僕はA病院を訴えたくなりましたがすぐにその考えは霧消しました。
そうした訴訟リスクがあるからこその事前説明。
その説明を受け入れなければ母は受け入れてもらえません。
植物状態の患者を受け入れられる病院がなくなるのです。
これは、難しい患者を受け入れるギリギリの線引き。
だからこそ、植物状態の定義は患者が生きていることを認めないのです。
きっと。
(ちなみにアドレナリン云々はここではありません)
それに、訴訟を起こしたところでもらえるのは金だけ。
母は帰ってきません。
不毛に時間をかけてボロボロの精神で。
あまりに見合うものの少ない選択肢を僕は選びません。
この推察には全く証拠もともないわない僕の妄想です。
僕みたいな立場の人が訴訟を起こし続けたら……
きっと、植物状態とされる方を受け入れる病院はなくなってしまう。
僕は孤独になってしまいました。
いつも言うことを聞かず。
後になって「あんたが正しかった」と言い。
そのくせ僕を傷つける言葉を平気で書いて。
あとになって「しまった」という顔で俯いて。
そんな母でも生きていて欲しかった。
間違った選択ばかりでも。
僕を思ってくれる母を死なせたくなかった。
僕はA病院を許しません。
全ての医者を信じません。
仕方のない線引きも分かってします。
母の大病を治して数十年も延命してくれたこともわかっています。
それでも、母を制度として見殺しにした医療制度全体を許せません。
体調が悪くなったら僕は医療制度を「利用する」だけでしょう。
生きている患者を生きているとみなせるのは家族だけです。
僕のような後悔はしてほしくありません。
この文章をご覧になった方。
ご家族がそのような不幸に見舞われたとき、
できる限り生きていることを認めて差し上げてください。
悔いのないように、長い時間を共有なさってください。