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ホロスコープは本人ではない。

水星も魚座♓︎に。なかなかに魚座に惑星が集まり賑やかになってきました。

魚座要素強めの私は、ここ最近はシンクロ率が色々と本当に色々とハンパないタイミングで訪れていて、少々怖いくらいです。が、これは不可抗力であるものとして、有り難く様々に生かして行こうと思います。ワクワクもしています。

タイトルの本題ですが・・。

こちらもホロスコープをお伝えする側の視点になってしまいますが。
占星学は自分が思っている自分と、周りが感じる自分との齟齬(そご)を埋めるのには非常に有効なツールでもあります。

その方の、自分はこうである、という自覚と、相手側が受ける印象が違う、、という事は多々ありますが、
ホロスコープでは、対する側や社会の中で感じる印象(=本来はこの社会ではこのように生きている魂であるというような)を現していることが多いなと感じます。
これは、ホロスコープとその人は別物である、という事実をよく現している一部分だなとも感じます。

我々占星学を勉強している者の役目のひとつとして、本人とホロスコープを結びつける、という役割があると言われております。
その人自身の話しを聞かないで、ホロスコープだけを見て語るべからず。
まずその人から放たれる言葉を傾聴する、ということが大切、と説かれております。

それを経て初めて、その方はこういうホロスコープであるけれども、本人はどういう人生を歩み、どういう時に、どの星が反応しているのか、見えてくるのです。

自分のホロスコープを知って、ホロスコープに参加し始めると、その人自身がホロスコープに近づき始めます。
当たり前すぎて気付かなかった能力を自覚する機会がやってきたのです。
よくぶち当たる壁をアスペクトに見たりもします。

それを読んで、どう感じるか、、自分が自分に触れたと感じられるとき、
何か満たされる感覚がないだろうか、、。

そして、その一部を知り、そうなりたい、そうでありたい、と願えば、
その人の元々持つエネルギーの流れのようなものが、活性化され始めるような印象を受けます。

そして、もうホロスコープを知らなかった自分には戻れない のです

もちろん読み取る知識も大事ですが、何よりも重要だと私が感じることは、
向かい合ったその方へ、適切な言葉と雰囲気で、それをうまく伝えられるか、という部分でもあろうかとも思います。

現在午前3時なので、その壮大なテーマはまた今度、、むにゃむにゃ、、。(オイ)

つづく

画像のニャンコはチロちゃんです。
猫の日が命日でしたので、覗いてもらいました。♡

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