ドイツ発シンガポール行き
ドイツ・デュッセルドルフ発の国際線で出会ったドイツ人女性がいた。
3列席、窓側派の私はしっかり右側に窓のある席を予約していた。
隣の席がひとつ空いて、首に明るい色のスカーフというかストールというか、日差しを避けられるが蒸れない素材の布を巻いた女性が通路側の席に座っていた。
メガネをかけていて、60代は過ぎていらっしゃるような。日焼けした肌でシンガポール行きの飛行機に1人で乗っているということは、東南アジアのリゾートが好きなタイプなんだろうか、と想像する。
もうそろそろドアが閉まるかな。乗ってくるお客さんの波もだいぶ途切れた頃に、その女性は私のほうをパッと向いて
「私達ラッキーかもね!この席が空いてたら気楽よね」
と東欧なまりの英語で言った。
ちなみに、ドイツのどちら出身だとおっしゃっていたか忘れたので、東欧なのか西欧なのかは厳密には言えない。ただ、チェコ人の友人に少し似ていたことを覚えているので、私の中での東欧なまり英語ノスタルジー的に再生すると、彼女の英語は東欧なまりだったのだ。
ラッキー、そう言葉にしてしまうと、ギリギリにこの席に人が来たらちょっと気まずい気がした。存在するかわからない隣席の人に気を遣い、とは言え本心で同意する気持ちがあるのでそうですね、とその通路側の席の女性に返した。
結局私たちの間の席に人は来ず、やったね!と言わんばかりにその女性は小さな荷物をその席の彼女側にちょんと置いた。
「あなたもこのスペース使ってね!」
相手の出方を待ってしまう私には、ありがたく、かっこよく映る行動だった。
ひとり分の席が間にあるから、いつでもそっぽ向いて見えないふりをできる気安さもあり、私たちは少し話をした。
私はこれから帰国して就職活動をする、なんて話をしたような気がする。
彼女は、インドネシアに1人息子が住んでいて、観光シーズンにはダイビングやマリンスポーツのインストラクターをして暮らしていること、オフシーズンにはドイツに帰ってきたりもすることを教えてくれた。
息子を訪ねたときに、インドネシアの自然や人に触れ、ここで暮らしてみたいと思ったそうだ。
彼女自身が勤めてきた会社名は、確かドイツ車の会社だったと思う。しかも、管理部門で長いこと働いていたらしい。知ってる!そんな有名なところの本部の管理系!?と、大手企業にソフトスポットがあるらしい私は驚いたことを覚えてる。ただ、社名は思い出せない。いかんせん、ドイツの車はフォルクスワーゲンくらいしか知らない。
その会社を少し前に定年退職した彼女は、自分の経歴やスキルを考えて、インドネシアで働くには英語教師になろうと思ったそうだ。ドイツで英語教育について勉強して、現地での就職先を決め、さあ渡航だという大きな出発の日だったのだそうだ。
英語はもともと話せたけれど、すぐに英語教師になれるほどではなかったから、ちゃんと勉強してきたの。と言った彼女。
お互いに新しい仕事をするのは楽しみだね、という話をして、そのあと10数時間のフライト中は、食事が運ばれてきたときに顔を見合わせたり、そのくらいのコミュニケーションだった。
シンガポールに着陸してからは荷物が多くて忘れ物がないように入念にチェックしている私とは対象的に、さっそうと立ち上がった彼女とはお互いのこれからの幸運を祈って別れた。
それが2019年の2月。
あれから約2年、彼女は今でもインドネシアにいるんだろうか。現地の小学生に英語を教えると言っていたし、仕事はあるのだろうと思うけれど。息子さんは観光客相手のお仕事だったから、もしかしたら息子さんと一緒にドイツに帰ったかもしれない。
長距離フライトは、一世一代の大移動をする人もたくさん乗っている。その中で出会ったあの人は、名前も知らないから、この世界でまた会えることはないと思うけれども。たまに思い出して、元気でいれば、定年まで全うしてから新たな挑戦をすることもできるし、それを私はかっこいいと思っていることにワクワクしている。
ひとり分の席をあけた先の、ドイツ人女性のお話でした。