九郎五郎池の話
高校野球で有名だったPL学園って知ってますか。大阪では8月のPLの花火で有名だ。今はもうやってないけど。パーフェクトリバティ教の略らしいが、俺は信者でもないので詳しくは知らない。そのPL教団の敷地内のゴルフ場とか病院がある場所の近くに割と大き目の池がある。富田林病院の横ぐらい。今ネットで調べたら正式名称は九郎五郎池(くろごいけ)というらしい。俺は昔から九与五郎池(くよごろいけ)と呼んでいた。何かの地図にそう書いてあったのでその名前で憶えてる。狭山池のように大きな池ではないが、野池としては少し大きい感じ。で、父親の買った釣りの雑誌に(たしか「関西の釣り人」だったと思う)九与五郎池は昔、ワカサギを放流し釣り堀をやっていた、と書いてあった(と思う。)今となってはおぼろげな記憶だ。 実は大阪でもワカサギ釣りブームだった事が昔あったようで、大阪狭山市の(世界最古のため池)という地味な名所の狭山池でもワカサギ釣りが行われていたことがあった。
で、それを見たのは俺が中学生の時。中二だ。中二なので中二病にかかっていた。うる星やつらを読み倒し、釣りと漫画を描くだけの生活をしていたころだ。将来漫画家になれなかったら死ぬと固く誓っていた。(一応月刊ジャンプに掲載されたしぶんか社でも4コマを描いていたので死ななくてもいいか、と今も生き恥を晒している。) それで俺が中二病まっさかりのその時、すでに九与五郎池はPL教団の敷地内にあり立ち入り禁止であった。釣りも無理だった。
「ここで釣りをしてはいけません。」ああ、なんと甘美な言葉だろう。
俺は友達の嘘つきK君と九与五郎池について話し合った。K君は男前であるが8割デタラメを言い2割本当の事を話すという面白い人物であった。K君と「今もワカサギはいるのだろうか」と話してる内に、「ならば実際に釣りに行こうじゃないか」となった。そうは言っても行かないんだろうな、と思っていたのだがその発言は2割のほうだった。2人は日曜日の夜明け前に自転車で出発した。
俺たちはそれなりの装備をして周囲を観察し、フェンスの穴を見つけ、PL教団の敷地内に侵入した。「人が近づいてきたらこの迷彩マントをかぶるんだ!」と。今思うと本当に中二病の子供だけど、迷彩の布はかなり高威力で、伏せて布をかぶるとかなり近づかないと遠目には本当にわからなかった。そして俺たちはまだ朝の早いうちに素早く道具をセットし、ワカサギを釣り始めた。
俺は釣れるわけがない、と思っていた。だけど釣れようが釣れまいがどうでもよかった。そういった行動が楽しかったのだ。ところが10分ほどでK君がワカサギを釣ってしまった。クチボソじゃない。タナゴでもない。オイカワでもない。これはワカサギ!きっとワカサギに違いない!と信じた。まさか釣れるなんて!という事は何年も繁殖を続けていたのだ。凍った湖の魚というイメージが大きかったので驚いた。その後俺も頑張ったが何も釣れなかった。その1匹だけだった。「それどうするん?」と聞くと「いらん。あげる」と言われ、まだ寒い時期だったのでそのままビニール袋に入れて俺が持ち帰った。
せっかく釣ったので食べるべきだ。と思ったので、餌にサシ虫を使ったのでワタだけ出して食う事にした。しかし1匹だけだ。天ぷらなどの大げさな事はちょっとな、と思って考えていると 母がそれを見つけ「こんなん、炙って食ったらええんちゃうの」と石油ストーブの上に直に置いた。そして干物を少し超えてカリカリとなって尾びれが焦げた辺りで頭からガシガシ食ってみた。美味かったよ。
それで今、あれから何十年と経って思うんだけど、アレ本当にワカサギだったのかなあ