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ようやくnoteを始めることにした

くだらない話やちょっと役に立つかもしれない話を書きたい

SNSやブログのような自分発信のツールが世の中になかった時代、自分がどんな毎日を過ごしていたのかそろそろ脳内から風化しそうなくらいの年月が経った。
なんでも新しいものをやってみたい私は、Twitter、mixi、Facebook、Instagram、アメブロ、stand.fmと、一通りやってみた。今もそのうちいくつかは続けていて、フォロワーも3万人くらいいる。自分の人生の小ネタを発信するのに、文章よりも話す方が簡単なんじゃないかと思って始めたスタエフは、配信数が溜まってくるとどの配信で何を喋ったのか自分自身が探せなくなってしまった。すぐに話題が飛んでしまう自分のせいなんだけど、アーカイブとしての機能を成さないと気づいたので、脳内の記憶が鮮明にあるうちに記録していこうと始めることにしました。

人生の小ネタを無作為に綴る

記憶を遡ると私の記憶で一番古いものは2,3歳の頃の記憶だ。
両親が当時働いていた向ヶ丘遊園の駅前のビルで、父はスポーツ用品店の店長、母はおもちゃ屋だったか同じビルのお店で働いていた。私はいつも両親と車で出勤し、そのビル内で放牧されていた。
ビル内の本屋さんで絵本を立ち読みし、喉が渇いたら喫茶店に行き缶詰のチェリーがのったミルクセーキ(懐かしい)をもらい、バンビちゃんというつけまつ毛がものすごいけど可愛いお姉さんがいたブティックにおしゃべりをしに行って時間を潰していた。今思えば、とんでもなく迷惑だったんじゃないかと思うのだけど、昔々の話なのでみんなが可愛がってくれていた記憶しかない。

カール事件

ある日、バンビちゃんが当時大人気だったカール(お菓子の)を買ってきて、と私にお金を持たせてビルの向かいにある店にお使いをさせようとした。私にとっては初めてのお使いだった。横断歩道を渡って目の前の店だったので、3歳だったけど、1人で行ける!と自信満々に引き受けたのだと思う(そこは記憶がない)カールを無事に買えてさあ戻ろうと、横断歩道を渡リ始めた時、私は車にはねられた。
はねた人はおばさんで、すぐに車から降りて私を登戸病院に連れて行ってくれた。幸いなことに骨折はしていなくて、打撲程度で済んだ。
それが私の人生で初めてのお使いの思い出。きっといまだに覚えているということはそれなりにトラウマだったに違いない。
3歳の子供(しかも他人の)を1人でお使いに出したバンビちゃんはさぞ申し訳なく思っただろうけど、その後も私の両親とは仲が良かったのでよかった。その駅ビル勤務時代は他にも印象深かった記憶がいくつかあるのだけど、それはまた今度。

この日記のテーマ

一応、こんなことを書いていこうと思っています。

  • 子供の頃から今までの印象深い思い出話

  • オタク人生の話

  • 普通の人と順番がまるで違う社会人人生の話

  • 好きなことを仕事にし続ける人生の話

  • 人生相談をされる体質の話

  • 恋愛や結婚観の話

  • 動物の話

  • 家探しと引越しの話

  • 雑貨とインテリアの話

  • 推し活とキャリアの話

  • 老後の仕事の話

  • その他諸々

死ぬまで働く人生がいい

人生半世紀が過ぎたので、老後のキャリアプランを実現に移すため、去年の後半から勉強を始めている。隠居生活などしたらあっという間にボケてしまう気がしてならないので、死ぬまで好きなことを仕事にする人生を生きたい。きっとまだまだ人生続くからこれまでのようにミラクルやら失敗やら色々起こるんだろうけど、それも楽しむマインドでいく。




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