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卒業アルバムと一緒に捨ててしまいたかったもの

※今日の話は「いじめ」「自死」についてのトピックが含まれます。センシティブなトピックなので、気分を害する可能性のある方はここで回れ右してくださいね。


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皆さんは学生時代の卒業アルバムってまだ持っていますか?

わたしは一応引っ越しの荷物に詰めてアメリカまで持ってきたはいいものの、ある時点で処分して今に至ります。

わたしが通っていたのは中高一貫の進学校で、学校自体のカリキュラムは充実していたし、いい学校だったとは思うのですが、実はその6年間ずっといじめられていました。学費も高かったし(両親ごめんなさい)、今考えたらとっとと親にでも相談して転校するとかしたらよかったのにね。

エスカレーター式の学校の怖いところは、公立の他の学校みたいに毎年クラス替えがあってリセットができないところ。ほぼ同じメンツで派閥が出来上がり、一度確立されたヒエラルキーは6年間変わることはありませんでした。

いじめが始まった原因はしごくつまらなく、入学当初にわたしのことを「メガネザル」とからかった男の子に「うっせぇチビ」と言い返したからでした。本当に下らないと思うんだけど、彼は当時背が低く、カッとしてそれから執拗ないじめが始まるようになりました。

卒業アルバムを捨てようと思った理由は「これを見返した時にあの時は楽しかったねーと嬉しい気持ちに一ミリもなれないから」というのに尽きます。

よく断捨離界隈で卒業アルバムを捨てるかどうかが話題になったりするけど、逆に学生時代に楽しい思い出がたくさんあって、たまに開いてみて思い出に浸って嬉しい気持ちになれる幸せな人は別に捨てなくてもいいと思う。

その後大学へ進学し、無事6年ぶりの「リセット」を果たしたわたしには少しずつ新しい友達もでき、バイトも始め、もう人生つらいやめたいこの世を去りたいとか思い詰めることはなくなりました。

大人になって恋も仕事もして、ちゃんと自分を愛してくれる人と出会って結婚もできたし、あの時の自分に声をかけることができるなら「今はつらいけどこれが永遠に続くわけじゃないよ」と言ってあげたい。

ちなみに一番つらかったころに山田詠美さんの「風葬の教室」という小説に出会い、人生やめるのをやめました。読んだことがない人のために簡単に説明すると、学校でいじめられている主人公が自死を考えるものの、自分の家族のことを考えて思い直し、それからクラスメートをひとりずつ心の中で風葬していくというお話です。

今でも覚えているくらいだから本当に山田詠美さんには命を救われたよなぁと思いますね。ありがとう。

わたしが卒業アルバムを捨てることで一緒に処分したかったものは、十代の子の残酷さと、教師の無関心さと、そういったものに対していつまでも苦い気持ちを感じ続ける自分自身だったのだと思います。

進学校だったのでそれなりにプレッシャーやストレスもあっただろうし、子供というのは本当にどこまでも残酷になれるもので、今更何をどうするつもりもありません。

その後大学を出て、社会人になってもわたしが同窓会に顔を出すことは一度もありませんでした。おそらくこれからもないはず。

その後Facebookでつながった元同級生に「あの時はどうかしていたよねって〇〇(主犯格の彼)が話していたよ」と話を伝え聞きましたが、みんな当たり前のような顔をして大人になり、おそらくは誰かの妻や夫となり、なんなら子供を育てて親の顔をしているのだろうと思うとやるせない気持ちになります。

願わくば、彼らの子供たちがわたしと同じ思いをすることがないように。人をいじめるやつはそれがいじめられる側にどれだけのダメージを与えるのかを考えるべきだと思うけれど、多分それだけの想像力があれば最初からいじめには加担していないでしょう。

でも今でもまだいじめって(学校でも会社でも)ありますよね。今この瞬間にもつらい思いをしている誰かがきっといるはずです。

みんながほんの少しでも他人に対する想像力を持つことができる学校社会、大人の社会になることを願ってやみません。

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Daisy Barber
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