自分が得意なことには自分ではすぐに気付けないことが意外と多いなと思った話
YouTubeでビデオをアップロードするようになって4年ちょっと、その間に460本くらいのビデオをアップしてきたみたいなんですが(みたい、というのは自分ではそんなにたくさん作ってきたという実感がないため。本当に、適当にひょろひょろと作っていたらそれだけの数が貯まっていたという感じです)、最近になってやっと気付いたことがあります。
それは「自分には意外とトークの才能があるのではないか」ということ。
今まで色々様々な内容のビデオを色々違ったスタイルで作って試行錯誤してきた中で、ものすごくこれは会心の出来!とかこれは面白いでしょう!と思って出したものが自分で思っていたよりもウケず、逆になんとなくカメラに向かって適当におしゃべりをしただけの動画が「トーク動画好きです♡」「面白かったです!」とか言ってもらえてやけにウケたりして、少し前からおやおや?と思っていたのです。
だって、自分が適当にカメラに向かってウダウダとしゃべっているだけの動画の方が精魂込めて作った他のビデオよりも評価が高いだなんて、ビデオを作る側としてはちょっと癪じゃーありませんか。そういうの、ないですか?
でも最近思うんです。自分がそれほど苦労せずとも作ることが出来るコンテンツの方が、苦労して作ったコンテンツよりも評価が高いということは、そちらの方が実は自分には向いていて才能があるってことじゃないかってことを。
自分があまり苦労せずさらっと出来てしまうことって、あまりに自分にとって簡単なので勝手に「他の人もこれくらい簡単にできてしまうに違いない、だからこんなの大したことないよ」って思いがちなんですね。
考えてみてください、たとえば料理が得意で、息をするように美味しいものを作ることが出来る人にはきっと、卵焼きひとつだって何百回も練習してやっとできるようになれた人の気持ちはわからないと思うんです。
だって、こんな簡単なことみんな出来るでしょう?え?卵焼きの作り方がわからない?そんなの、卵を割って味付けして焼いたら終わりやん、って思ってしまいがち。
でも世の中にはもちろん、卵焼きひとつだっていっぱいいっぱい練習しないと焼けない人(もっと言えば、どんなに練習してもどうしても上手に出来ない人)というのが一定の割合でいるわけです。
卵を焼くというその手順ひとつ取ったって、料理が上手な人には当たり前のこと(フライパンのあたたまり具合、味付けの仕方など)が料理の下手な人には目から鱗の情報の宝庫だったりして。
そこで料理が上手な人が下手な人に「卵焼きの作り方」を教えてあげると、下手な人にとっては「すごいやんこんなテクニックあるなんて知らなかったやん、もうちょっと早く誰かがこういうの教えてくれたらよかったのに!あなたお料理教室やりなよ!」ということにもなりうるってわけです。
そうか、わたしって実はお料理が上手だったのねということにその人が気付くことが出来たら(もしくは周りの人が気付かせてあげることができたら)その人は得意なことを生かしてシェフになれるかもしれないし、お料理教室が開けるかもしれない。YouTubeでお料理を教える動画を作ったっていいわけです。
でもこういうのって、なかなか自分では気が付かないものなんだよね。
だから、わたしは最近は「この人のこういうところはすごいぜ」と誰かを見ていて思ったらじゃんじゃん伝えるようにしています。
ちなみに「わたしもしかしてトーク向いているのかもしれないって思ったんですけど」とビデオで話したら「今頃気付いたの?って思って笑っちゃいました」というコメントがありました。この年になってもまだまだ自分について知らないことはたくさんあって、それが人生の醍醐味かなと思う今日この頃です。
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