多様性とは・・・
最近よく聞く言葉「多様性」。
正直、俺の身の回りで多様性を意識することはないし、そんな場面にも出会った事はないけど、世の中は「多様性」という言葉で溢れてる。
俺の解釈だと、これまで迫害されていた、マイノリティである同性愛、人種、国籍、宗教、性別などの差別を無くし、皆でよい世界を作っていこうみたいな感じ。他にも、動物愛護、ヴィーガン、移民など、主義主張を上げればきりがない。
Youtubeでヴィーガンの人が達ハンバーガーショップから出てきた人を待ち構えている動画があった。逆に、ヴィーガンの人達の前に立ち、その目の前でハンバーガーを食べている人もいた。奇妙な光景だ。
この事を自分の周辺に落とし込むと気付きが多い。俺は、自分自身の考え方は、育ってきた環境、年代、経験に大きく影響されていると思う。当然、それは自分以外の人にも当てはまってると思っていて、たまに他人に対してて、
「お前こういう奴じゃん」
「絶対こうするべき」
「だからダメなんだよ」
「こうすれば成功する」
っていう人達を見かける。こういう場面をみかけると、めちゃくちゃ怖いなって思う。自分と他人が同じであるはずがないのに、それを真に受けた人が失敗したらどうするのか。こんなん責任取れませんよ。
でも、その気持ちはわかる。自分の発言で相手を打ち負かす快感、自分の意見で人を従わせる恍惚感。ここにはとても強い依存性がある。かつて俺も会社を経営してからそんな場面たくさんあった。相手のマウントを取るというのは、この社会で生き抜くための生存本能かもしれない。
そんな事に気付き始めてから、俺は昔よりも確実に感情の起伏が無くなってきたと思う。人から「変わってるね」って言われることがめちゃくちゃ増えてた。機械的になったというか、他人に干渉しなくなったので、何考えてるか分からないとも言われるようになった。きっと周りの人からは異質な存在なんだろうね。
勿論、もっと人当たり良くなりたい、いい人に思われたいってのはあるけれど、自分が何をしたいのか、どう生きたいのか、そっちのほうにシフトしていった。
個人の主義主張はあるべきだと思う。俺自身、目的達成のため、たくさん行動して意見を主張すべきだと思ってる。ただ、注意したいのが、それが相手の同調を求めたり、考えを押し付けていないかって事。
どうしても年齢を重ねると、昔話や説教みたいのが増える傾向がある。特に年功序列のある日本文化だと尚更だよね。
だって、そんなおっさんメッチャかっこ悪いじゃん。