YOASOBIライブに見た孤独を解決するライブ配信の強さ
先日、YOASOBIがUTコラボのライブ配信をYouTubeで行い20万人を超える人が同時にその場を共有していました。最もアクセスが多かったタイミングでは28万人だとか…。
最高のイベントだった。
終わってから時間が経つごとに強くなる次への期待感。
そう、孤独から救われたあの時間。
あのライブは素敵だった
私も遅れて参加しました。
経緯も分からず、YOASOBIがライブ!?
直後、配信に飛び込んだうちの一人です。
あの撮影技術と展開される楽曲・演出のクオリティ。
あぁ、YouTubeのプレミアム公開と同様かなと思っていました。
しかし、中盤(ほぼ後半?)で明かされる真実。
本当にリアルタイム配信だった。
非現実的なライブ会場かと思いきやUNIQLOオフィス。
※UNIQLOオフィスも十分に非現実的ですが…
今まさにこの時間を共にしている。
それを画面越しに強く感じるイベントでした。
ライブ配信が孤独の解決?
そんな体験をした直後、noteで次の記事を目にします。
”ライブ配信は「孤独」を解決する”と。
記事に3つの秘密として書かれていたうち1つ目として書かれていたもの。
「孤独」だけでもインパクトある。
けど、これが解決してしまうライブ配信。
記事自体は統計的にライブ配信市場について考察、
ライブ配信市場が活性化する要因を分析するもの。
ただ、その一文が強烈だったよ。
なぜかスッと入ってきた。
それは、自分がなんとなく孤独感を感じていたから。
社会このような状態になって閉ざされた世界にいる感覚。
オンライン会議で会社の人に会うも最低限しか会話しない。
趣味や余暇を家族以外とリアルタイムに共有・共感することもない。
そうだ、職場の人と週末行った川の話…
最後にしたのはいつのことだろうか。
社会の一部になっているはずなのに、孤独感。
そこに、突然訪れた好きな音楽を、好きで集まる人達との時間。
リアルタイムであの感覚を共有する時間。
それは秘密を共有するのにも似ている感覚。
好きなコスメ、恋愛感、スポート…etc。
共通の話題は何でもいい。
リアルタイムでそれらを共有する時間が孤独を埋めた。
アフタートークでクールダウン
ライブ配信には終わった後の高揚感を共有できないモヤモヤ感がある。
・ライフハウスから高円寺駅までの時間、
・サントリーホール後のお茶の時間、
・味スタから飛田給駅までの時間、
終わった後のこれが用意されていない。
でも、それも含めてUT×YOASOBIライブは巧みな構成だった。
商業的にも。
「アフターパーティー」と称されるイベントがライブ直後に用意されていて、そのままの熱量でトークイベントが開催された。
YouTube Premiumメンバー限定。(もちろん私は入っている)
ここで展開されるトークは私達だけ感が本当に強い。
限定というキーワード。
あの時間を振り返り、スポーツの後のストレッチにも似た感覚。
これで終わり。という不安感が安心感、次への期待感へ。
そして、イベントは終了。
追体験もアップデートされる
ライブレポートは以前(ブログが流行った時代)からありますよね。
これが更に先を行くスタイルで公開。
時間軸もいい。
ライブが7月4日、そしてレポートが翌日。
しかも公式、絵が使える。
あのとき、ライブを共有していたであろう別の目線。
その誰かによる、あの時間の解釈は共感と新発見の連続。
ここでライブDVDとかを確認したくなる感覚に襲われる。
しかし、公式にはあのライブはライブであって、録画はない。
記憶とレポートの文字たちが織りなす、追体験。
次回への期待感しか無い。
終わりに
最初に書いた通り、孤独感が解消されていた。
いや、最初に孤独を感じていることに気がついていたかは疑問がある。
ただ、孤独感から救われた。
本当にすごい。
好きな時間をリアルタイムで共有することは想像を超える価値がある。
それを自分には出来ない?
ただの参加者か?
いや、最後のライブレポートのように、それもリアルタイムなのだ。
音楽、トーク、文章、すべてがその時間を共有している。
それを気が付かさせてくれた、YOASOBIはひとつのかたちだろう。
ありがとう。