見出し画像

リセット 〜親はただの人間〜


人生のある時期まで、かなり長いこと親を恨んでいた。

父が私を愛さなかったから、私は男性と真っ当な愛情関係を築けない、とか
母が生後2ヶ月から私を他人に預けたから、私は愛情に飢えているんだ、とか
父に否定されて怒鳴られ続けたから、私は常に自信がなく、仕事もうまくできない、とか

書き出したらキリがない。

究極、あなたたちの遺伝子を受け継いで生まれ、あなたたちみたいな親に育てられたから、あたしはこんな人間になり、こんな人生を送っているんだ、と恨んでいたのだと思う。

ある意味それは事実でもあるのだが。笑笑。

そんな私の長年の恨みが払拭されたのは、忘れもしない、10年前くらいに友人と靖国神社の境内を散歩していた時のことだ。

まるで神の啓示みたいに
『親はただの人間』
という言葉が頭の中に降ってきた。

そうか、あの二人を『父親』と『母親』だと思っていたけど、ただの人間なんだ。

もっと言えば『男』『女』も関係なく、人間にすぎないんだ。

それがわかった瞬間、父と母に対して持っていた様々な思いが、一気に消えた。
頭の中が、真っ白になり、フラットになり、全てがリセットされた感覚になった。


そして、気が付いた。

私の中に、親なんだから、子供を愛するのは当たり前だろ!という大前提があった。
でも、それって実は勝手な思い込みに過ぎないんじゃないだろうか。

しかも、私の中には理想の父親像、理想の母親像があり、それぞれからの理想の愛され方があった。
感情的で些細なことで怒鳴ってばかりいる父には
『父親(男性)なら、もっと理性的に説明し、導いてくれたらいいのに』
と思っていたし
常に冷静で合理的な母には
『もっと母性的に、愛情深く、細やかに気を配って欲しい』
と思っていた。
そんな私の理想に合致しないものを、私は愛じゃないと決めつけ、拒絶していたんじゃないだろうか?


親も、男も女も、実はただの着ぐるみだ。
中に入っているのは、たいがいは全知全能とは程遠い、この私同様の、愚かで無力なただの人間。

ただの人間の二人を、その人生を、あらためて眺めてみた。すると…

あれ?もしかして、案外いい線いってる?!笑笑


だって、人間、生きるだけで大変じゃない?🤣
愛するって、一筋縄じゃいかないじゃない?🤣

自分の将来に夢を持つことさえ難しい時代と環境のなか、よくがんばってきたよねー。
ちゃんとご飯食べさせてくれて、大人にしてくれてありがとうね。
私はもう、ご飯も愛情も、ちゃんと自分で自分にあげられる。
だから、もう大丈夫だよ。

素直にそう思えた。



ちなみに、私が今のパートナーから告白されたのは、その1週間後だった。

親を許し、受け入れた気になっていた。
でも本当は、私が許し受け入れたのは、自分自身だったのかもしれない。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?