プロフィール
本名 高梨 大翼(たかなしだいすけ)
生年月日 1981年12月16日
年齢 41歳
出身地 東京都世田谷区
好きな食べ物 ラーメン、焼き鳥
趣味 アウトドア、シーカヤック、登山、自転車ツーリング、徒歩旅行
誕生~小学校
1981年東京都世田谷区で誕生。
幼少期から運動は割と好きな子供だった。
小学校では、マラソン大会で入賞する事もあった。
注意され廊下に立たされるような落ち着きがない子供だった。
中学~高校時代
中学、高校時代では卓球部に所属。
高校の同級生からママチャリで羽田空港まで行った話を聞いて、自分もママチャリで羽田空港まで行ってみる。往復30km程。
これが初めての自転車旅行だった。
大学時代
勉強はあまりしない子だったが、夏目漱石の「こころ」など文学作品に感銘を受け、二松学舎大学の国文学科に入学。
2000年
大学では何かサークルに入ろうと思い、ワンダーフォーゲルサークルに入る。
サークルではボーイスカウトで長く活動していた岸本君と出会う。
自分にとっては初めてのアウトドアに詳しい友達となり、彼から色々アウトドアについての話を聞く。
高校時代の自転車羽田空港旅行が心に残っていたのか、ママチャリで国道246号線を真っ直ぐ旅行する。
2泊3日の世田谷〜御殿場間の2泊3日旅で初めての一人旅。
また自転車旅行の本を色々読み始める。
印象に残っているのは、熊沢正子さんの「チャリンコ族はいそがない」、のぐちやすおさんの「自転車野郎」シリーズ、九里徳恭さんの「人力地球縦断」等
特にのぐちやすおさんの「自転車野郎養成講座」は繰り返し読む。
自転車野郎養成講座で紹介されていた、ステップを踏んで日本最北端の宗谷岬まで自転車旅するをやりたいと思い旅行用自転車を買う為にバイトを始める。
3ヶ月でお金を貯めて、パナソニックのセミオーダーツーリング車「B-OSKC5」を世田谷弦巻のサイクルショップツバサで購入。
一年後の夏休みに自転車宗谷岬旅が出来るようにと近所からツーリングをし始める。
八王子の親戚の墓まで、環状7号線一周など
2001年
引き続き、自転車宗谷岬旅が出来るようにツーリングトレーニング初めての輪行(自転車を分解後、バッグに入れて公共交通機関を利用する)旅となる房総半島半周旅(東京から千葉県御宿旅)
アライテントのトレックライズ2を購入して、初めてのテント泊となる奥多摩往復一泊旅など。
夏休みに自転車宗谷岬旅をする。
この旅が初めての長期一人旅となり、コツコツやれば自分も出来るんだと人生においても初めての大きな自信となる。
他のアウトドアを始める様になる。
11月 通っていた二松学舎大学柏キャンパスまで50km程歩く。
2002年
この頃にはバイトでお金を貯めて、長期連休で自転車旅行やアウトドア旅行に出かけるパターンが出来ていた。
・春休みに自転車四国一周
・徹夜徒歩旅行(東京世田谷→群馬県相老)
・東京世田谷→二松学舎大学柏キャンパス ローラブレード旅行
・秩父34ヶ所札所徒歩巡り
2003年
・初めてのシーカヤック体験
・徹夜自転車旅(16時間後、居眠り走行転倒で終わる)
大学4年の最後の連休に就職も決まっていたので、今後ロングツーリングは出来ないだろうと考え、最後に海外自転車ツーリングに行こうと考える。
海外自体に行った事がなかったので、色々と本を読んで治安、気候、距離からオーストラリア東海岸(シドニー→ケアンズ)旅に決める。
この旅では初めての渡航経験、海外長期ツーリングを経験が出来た。
やり遂げた事は大きな自信となり、後の自転車世界一周の原動力となる。
会社員時代(20代)
オーストラリア自転車旅後に慢性前立腺炎となる。
自転車のサドルに跨ると前立腺が刺激されて痛くなり、自転車には乗らなくなる。
医者にこの病気とは長い付き合いになると言われ、長い薬の服用が始まる。
社会人になるし、いい年だし、慢性前立腺炎で自転車に乗れないしと夢の自転車世界一周旅の実現できない夢と考えるようになる。
大学卒業後は新卒で正社員として就職。
何も自分で将来は考えておらず、親に営業はどこの会社でも潰しが効いていいぞと言われたまま就活して決める。
建築関係の小さい部品メーカーの営業候補として入社。
長い事トラックで配送や倉庫作業をしていた。
就職して何年かは特にやりたい事もなく、会社の飲み会や同級生とよく飲んだり、夜にクラブに行ったりしていた。
山登りは一度一人で、安全靴など有り合わせの装備で富士山に登る。
しばらくアウトドアとは離れていた。
2008年
何がキッカケか忘れてしまったが、日本で二番目に高い北岳登山に行く事にする。
その時にメレルのローカットハイキングシューズを購入。
北岳登山後、ハイキングシューズがあったので登山に行きやすく、山に行くハードルが下がった。
その後、頻繁に主に一人で登山に行く様になる。
・甲斐駒ヶ岳、安達太良山、妙義山、瑞牆山、雲取山
寒くなってからは徒歩旅行をする。
6年前に自宅から歩いた群馬の川俣駅から再開する。
北上し新潟をゴールに設定する。歩く日程は会社の休みの度に電車で往復して新潟まで歩く。
この旅で雪に降られて歩いた景色が非常に綺麗だった。
雪のシーズンに登山をしないのは勿体無いと思い、雪山登山を始める事にした。
目標は雪の富士山登頂とした。
2009年
一月から早速雪山登山を始める。
最初は箱根等の雪が少ない低山からスタートする。
雪山装備は持っておらず、レインコート、軽登山靴で行っていた。
1月から月に4,5回ペースで登山に行って経験を積む。
2月にはほぼフル装備の雪山装備を揃えていた。
3月、新潟の二王子岳登山。
少し雪山にも慣れて舐めていた。
天候が悪く皆引き返す中、行けるだろうと登り続ける。
頂上までの道は雪原でハッキリとした道はない。高い柱が雪原に何本も立っていて柱を見つけて歩いていくと頂上に着く登山道。
案の定、柱のルート途中で天候で視界が悪くなる。柱から次の柱までの視界はない。
15時頃まで穴を掘って凌いでいたが、足の指先も寒くなってきたし天候も良くなる気配はない。
そろそろ下山しないと途中で暗くなるので、下山するか留まるか決めないと行けない。
ザックに小さなコンパスを付けていたのを思い出して、これを使って下山する事にする。
視界が悪いのでコンパスを見ながら、南に50歩あるいて柱が見えなかったら北に50歩あるいて柱に戻り、今度は東に50歩あるく。
そんな事を繰り返して雪原を戻り、無事下山出来た。
コンパスが無かったら死んでいただろう。
これ以降、アウトドアでは安全第一で慎重になる。
雪の富士山には4月18日に天候にも恵まれたりと運にも恵まれ登頂。
ゴールデンウィークに燕岳など初めて大きなテント泊縦走をする。この山行で会う事が多かった山岳サークル「山の会 頂」の方に話し掛けて貰ったのをキッカケで頂に入会する。
今まで独学で登山をしていたが、会の人達と登山する事も増えた。
また自分より経験がある方が多く色々と教わる。
ロープを使った縦走など、クライミングやレスキュー訓練、読図訓練など色々と経験出来た。
この年は山に41回行った。
今後の自転車世界一周でも登山の時に覚えたアウトドア用品の知識や雪、風など寒さの対処法、荷造りの仕方は特に役にたったと思う。
2010年(29才)
この年は山に行くペースは少し落ちて14回。
もっと難しい登山だとロープを使用するのが必須。クライミングも習ったがロープ使う登山はそんなに好きではない。
自分は長い距離を人力で移動する旅が好きだと思う。
単独登山も少ない年となる。
この年から徒歩旅行を再開する。
東京から小田原までは自転車で走った事があるので、小田原スタートの京都まで東海道徒歩旅行。
長期連休は前の到達点まで電車で行っての東海道徒歩旅行が恒例となる。
登山で揃えたテントなどを道具は持っていたので、野宿しながら旅行していた。
この年は浜松まで歩く。
会社員時代(30代突入)
2011年(29才~30才)
この年は全然山に行かず、一回のみ。
登山の目標も見つけられず、雪山も結構行ったので自分がしたい事はやったという思いがある。
山に行きたいと言う気持ちが弱くなってしまった。
東海道徒歩旅行は無事、ゴールの京都まで到着。
東海道はもう終わりなので、これ以降は更に西へ歩く旅を長期連休の度にする様になる。
年末年始に京都・三条から姫路まで徒歩旅行する。
2012年(30才~31才)
この年は登山7回。
4月末に登山サークル先輩と2人で雪の富士山登山に行く。
5合目でスニーカーなど軽装で富士山に登り、下山できない中国人旅行者と出会う。
他の登山者と3人でロープで確保しながら下山。
タイムオーバーの為、山は登れなかった。
2013年(31才~32才)
この年は登山への意欲が低くなってしまい、登山サークルの山行に2回行ったのみ。
これ以後は自らは登山に行かなくなる。友人に誘れてたまに行く位となる。
日本徒歩旅行は姫路から広島県・福山まで歩く。
自転車世界一周に向けて動き出す(30代中盤~後半)
2015年(33才〜34才)
徒歩旅行をしてるのも、自転車が乗れたら自転車で旅したいというのがある。
自転車で世界一周したいと言う気持ちはずっと持っていた。
退職して旅に出たいが気持ちが踏み切れない思いがあるでも行きたい。
徒歩旅行がその気持ちの表れであり、気持ちを途切れさせなかったのかも知れない。
踏み出せない気持ちを変えたくて、本を乱読し始める。
テーマは「旅、人生について、踏み出す、死ぬ時に後悔する、好きなように生きる、世間体を気にしない」等の本。
この年は26冊読む
2016年(34才〜35才)
1月にネットで検索した海外旅行オフ会に参加する。
この会は二宮さんが毎月主催する旅行好きが集まる飲み会で、自転車ではないが世界一周や数十カ国の旅行経験者も集まる会。
旅好きや豊富な経験者の話を聞けば、自分の気持ちの後押しにもなるはずと参加した。
以後、会には何度もお邪魔して二宮さんや参加者の方にはお世話になる。
8月11日 旅祭2016に参加 海外旅行オフ会で知り合いフェイスブックで繋がった方、経由で旅祭を知る。
旅好き、世界に行った人、世界で活躍する人などが集まりトークライブなどがあるフェス。
日常生活では触れることがない考え方に触れられた。旅の経験者の話も聞けて少しずつ自分の考え方も変わったと思う。
徒歩旅行は広島県・福山〜広島駅まで歩く。
前立腺の病気は少し前から普段は薬を飲まなくても痛くならないようになった。
旅行に出発すると気持ちが強くなってきたからだろうか。
確かこの年からだったと思うがノーズレスサドルという、前立腺に刺激の少ないサドルがある事を知る。
以前使っていた自転車は慢性前立腺炎となり、乗らなくなったので処分してしまっていた。
安いクロスバイクを購入して色々なノーズレスサドルを試し始める。
海外のサイト等を見て、9月に殆どノーズ(サドルの前の突起)がないモデルを手に入れる。
最初は前立腺が痛んだが、角度を色々試して前傾させると痛まない事がわかった。
サドルを試し始めて6個目位だったと思う。
その後、徐々に走行距離を伸ばして前立腺が痛まない事がわかる。
12月に学生時代、旅行用自転車を購入したサイクルショップツバサに久し振りに行き、旅行用自転車を購入。
モデルは以前購入した、パナソニックのセミオーダー車の後継モデル。
年末年始に新しい自転車で前立腺が痛まないか確認する為に自転車旅をする。
今までの徒歩旅行の続きを広島駅〜鹿児島県・粟野駅まで新車で走る。
前立腺は全く痛まず、このサドルなら自転車世界一周に行ける確信をする。
続けていた読書では
「旅、人生について、踏み出す、死ぬ時に後悔する、好きなように生きる、世間体を気にしない」等の本を42冊読む。
2017年(35才〜36才)
世界一周旅行経験者に会って、世界一周についてもっと聞こうと考える。
4月 去年海外旅行オフ会で一度だけ会った事のある友人。
フェイスブックでは繋がって、年も近く、オフ会では3次会まで一緒だった。
突然、メッセンジャーで飲みに行きませんか?と誘ったが会ってくれる事になった。
横浜の白木屋で飲み色々と世界一周について聞く。経験者から2人だけで対面で話を聞けたのは非常に大きかったと思う。
友人にはこれ以後もお世話になる。
続けていた読書では
「旅、人生について、踏み出す、死ぬ時に後悔する、好きなように生きる、世間体を気にしない」等の本を16冊読む。
6月 自転車世界一周で使用出来る、鍵、ライトを購入。
9月頃 職場に自転車世界一周の為に退職したいと告げる。
9月23日 友人主催で送る会を開いて貰う。 (保谷のあらやしき公園にて)
10月頃 家庭の事情で退職を取り下げたいと職場に告げて、退職取り下げてまた辞めたいと告げるが退職出来なくなる。
以後、退職希望は退職希望は継続して告げ続ける。
年末年始 日本横断旅行の続きに行く。慢性前立腺炎の具合確認と体力トレーニングが目的。鹿児島県・粟野駅~鹿児島県・最南端の佐多岬を走り、日本本土最南端到達。
学生の時の宗谷岬までの自転車旅行と合わせて、日本を横断したこととなる。
2018年(36才~37才)
2月25日 ラフピー参加
以前よりお手伝いしていた同級生主催の大人の学芸会「ラフピー」に参加者としても参加する。
参加したのは「大人の主張」企画で昔のTV番組「学校へ行こう」の「未成年の主張」を真似た企画で大人が自分の事を叫ぶという企画。
昔から自分の旅行の夢を知っていた友人達が自分に参加勧めてくれて参加。
旅に出たい事は親しい友人は知っていたが、知らない大勢の人の前でも決意表明した事は決意がさらに強くなったと思う。
3月14日 青木 麻耶さん「チャリンコ女ひとり旅 北米、南米+日本 トークイベント」参加
アメリカ大陸を自転車旅した青木麻耶さんと自転車世界一周旅行者・伊藤篤史にイベントで会う。
退職は決まってないが3月17日頃から旅に必要な物をどんどん集め始める。
7月1日 友人主催 激励会(池袋) *送る会から激励会に変更
7月26日 退職依頼を電話
8月 職場退職決定し退職
8月26日 友人君主催の送る会を自宅で開いて貰う。(旅は1度延期になっているので友人には何度も送る会を開いてもらう)
自転車世界一周(第1次)
9月2日 自転車世界一周第一次遠征出発(アラスカ・アンカレッジ~アメリカ・ボストン)
*旅に行けない時からずっと話を聞いてもらっていた友人に前日に車で自転車を載せて成田に送ってもらう。その日は一緒に泊まり、夜はもう一人の昔からの友人が合流してくれて3人で飲む。
出発当日も遠い成田まで旅行をずっと応援してくれていた友人が送りに来てくれた。
アラスカ、カナダ、アメリカと走る。
当初はビザのある3ヶ月間でアメリカのアイオワ州・デモイン交際空港まで走り、冬は帰国する予定だったが順調に進みデモインまで早く着く。
一旦帰国したり、ゆっくり過ごしたりとと迷う。
こんな時間が取れる事は人生においてもそんなにないはずと思い、アメリカのゴールのボストン目指して走る事にする。
航空券は出発地を変更出来るタイプだったので、電話と英語で苦労したがどうにか変更出来た。
もしボストンまで間に合わなかった場合は手前の空港から帰国しようと考える。
あまり観光はせず、夜も21時、22時まで走ったりと走りっぱなしだった。
夜に田舎で電飾で飾られた馬車が前から突然来た時は怖かった 笑
走りっぱなしの旅でかなり飛ばしたが、そんな中でも家に泊めてくれたり、沢山親切な人に出会ったりして進む事が出来た。
ボストンにはなんとか航空券の日時の何日か前に到着出来た。
もっと余裕を持って旅を楽しんでもいいといつも振り返るのだが、今回はコロナ流行前であったので結果的には良かった。
恐らく、北米横断をボストンまで終えてなかったら世界一周は今だに終える事が出来なかったと思う。
自分でもやりたい事をやり終えて次に進めたので、急ぎでもやり終える事が出来て良かった。
帰国してからは冬は積雪等があるので、暖かくなった春に出発する事にしていたので友人やお世話になった人達と会ったりとしていた。
お世話になった二宮さんの海外旅行オフ会にも12月に参加して、お礼が言えた。
自転車世界一周2次遠征
2019年(37才〜38才)
3ヶ月半程旅行出発まで時間がある。
旅を終えてからの仕事は気になるところ。
最短1ヶ月程で介護職の資格を取れるので、その研修を受けた。
旅はイギリスからの自転車世界一周旅行に向けて、ビザを取ったり、コースを考えたり、装備や持ち物を見直したり、擦り減った自転車のタイヤ交換など準備をしていた。
日本のパスポートは世界でもノービザで旅行できる所が多い。
唯一、今回のルートでロシアのみ自力でビザ取得は難しく代行会社に頼みビジネスビザを入手。
3ヶ月旅行が出来る様にする。
この情報は探すのがは大変だったが、SNSや旅行してる方のブログで見つける事が出来た。
友人夫妻等にはまたまた送る会を開いて貰う。
三月中旬第二次遠征出発
また友人が休みを取ってくれて、自転車を成田まで運んでくれた。前回の帰国の時も来てくれた。
友人達の応援が本当にありがたい。
出発当日も友人達が遠い成田まで見送りに来てくれた。
去年まであれだけ踏み出すのが怖かった退職。
本当にやりたい事にチャレンジ出来るのは本当に恵まれてると思うし、無職で今回の旅も無事で帰って来れる保証はないけど心は充実していた。
以前聞いた事があるが、本当の幸福はお金ではなく自分で決めたという事らしい。
イギリスの西端のニューキーという小さな町を今回の出発地に決めた。
今回は陸地を自転車で旅するが、いずれ船と飛行機で渡った海を冒険したいのでニューキー出発にした。
旅は今回も沢山の親切な人のお陰で順調に進む。
何度か家に泊めてもらい、カナダのキャンプ場でキャンピングカーでご馳走してくれた夫婦のオランダの自宅にも泊めてもらったりした。
戦地となってしまったウクライナも走ったが、自分が走った場所は当時は至って平和だった。
ロシアは距離が長かったが3ヶ月のビザを少し残して予定通り出国出来た。
他の国と違い人工物が少ない美しい風景のモンゴル。
中国はノービザ滞在ギリギリで出国。
韓国は当時、ホワイト国除外で揉めに揉めてたがとても親切にしてもらい無事走る。
韓国釜山から博多へ船で渡り無事日本に帰国。
ロシアの旅ブログや現地でお世話になった綱重夫妻や友人やお世話になった方と途中会いながら、9月中旬に東京の自宅に無事帰宅。
盗難や事故、怪我等のトラブルもなく帰る事が出来た。
かなりヘタレの自分が旅に出て、無事一周を達成出来たのも沢山の応援してくれた人達がいたからだと思う。
実質走っていた期間は9ヶ月で、ほぼ走りっぱなしで観光らしい観光も対してしていないけど、沢山の親切な人との交流があり観光以上の思い出となった。
コロナ流行開始が帰宅して3ヶ月後位なので、一旦旅は完結出来て本当に良かった。
自転車世界一周帰国後
2019年(37才~38才)
11月始め 旅の報告会を SNSで告知して開催。
主にお世話になった方向けの小さな会だったが、SNSで知り合った初対面の方も数人参加して頂いた。
仕事については旅の最中も考えていて1次~2次遠征の間に採った介護の資格があるので、介護の仕事をしながら自分の仕事が作れたらと考えた。
11月中旬に介護職で正社員入社する事が出来た。
偶然にもこの職場で今の奥さんと出会う事になり、幸せな家庭を持つ事が出来た。
未経験で大変ではあるが正社員なので収入は安定した。
流石に最初の職場よりは収入はかなり減ったが、30代後半で仕事を辞めて自由に旅した後でも仕事はあるのだなと実感した。
2020年(38才~39才)
1月頃から新型コロナウィルスが本格流行開始。
9月にアウトドア用品を扱うネットショップ「GEAR BLUE」を開く。
介護職で正社員をしながら自分で仕事がしたいと考えていたが、勤務時間が不規則で特に夜勤がきつい。
夜勤後は翌日休みだが、体を休めないと体調を崩すのであまりアクティブには動けない。
職業的に外食なども禁止。
自分の能力では仕事もなかなか終わらず帰宅もかなり遅くなっていた。
疲れて起業活動はあまり出来なくなっていった。このままでは起業は厳しいなと感じ始める。
何とか起業活動に時間を作るように変えて行かないと思い、仕事が休みの日に自転車でウーバーイーツを試し始める。
最初は家がある神奈川県大和市から東京の渋谷まで片道2時間程掛けて行っていた。
注文量が多く、報酬も高いと考えたからだ。
コツもわからず初日は日給6000円程だった。
2021年(39才~40才)
ウーバーイーツはその後も月数回ペースで試す。
帰宅が深夜の1時頃になり翌日仕事の日もあったりしたが自転車は流石に乗り慣れているので苦痛ではなく体力的にも大丈夫だった。
徐々に要領がわかり日給は1万円を超える様になった。
試す中で近所で稼働してもあまり収入は変わらないとわかり始める。
最低限の収入はウーバーイーツでも稼げるとわかり、ウーバーイーツをやりながら起業活動をすることに決める。
1月頃退職したいと伝える。
介護職は他の仕事ではなかなか関われない人の死も身近な仕事で人生も考えさせられるものだった。
社会的にとても意義がある仕事で職場の上司など大抵の人はとても親切な職場であったが3月一杯で退職。
4月からウーバーイーツを本格的に開始。雇用形態は個人事業主なので開業届を出し、一応独立を果たす。
時間が作れる様になったので、休みの日や配達の前後でネットショップの品揃えを増やしたりする。
ウーバーイーツの仕事は時間も自由で面倒な人間関係もない。
正社員経験しかない自分にはとても新鮮で衝撃的だった。
システム内で働いているとはいえ、自分で稼いでいるという感じがとても嬉しかった。
時間の融通も利き、介護職の時より時間がかなり取れる様になる。
介護職時より規則正しい生活をしてかなり健康的な生活を送れるようになり、体力も徐々に戻る。
以後、下調べ不足で海外から仕入れた商品が税関で止めてしまったりと失敗をしながら商品数を徐々に増やしていく。
店舗はBASE、ヤフーショッピング、メルカリShopsで開設。
40代
2022年(40~41才)
秋頃
酷い腰痛となる。
近所にいい接骨院を見つけて、教えて貰った体操を毎日続ける。
2,3か月後に状態が良くなる。
12月
自転車世界一周時に飛行機・船で渡った海をボートとカヤックで冒険したいと世界一周前から思っていた。
ペースを減らして練習していたシーカヤックの練習を増やして行く。
2023年(41才)
週1回シーヤック練習をノルマと決める。
シーカヤックも腰に負担が少ない船が見つかり、腰痛体操を毎日続けてる限りは腰は良好となる。
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