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10歳近く年下の選手からの"お説教"で、僕の仕事は変わった。


6月以降も、週に4日は在宅で仕事をすることになった。
Zoomでのオンライン会議が主体となるスタイルも、しばらく続く。

ビデオ通話であっても、社外とのやりとりの際は、服装には気を付ける。
打ち合わせに備え、襟付きのシャツをクローゼットから取りだすたび、思い出すエピソードがある。今から9年前のことだ。

その日、僕は10歳近く年下のアスリートから、こんこんと"常識"について説かれた。
それは、仕事のスタンスをしみじみと考えるきっかけになった。

グリーン


2011年。僕は6年間続けていたサッカー担当を離れ、ゴルフを取材することになった。
だが、国内男子ツアー開幕前に、東日本大震災が起きた。僕は被災地取材班に入れてもらい、しばらく東北地方の沿岸部を回っていた。

ゴルフのツアー戦を取材するのは、5月に入ってからになった。
5月28日、千葉県野田市の千葉カントリークラブ梅郷コース。「ダイヤモンドカップゴルフ」第3ラウンドのその日は、朝から雨が降っていた。

その前日。石川遼プロが国内ツアーでは1年ぶりとなる予選落ちを喫していた。
スターの不在。悪天候も手伝い、会場には3055人のギャラリーしか集まらなかった。土曜日にも関わらず、大会初日の木曜日を1000人近くも下回った。

報道控室も閑散としていた。そして、数少ない記者も席に座ったまま動かない。
遼プロ不在で、誰を記事の主語に据えるかは順位次第、状況次第になった。だからとりあえず様子を見る。そういうことだったらしい。

ペン


僕はそうした一般的なゴルフ取材のルーティンを知らなかった。

誰も動かないことをいぶかしく思いながらも「どこかに取材にいかなければ」と控室を出た。
手元のスタートリストを見る。ゴルフ取材に不慣れでも分かる名前があった。

池田勇太プロ。

前年には年間4勝。「石川遼の最大のライバル」として、何度も紙面を飾っていた。
10番ホールから11時15分にスタートする。いさんでその場に向かった。

まもなくスタートだというのに、ティーグラウンド付近は閑散としていた。

それもそのはず。勇太プロは47位と、予選通過ラインぎりぎりの位置に低迷していた。だから上位がスタートする1番ティーではなく、10番ティーでラウンド開始を待っていた。

乗りかけた船だ。とりあえず、ラウンドについていくことにした。勇太プロは12番でボギー。そこからずっとボギーが先行する展開になった。

グリーン


後半に入ると、雨も強まってきた。気づけば、周りにまったく人がいなくなっていた。その時だ。

「なあ、記者だろ?なんでオレについてくんの?」

勇太プロが急に話しかけてきた。

僕は「取材だから」と答えた。やりとりを予想していなかったこともある。言葉は自分でも驚くくらい、ぶっきらぼうに響いた。

いかにも皮肉っぽく、勇太プロは笑った。「仕事した方がいいんじゃないの。今日のオレについてきたところで、1文字にもならねえ」。

僕はなぜか、彼のペースに巻き込まれた。「文字になるかどうかは自分で決められるから、ご心配なく」。柄にもない言い方をしてしまった。妙な汗がにじむのを感じる。

今度は高笑いで応じてきた。そして思いがけないことを言う。「面白いな。メシでもいく?」

ペン


予選を通過した62選手中、61位に終わった大会後。勇太プロは地元・千葉の寿司屋に、僕を招いてくれた。
サッカーや野球の現場の話を、面白がって聞いてくれた。

そこから僕は試合会場で、勇太プロのラウンドについて回るようになった。
「大丈夫か?遼のところに取材にいかないと、会社から怒られるぞ」。そんなことを言いながらも、勇太プロは快く取材に応じてくれた。

ある日。ラウンドを終えた勇太プロが話しかけてきた。

「あのさ、ずっと言おうと思ってたんだけどさ」

妙にあらたまって言う。
居住まいを正して、聞く姿勢をとった。

「寿司屋よ、寿司屋。最初の」

「ああ、千葉の」

「そう。あの時、ポロシャツにジーンズだっただろ。あれ、ゴルフ界ではやめた方がいいぞ」

グリーン


いつもの冗談めかした言い方ではなかった。

「ああいう時はさ、ジャケットは着てなくてもいいから、持っといた方がいい。いくらプライベートの場だと思っても」

同じようにラウンドを終え、クラブハウスに引き揚げようとする選手たちが、ちらりとこっちを見る。
それにかまわず、勇太プロは続けた。

「ゴルフはマナーの世界でさ。いくら熱心にラウンドを取材して、個人的な付き合いができるくらい信頼されても、メシの場でジャケット1枚持ってなかっただけですべて台無しになることもある」

語気をさらに強めて、丁寧に言い聞かせてくる。

「きっとサッカーの世界じゃ、それでよかったんだよな?でもここは、サッカーの現場とは違う。少なくとも、今は。何より『これで大丈夫』って自分で決めていいことなんてさ、世の中ほとんどないだろ。大事なのは『相手がどう感じるか』じゃないかな」

そこまで言い終えると、急に表情を崩した。

「いやー、ずっと言ってやらないといけないと思っててさ。食事した日からずっと気になってて。オレが言わなかったばっかりに、ジャンボ尾崎さんとか青木功さんとかを怒らせちゃったらどうしよう、とかさ。おかげで最近はプレーもぐちゃぐちゃよ」

冗談めかしてカラカラと笑い、僕の肩をたたく。そして「またな」と言い残し、ロッカールームに消えていった。

ペン


大事なのは「相手がどう感じるか」じゃないのか?

その言葉は、とても重く響いた。

ゴルフ担当に移る直前、サッカーの中村俊輔選手からもらった指摘にも重なった。自分が「頑張っている」「良心的にやっている」と思っていても、相手がそう感じていないのであれば、協賛も発展も生まれない。

記者をなりわいにする自分の場合は、特にこういう点を気にしないといけないとも感じた。

とにかく、相手の話を聞き出せないと、仕事が始まらない。情報の精度を高めたり、公平な立ち位置を守ったりするために、できるだけ多くの立場の人から話を聞く必要もある。

なのに、服装1つのことで、話をしてもらえる可能性を減らしてしまうというのは、プロとして決して胸を張れることではない。
ジャケット持参の習慣自体に賛同した、という話ではない。まずは相手が持つ印象を重視するという考え方が、根源的な教えとして胸に深く刺さった。

記者が個性を発揮するとすれば、姿かっこうよりも取材自体のスタンス、そして何より書いたものを通してであるべき、とも言えるかもしれない。
何かにこだわった結果、仕事の質が落ちてしまっては、本末転倒だ。

記者になって6年間、自覚もないままに、あるべき取材機会を失い続けていたように思えてきた。ただただ反省をした。
耳が隠れるくらいまで、無精で伸びていた髪を切った。服装もできるだけシンプルに、清潔感のあるものをと心がけるようにした。

グリーン


勇太プロのおかげで、ゴルフの現場ではとても多くの人とのご縁にめぐまれた。広く、深い取材ができた。サッカー担当当時にはない手応えだった。

それは、身だしなみだけの問題ではなかったのだと思う。

「相手がどう感じるか」というところを突き詰めて考えることで、取材対象へのあらゆるアプローチが自然と変わっていった気がする。

そして、プロゴルファーのプレーを見守り続ける中で、気づいたこともあった。

グリーン


ゴルフの大会というのは、不公平、不条理に満ちたものだ。

特に予選ラウンドは100人以上の選手が出場する。これを2選手、あるいは3選手ずつの組に分け、時間をずらしてラウンドを進めさせる。ゆえに「完全に同じ条件でプレーする」というのが不可能なのだ。

イギリスで行われる伝統の「全英オープン」などは象徴的だ。
1組目の選手は午前6時35分にスタートし、午前中のうちにホールアウトする。一方、最終組は午後4時16分スタート。プレーを終えるのは午後9時になる。

イギリスの沿岸部の天候は気まぐれで「1日の中に四季がある」とまで言われる。
だからスタート時間によって、風もない晴天に恵まれる選手もいれば、すさまじい悪天候の中でのラウンドを余儀なくされる選手もいる。

2011年の全英オープン、勇太プロは第3ラウンドで嵐に見舞われた。
取材する方は「せっかく調子がいいのに、スタート時間に恵まれなかった。ついてない」と感じた。だが本人は気にした様子もなかった。

「うー、寒い寒い!でもあれだな、これはラウンド後の鍋がうめえぞ!チゲのだしを日本から持ってきてよかった」

お前も食いに来いよ。そう言って、肩で暴風を切ってティーグラウンドに向かう。

勇太プロは強すぎる風に、あらゆる球筋を操って対抗した。地を這うような低い球筋。強烈な曲げ球。
時にはスイングの形を大きく崩すこともあったが、それも風に負けない球を打つことを優先したからこそだった。

そうやって、多くの選手が大きくスコアを落とす中、粘ってスコアを保つ。順位は一時、8位にまで浮上していた。

ペン


ゴルフは「自分のスイングができていれば勝てる」というものではない。

自然や環境を最大限にリスペクトして、不条理にもなんとか順応しようとすることで、初めて「結果につながる球」が打てる。

ゴルファーは皆、そういう考え方を持っている。だからこそ勇太プロも、僕に対して「大事なのは、相手がどう感じるか」という言葉を自然と口にしたのではないかと思う。

ネットの世界に来た今も、勇太プロの言葉は自分の中で、とても大事な教えとして生きている。

スマホ


新聞社ではよく「いい記事は必ず読まれる」と言われていた。それは本当に理想だと思う。ただ、現実ではない。それは数字が示している。

ネットで読まれる記事の大半は、人気のあるタレントの近況であり、スキャンダラスな見出しのものだ。新聞社内で「いい記事」と言われるような、しっかりとした取材に根差した硬派な記事は、簡単には読まれない。

そして、世の中の流れ、仕組みも刻一刻と変わる。コロナ禍が最たるものだ。多くのものが損なわれ、価値観もがらりと変わった。
昨日まで「いいね」と言われていたものが、もう価値を持たなくなる。「いい記事」かどうかが、世に出すタイミングによって変わることもある。

これこそが「相手がどう感じるか」だと思う。そこをよく分かることこそが「いい記事こそがより読まれるように」の第一歩ではないか。

今はプラットフォームで働く立場として、いろいろな媒体の皆さんとこうした話し合いをさせていただいている。やはり「いい記事には世の中をほんの少しずつ良くする力がある」と信じたいからだ。

ユーザーにとってどうなのか。世の中にとってどうなのか。
これは記事だけでなく、あらゆるアウトプットについても、同じことが言えるようにも思う。

強い思い入れを持ってつくったモノを世に送り出す時ほど、より大事になる視点。そんな気がする。

◇   ◇   ◇

2014年の冬。
勇太プロはゴルフ担当を離れる僕に「はなむけだ」と言ってビジネスバックをプレゼントしてくれた。

「ゴルフ担当出身の記者がだらしないと思われたら、たまらんからな」

そっぽを向きながら、ぼそぼそと言う。

包みを開けた。
濃紺の生地のバッグ。実にシンプルなデザインだった。

だからこそ、わずかに施された赤いステッチが、とても映えてもいた。




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