コロンビア映画「MONOS」の感想

事実を元にした、反政府ゲリラ内の「少年兵」を描いたコロンビア映画「MONOS」については、ある、反政府ゲリラ内のセンセーショナルな部分を濃縮したエンターテイメントなんだろうなという印象を持ちました。

外からわかりずらく、なんとなくこれまで漏れ聞こえてきたわかりやすい「ゲリラ」の一面は、そういった姿を求める人にはとても面白いし、「あぁ、やっぱりひどかったんだ」と、納得できるところが多々あると思います。実際に、こういった場面はあったということも理解できます。

でも、これはある一面の話でもあり、すでにあった「イメージ」の外側にある、こういったイメージにそぐわない、描けていないはずの地味な部分がばっさりと切り落とされているのは、やっぱりエンターテイメントなのだと思います。

そして、こうしたイメージを求める人に「あぁ、やっぱりゲリラってひどかったんだな」と、ゲリラと無縁に生きることができてきたこの世界の大部分の人が、ゲリラであったある地域の人たちのことを、ただ、消費する機会を作るだけのものなんじゃないかと思ってしまいました。

ゲリラに入っていた若者は「バカ」ではない。というのは、実際に出会ってきた人たちから僕が受けた強い印象です。

和平後、こうした既に世間にあったイメージを前に、社会の厳しい視線に晒されながら、コロンビアの市民社会に「復帰」するため、学校で学び直し、職を得つつ、ひたむきに地味な毎日を過ごす1万人近い「元ゲリラ(FARC)兵士」と、FARC以外の元非合法武装組織の人たちがいるということは、当事者を少しでも知る機会を得てきた人間として、強く言っておかなければいけないのだと僕は思います。

映画を観た後に、「あぁ、やっぱりゲリラはひどかった」と興奮の中で思うとともに、ここに描かれていない大事なこともあるということに、少しでも思いを馳せることができれば、この映画を見ることが、世界にある問題解決のための、より建設的な機会になるのではと思う次第です。でないと、SFを見るのと変わらないと思うのです。事実を元にしたなどと言わなければ、差別を助長せずにすむので、まだいいのかもしれないとも思うのです。

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