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保育園の利用調整をめぐるあれこれと、それについての意思決定プロセスについて

1月27日(木)夕方、三枝夫妻に衝撃が走りました。
R3年度11月より通っていた家から徒歩10分の北小野保育園に、利用調整の結果R4年度は通えないことが決まったのです。
とにかく三枝家にとっては衝撃だったのと、一方で様々なことを検討して二次調整には出さず、利用調整にて決定した郷原つつじ保育園に通ってもらうことに決めたました。

「子供のこと」でこんなにも感情が揺さぶられるんだというのが新発見であり新鮮で、折角なので記録しておきたいと思って筆を取ります。

塩尻市の保育園事情

詳しくは「保育園入園のご案内」に記載あります。

https://www.city.shiojiri.lg.jp/uploaded/attachment/15890.pdf

多分どこの自治体もそうだと思いますが塩尻市もご多分に漏れず、年度途中の10月くらいに次年度の入園希望申し込みを行い、各保育園の定員や保育士の人員配置などを鑑みて「利用調整」という調整を行なって、次年度どこの保育園に通うかが決定されるというプロセスを経ます。

今回、我々はこの「利用調整」によって、第1希望の北小野保育園に落ちまして、第2希望の郷原つつじ保育園に決まったわけです。

塩尻市の保育園事情において、3歳未満のいわゆる「未満児」は、かなり激戦区になります。保育士が子供を見ることのできる最大人数が少ないため、各保育園に配置する保育士に数によって、未満児の受け入れが少なくなることがよくあるのです。結果、希望が集中する保育園や、人口の多い地区の保育園は激戦となり、中には希望園から落ちる家庭も出てくるわけです。

そして、希望園に行けるかどうかというのは、保育園の「入園の要件」にどれだけ適合するかと、その他の調整要件によって、点数化されて順位がつけられ、順位が上の人から希望が通るという構図になります。
入園の要件とは、例えば両親ともに就労をしていたり、疾病があったり、家庭内で介護や看護をする必要があったり、などなど。調整要件は、兄弟姉妹が同じ園にいたり、ひとり親だったり、などなどです。

そして、1月下旬に利用調整が決まった後、希望園に入園できなかった際には申し込めば2次利用調整があり、空きがある場合に限って調整がされます。

以上が、保育園決定プロセスになります。

自分自身も市役所勤務であり、入園希望と利用調整を管轄するこども課がどれだけ頭を悩ませて、保護者から様々な要望がある中で決めているか、漏れ聞こえてくる話から、想像を絶する大変さがそこにあると思います。
2年前にそんな大変さを改善しようと、RPAとAI活用による業務効率プロジェクトも実施しましたね。

https://www5.cao.go.jp/keizai-shimon/kaigi/special/innovation/181112/pdf/shiryou3.pdf

そんな形で、保育園の割り振りは決められています。

北小野保育園に落ちた当初のこと

我々は当然のことながら、今年度から入園している北小野保育園を第1希望にしました。
娘の1個下、すなわち本年度産まれた子たちが多いのは理解をしていたし、その中でも育休から復帰するので保育園に入れる希望があるというのも伝え聞こえていて、入園希望者が多いというのは認識をしていました。ただ、どこかで「今年度も入っているのだから、まさか転園なんてないだろう・・・」という考えもありました。

そんな考えが崩れ去ったのが、1月27日夕方に帰宅し通知を読んだ妻からのLINE。
衝撃が走り、思わず頭を抱えました。
落ちたということは頭では理解したものの、それを受け入れることができず、どうそれを腹に落としていけばいいか分からず、色々なものごとがフリーズしたのを覚えています。

ここまで現実を受け止めきれず思考がフリーズするのも我ながら珍しいと思いつつ、何故こんなにも過剰なリアクションを取ったのか、いろいろ考えてみました。

まずは、娘という観点。
1歳で保育園に入り、最初は泣いていたり給食も食べなかったのが、優しいベテランの保育士さんに優しく保育してもらって、連絡帳からも楽しそうな様子がとてもよく伝わってきました。保育園の中で遊ぶときもそうですし、晴れた日に保育園周辺を散歩する時もそう。姿こそ見られないものの、とても楽しそうな様子でした。
また、1月に行われた三九郎の時も、保育園で一緒のお兄さんお姉さんが「のどかちゃん!」と言って嬉しそうに近寄ってくれているのは、保育園でもかわいがってもらっているんだろうなあと思いました。
そんな、数ヶ月で作った素敵な環境と関係性が4月でなくなってしまい、別の環境に飛び込まなくてはいけないのは、娘にとってもつらいことだし、ストレスになるんじゃないかということをイメージしたことが大きいと感じます。

そして、自分の観点。
自分自身がこの北小野という地区がすごく好きで移り住み、その魅力を伝える企画を頼まれもしないのに仲間と実施して、結果として「子育てはここでやりたい」という確信に変わって家まで建ててしまいました。たまに午前休の時は娘を抱っこ紐に入れて、北小野の景色を見て「山だよ」「カラスだよ」と言いながら歩いて保育園に送ります。迎えの時も然り。そして、保育中に娘が北小野保育園の外で散歩しているのも想像して「この環境で、保育園の中じゃない場所で遊べるのは、本当にここに移り住んで幸せなことだなあ」と思っていました。春になれば暖かくなり、もっと外で遊べたり、送り迎えも一緒に行けたりするんじゃないかなあとか、そんな期待に(自分でも驚くほどに)胸を膨らませていたようです。
それが、叶えられなくなる。このことは「北小野に移り住んだ意味」という問いに対して、圧倒的に答えが見つからなくなる要素を含んでいます。子供をこの環境で育てたいからこそ選んだのに、それが自らの選択以外の理由で実現しなかった。そんな中で「何故、この土地に移り住んだのだろう」という疑問が思い浮かばざるを得ないのです。
ここの瓦解は、自分が「今、この場所で、生きている」ということに対して極めてモチベーションが下がることになりました。

上記のことが、頭の中をずっとぐるぐると飛び回り。
全てのことに対してモチベーションが湧かず、4月以降のことを考えると何も手がつかないくらいやる気が失せる状態が、しばらく続いてました。
我ながら自分でも驚愕の落ち込み具合、妻からも心配されました。

色々納得して、結果的に「まあ北小野保育園じゃなくてもよかったよね」と時を経るとなる気はしますので、この時の感情はここに残しておきます。

郷原つつじ保育園に腹を決める

北小野保育園に落ちて、2次調整で再希望を出そうと思ってました。
ところが、調べれば調べるほど「あれ、郷原つつじ保育園でもいいじゃん」となり、いよいよ2月1日に妻から「私はつつじ保育園に決めた!」と連絡があり、2次調整も出さないことに決めました。
その意思決定には、色々な理由とプロセスがありました。

まずは、郷原つつじ保育園の特徴。
こちらは公立の保育園ではなく、私立の認可型保育園です。未満児のみを対象にした小規模の保育園で、設立前にこんなクラファンも行ってました。知らなかったのですが、ちらほら支援している知り合いも・・・笑

我々は大人数の保育園よりも少人数保育でじっくり見てもらえて、年齢飛び越して交流ができるようなところがいいなと思い、北小野保育園の次につつじ保育園を希望しました。友人の息子も通っているので聞くと、本当に小規模で丁寧に一人一人子どものことを見てくれるというのを実感を持って話してくれて、その特徴は心惹かれるものであるのは事実でした。

そして、利便性の観点。
郷原つつじ保育園は妻や私の職場から車で10分程度。しかも小児科や松本歯科大学病院が近くにあるので、娘に何かあった時も早退して引き取ってそのまま病院に連れて行くことができます。また、私立なので日祝日や夏休みや年末年始を除いて土曜保育や春休みなども保育を行っているとのことで、春休みや夏休みは閉園する公立、また土曜日は保育をしていない北小野保育園に比べると、ここは大きなアドバンテージになります。
私自身が4月から大学院に通い、土曜日はリアル講義のため長野市まで行く必要があり、妻は妻で早速本業以外の仕事をスタートしている中で、土曜保育を利用する可能性は正直高く。そんな中、保育園を変えずに預けられるのはとてもありがたいことです。

上記の事情が色々判明してきて「あれ、意外と北小野保育園よりもしかしていいんじゃないか・・・」という思いになってきました。
まあ北小野を散歩するのは休日とかにぶらぶら一緒に散歩すればいいや、とか(幸いに三枝も妻も家でじっとしていられない無類の散歩好き。乳児の頃もよく連れ出しまくってた)。友達の関係も、この環境だと中学校までほぼ同じメンツの腐れ縁になる中で、この時期の1年や2年くらいは外の環境に出ていった方が、強く育つのではないかという思考回路に徐々に切り替わっていきました。

結果、もはやその次の年度もつつじ保育園でいいんじゃない?くらいのテンションで妻と会話をしてたりしてます。
落ちたことが腹落ちするどころか、一周回ってむしろよかったという、なんて現金なやつだと思うわけです。人間なんてそんなもんよ。

子供が絡むことに対する、自分の感情について

そんな感じで、北小野保育園落ちた騒動は、家庭内で収束を向かいました。
(色々愚痴らせていただいた方への落ち着きましたありがとう連絡はまだです。ご迷惑をおかけしました)

今回の騒動は、自分自身でも意識していなかった感情や、その感情からくる反応に気づくきっかけとなりました。

子どものことになると、自分でもかなり過大に色んな反応をするんだなあということ。
自分が多少理不尽なことに遭遇しても(それが自身の矜持や存在意義にかかる場合を除いて)「まあいいや」「ことを荒立てることはないやろ」と鷹揚に構えられるのですが、やはり子供の環境や成長のことになると、結構な感情量が溢れてくるものだというのは新鮮な発見でした。こども課の苦労は理解をし、万人が納得できるルールがない中で運用を定めているのも理解をしつつ、そのルールに対する不平不満が生まれ、事情を知らない中で他の家庭と比べてしまったり、その中で決められたルールは本当に必要な人に届いているのかという怒りまではいかないまでも、そんな感情が生まれたり。
子どものことになるとクレーマーみたいになる人がいて、自分はなるまいと思ってましたが、自分の中にだってそれは確かに存在して、何かきっかけがあれば鎌首をもたげてくるもの。だからこそ、その動きに敏感になって、中立的で多様な視野を冷静に持つことを、ちゃんとバランスを取っていく必要があると感じました。自分の感情をメタ認知して、ただの独りよがりなのか、筋の通った意見なのか、殊に子どものことに関しては注意してやる必要があるなと。

また「自身の選択」に対して、無意識のうちに執着とも言えるような期待感や見返りのようなものを求めるようになるということにも気づきました。
はっきり言って北小野に移り住んだのは完全に自分(と妻の)エゴスティックな判断で、ただ「ここで子育てしたいやん!」というだけの筈です。北小野でやってる企画も、「地域のためになることをやろうぜ!」というよりは、勝手に好きでやっているだけです。北小野に友人を移り住まわせてますが、それも「気安く飲める人が地域に増えると、自分が楽しい」というマジで勝手なエゴです。
それが「自身が子育てがしたいと思って住んだ地域である」という中で「保育園に入れられなくなった」ということで、住むという選択をした意味が崩れ始めて。そこから「ああ、なんか今までやってきたことは何だったんだろうなあ」「望む暮らしができないのに、なんか頑張るのやめようかな」みたいな所まで感情が行き着いてしまったように感じました。自分が好きでやってることなのにね。この「急速な愛情の冷え方」は様々な分野で自身の特性でもあると思いました。
これも、色んなものとのバランスや距離の取り方な気がしてます。選択をするのはいいけれど、その選択を以て過剰に自分の思考を縛らないこと。執着を手放すこと、現実を受け入れられる柔軟性を持つこと。「選択をする」「覚悟を決める」はいいことだけど、一方で身体や精神をこわばらせ、現実を受け止める柔軟性を無くすんだなあと気づきました。

今回は「子どものこと」「自身の生きてる上での選択」の両要素が重なったからこそ、かなり大きな感情になってしまったのだと感じました。
常に客体化して、自分の揺らぎに気づきバランスを取り、最善の選択をすること。
今回のような自分の力が及ばないこと、自分の責任の範疇で決められないこと(そしてそれは「人為の及ばぬこと」にもつながる気がしている)に対しても、受け入れられる柔軟さを持つこと。

自分でも気づかない自分に気づいた、良い機会でした。
これからも、素直に自身と向き合いながら、子供とも向き合っていければと思います。

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