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ソーシャルバーPORTO辰野店で作ってみたいと思うもの

2023年9月に、東京で活動しているソーシャルバーPORTOが、隣の辰野町で新たにお店をオープンしました。
共同代表をしていて、辰野町に移住した山下実紗ちゃんが「辰野町や、ローカルに、PORTOのような場所が必要だ」という想いで、辰野町の市街地で空き店舗を借りてスタートをしました。

その想いや経緯は、こちらのnoteに愛を込めて実紗ちゃんが綴っているので、是非ご参照を・・・!

ありがたいことに、そんな想いの詰まったお店の日替わり店長にお声がけをいただき、毎月第2金曜日はカウンターに立っています。
2023年10月から入ったので、2024年2月現在で合計4回カウンターに立ったことになるわけです。
毎回毎回、自分はどんな雰囲気にしたいのかなあ・・・などということを考えながらイベントページを作り、挙句のはてにクセの強すぎるサムネイルを作り、お客さんは数名しか来ないという感じになっているわけですが(笑)

12月のサムネイル画像

おかげで、店長ごとの売り上げを見ても三枝はダントツで一番低いという事態(笑)
「PORTO辰野店ってどうなってくの?」的なミーティングで、収支関連をgoogleスプレッドシート使って、収支内訳と目標みたいな数字部分をまとめている張本人が、誰よりもお金を稼いでいないという不名誉な状況になっています汗
今のところクビにされていない実紗ちゃんの寛大さに感謝しつつ、お払い箱になるまで続けようかなと思っている次第です。

次回5回目になる中で、少し言葉にしてみます。


【思い出に残る、酒場たち】

「どんな酒の場を作りたいか」を抽象的に語るよりも、自分が好きだった店、印象的だった店を語った方が、素直に語れるような気がする。
印象に残っている酒場を、記憶の中から紐解いてみる。

酒場感のある写真

翠林@京都市左京区

大学生の頃、大学から自転車で1分の距離にあった「翠林」は好きだった。
バイト代の殆どが後輩の腹の中に消えていく応援団という名の宗教団体に大半を費やした学生時代だったが、なけなしの剰余金を持って飲みに行っていた。何もない日でもふと行きたくなったり、バイトの帰りに飲んで帰ったりしていた。

何か美味しい酒があった記憶もないし、名物的に美味しいものがあった記憶もない。
いや、料理は美味しかった。美味しかった記憶はとてもある。
締めのうどんの出汁を冷凍したものをいつだかいただいて、それがめちゃくちゃ美味しかった記憶がある。
また、麒麟山という新潟の日本酒が飲みやすかった記憶がある。あと、凍らせたウイスキーをいただいて、ガンガンにキマるヤバいやつだと教わったのも、鮮明に覚えている。

まあでも、そのくらいだ。
つまり、自分は翠林に、美味しいお酒や食べ物を求めて行っていたわけではなかったとも言える。
では、なぜ行っていたのか。
それは言うなれば「大将に会いに行っていた」ということだと思う。

大将のことも、顔は明確に覚えているのだが、実はプライベートな情報はあまり覚えていない。
多分、当時40代くらいだったんじゃないだろうか。なんか離婚した後に、当時付き合ってるだかとかがあったかもしれない。店もずっとやるつもりはなく、なんか屋台みたいなのを出したいだの言ってた気がする。あとどっかで修行した、みたいなのも話してた気がする。
唯一と言っていいくらい覚えているのは、下ネタで恐縮なのだがち◯この硬さは鍛えられるというしょうもない話くらいだ。濡れたタオルをひたすら打ち付けるという、頭のおかしいやり方を教えてくれた。

そんな調子だが、とても居心地が良かった。
大学内では応援団の団員であるという肩書き(?)を持っていろんな人に接していたし、アルバイト先では与えられた役割があったし、自分が置かれる場面や肩書きによって、いろんな違う自分を使い分けたりしていた。
でも、翠林では多分、他の誰でもない三枝大祐でいられたのだろう。応援団の自分も、バイトしている自分も、全てひっくるめた個人として、自分がいられた。

それは、おそらく大将が、自分をそういう認識で扱ってくれたからだろう。
程よい距離感で、話を聞いてくれつつ、なんとなく話がしたそうなことを引き出してくれる。
気取る必要もなく、自然体でいることができて、自然体で話ができるような、そんな雰囲気。

以前京都に行った時、すでに店は無くなっていたけど、どこに行ったのだろう。
吉田山のあたりで屋台がしたいと言ってた気がするが、相変わらず飲み屋をやっているのだろうか。
いずれにせよ、忘れ得ぬ店である。

お好み焼き加賀屋@広島市

ファーストキャリアのAGCで広島のお客様担当になり、開所したての営業所に1人で赴任となった際に、心の拠り所であったお店。
場所は営業所のすぐ裏、自宅から徒歩3分程度という生活圏ガチガチの立地。
カウンター10席弱と、小上がりが3-4席くらいあり、広島のお好み焼き屋にあるようなデカい鉄板を挟んで、お母さんが基本的に1人でやっている(たまにバイトさんがいる)お店。

加賀屋、お母さんは後列右から3番目

お母さんは富山県出身で、ずっとサントリーに勤めていた。
夫の都合か転勤か忘れたが広島に来て、退職したおり、オタフクソースが行っているお好み焼きの開業支援に通い、開店をしたとのこと。
お好み焼きといえば「ビール」というイメージがある中で、サントリーに勤めていたので「ソースにはワインがあうんちゃう」と思い、ビールだけでなくワインも充実。

お好み焼きや鉄板料理は、もちろん美味しかった。
ワイン充実・・・と言いながら、でも自分はビールをよく飲んでいた気がする。
でも、食べ物やワインを目的に、通っていたわけではないように思う。

思い出深いエピソードがある。
ある日、仕事が遅くなって、22時とかその辺りに職場を後にした。
一人暮らしで、家に食材や料理もなく、外食をしようと思い、加賀屋に足を運んだ。
シャッターは半分くらいしまっていたけど、でも「もしかしたら」と思い、シャッターをくぐってお店に入った。
もちろん店は閉まっていたので、お母さん1人仕事を終えて一服しているところだったが、「ええよ、はいりんさい」と言ってもらい、席に着いた。
「鉄板の火は消したから、大したもんできんよ」と言ったけど、余熱と電子レンジを駆使して、ご飯と、味噌汁と、キャベツの千切りに豚焼肉と目玉焼きを作って出してくれた。
お母さんと話をしながら、とてもありがたく温かみのある夕飯を食べ、店を出ようとしたら「これ、売りもんやないから、ええよ」と言われ、結局ご馳走になってしまった。

この店も、結局は、お母さんに会いに行っていたのだろうと思う。
知り合いも誰もいない、会社の人すらいない土地に、1人で赴任になり、事務所も1人で仕事をしていた(上司は1週間に2-3日くらいホテル泊まりで来てた)。
そんな中で、下手するとお客様としか話をしない日もあり、誰かと話をしたりするのに飢えていた中で、鉄板を挟んでお母さんと話をしたり、お母さんを介して常連/初来店の人限らず隣の人と話をしたりできるのが、心の拠り所になっていた。

「お酒、作りまっせ」と言って、たまにビールを注いだり、ハイボールを入れたりしていた。サントリー流なのかはわからないが、ハイボールの作り方を教わったのは加賀屋であった。
退職が決まり、広島を離れてもお好み焼きが食べたいと言って、作り方を教わったのも加賀屋であった。三枝のお好み焼きは、加賀屋の作り方がベースになっている。
NPO法人ひろしまジン大学でボランティアスタッフをした時に、初めて授業を作ったのも、加賀屋のお母さんに先生になってもらった。「何を私は話せるかわからんわ」と言いつつ、「でもやってみるかね」と承諾してもらって、お母さんの話を聞きながら授業のアウトラインを作り、店に通っては練り込んでいったこともある。
広島を離れる日、最後にお店に寄ってお好み焼きを食い、お世話になった御礼に熊野筆の化粧品をプレゼントし、泣きながら抱き合った。

加賀屋なしに、広島生活は語れない。
広島で過ごした日々の、確かに心の支えとなるお店であった。
2023年に、10周年を迎え、加賀屋は閉店した。

中央味食街の一角に佇む店@金沢市

2021年くらいだろうか、金沢を訪ねたときに出会った。
金沢市の名物(?)、中央味食街の一角に佇む店。
中央味食街と言っても「街」ではなく、「路地裏のレトロな横丁」が示すとおり、長屋に店舗が入っており、店内はカウンターしか設けられないような狭い空間。
この店は、観光客として訪れた。

その日は、割と遅くに金沢に入り、チェックインした。
以前に行った中央味食街の雰囲気が忘れられず、いそいそと繰り出し、それぞれの店の雰囲気を見ながら吟味。
入った1軒目は常連同士と店主が話しているような雰囲気があり、周囲は盛り上がっている中で、刺身や酒を頼みながら、なんとなく所在のなさを感じていた。
2杯くらい飲んで2軒目、どんな店かも分からなかったがふらりと入ってのが、そのちゃんだ。

「やってます?」と言って入るなり、いきなり店主のお母さん(おばちゃん)から「ああ、どこの人や?」みたいな感じでぶっきらぼうに言われ、「なんや、もうやっとらんわ」「まあええ、入りな」というメチャクチャな感じで、入店許可。
店内には、少しいかつ目な感じのおじさまと、その横に夜の商売をやっていそうなお姉さまがお二人。常連だと思われる雰囲気で、お母さんと話している。

「兄ちゃん、この店はじめてか」みたいな会話が確かあった気がする。
そこからお母さんや来ていたお客さんと話を始めて、ビールを飲みながらなんだか盛り上がった。

しばらく話をした後に、おじさまから「兄ちゃん、この後はどっか飲みに行くんか」と言われ「いえ、何も決めてません」と返したら、「そやったら一緒に行くか、連れてったる」と言ってもらった。
そのお店のお金も全部一緒に払ってもらい、そして北斗の拳ファンでヒゲで坊主で中肉中背の方がシャツを着てバーデンをしている、カラオケBarに連れて行ってもらった。
酒を傾けながら何曲か歌ったのち、そのおじさまは「うちらは行くからよ、金は俺につけといてもらうから、好きなだけ飲んで帰れよ」と言って、去っていった。

肝心の1件目はなかったが、2件目のカラオケバー。

知らない街で、知らない誰かと飲むことはちょいちょいある。
だが、ここまでの強烈な思い出は、なかなかない。

博多の角打ち@博多

もう10年も前のことになるだろうか。
友人の結婚式で、出身地である福岡を訪れた。
前日入りしてゲストハウスにチェックインし、浪人の時に過ごした街並みに懐かしさを覚えながら、たまたま見つけた角打ちに入った。

相席的にテーブルを囲みながら、サラリーマン2人と話をし始めた。
上司と部下?先輩と後輩?だったか忘れたが、年上と年下の2人だった気がする。
年上のおっさんは割と酔っ払っていて、酒好きの闖入により、さらに酒が進んで、だいぶ声が大きく足元もふらつき始めた。
そしてそのうち、ふらついた拍子だったか、会計をして出ていく拍子だったかで、隣で飲んでいた女性に足が当たってしまった。
店を出たところでそのおっさんは倒れ込んでしまったが、女性に足が当たってしまったことを咎める別の客が出てきて、喧嘩みたいになった。
行きがかり上、仲裁をしながら、おっさんはいよいよヤバくなってきたので、救急車を呼んだ。
しばらくして救急車が来て、おっさんと年下の人は、救急車で運ばれていった。

見送ったのち、咎めていた別の客の矛先は、三枝に向かうことになった。
「あんなんあかんやろ、連れがしっかりせえや」みたいなことを、結構な剣幕で言われたような気がする。
ただ、あくまで三枝は、たまたま同席した無関係な人間である。
そのことを説明したら、途端にその客は態度を変え「それはすまんかった」「兄さんもお疲れやったな」「俺も悪かったから、もう1軒飲みいくか」と言って、そのグループの3人くらいと飲みにいった。

それだけのことだが、博多の人情を、なんとなく垣間見た気がした。

【まとめてみる】

綺麗にまとまる自信はないが、なんとなくまとめてみる。

まず「こういう店じゃないなあ」というのをつらつら語ってみる。

自分は特に、酒や食そのものを目当てに来るような感じではなくていいと思っている。
PORTOの基本メニューは、瓶ビールや、分量を計って混ぜて作れるカクテルなどが基本で、まあ言ってしまえば「それを飲むために」という特別感のあるお酒があるわけではない。食べ物メニューも、レトルトのPORTOオリジナルカレーのみで、美味しいけれど「それ目当てで行きますわ!!」というコンセプトではないと思う。
自分でお酒を持ち込んでメニューを増やしたり、作って食べ物メニューを増やすこともできる。ただ、自分が作る飯はまあまあ美味いとは思うがマジで単なる素人だし、飯で金取るのは本業のプロに失礼な気もしている。それは自分の家で、いい酒仕入れて、適当に料理を作って食ってもらうでいい気がする。というか、仕事もしている中で金曜日の19時くらいスタートだと、そもそも作れない。
というか、なんならせっかくなので辰野の他の店で食って飲んだ後に寄ってくれるくらいでいい気もする。遠くから来る人にとってはPORTO以外で辰野町にタッチするきっかけにもなるし、その結果地域が潤うならそっちの方がいい。

また、常連のコミュニティが強すぎる店には、あまりしたくない。
自分自身が結構そういう店は入りづらいし、既存のコミュニティにカットインするのって、割と苦手で、なんとなく所在なさや居心地の悪さを感じてしまう。
かといって、総員ウェルカムでもないような気がする。上記の言葉で収束したようなコンセプトが受け入れられない人は、多分アンマッチになるんじゃないかと思う。肩書きで話をしたい人とか、あまりの距離感が近すぎたり、一方的に話しすぎまくる人は、なんとなく自分も楽しめないし、来ている他の方も楽しめない気がする。何より、多分その人自身が、お金を払う意義を見出せなくなるように思う。

その上で、作りたい店は、こんな感じかなあというのを綴ってみる。

なんとなく言葉にするなら「気軽に気取らずに話ができる」「自分が肩書きとか関係なく、まず1人の個人として居られる」「たまたま隣になった人と、いい距離感で話ができる」みたいなことに収束される気がする。
店に入る時に、外で色々着込んでいる自分自身のさまざまな所属や肩書きを脱ぐことができて、カウンターにチェックインすることができる。ふうと一息入れると、それらがさらにときほぐされて、なんとなく居心地の良さと悪さが気持ち良く同居する感覚になってくる。酒(ノンアルも)を煽りながら会話をしたり聞いたりすると、なんとなく店と自分の距離感が見えてきて、しっくりとし始める。そして、向き合って話すではない方向だからこその会話と関係性が、隣のお客さんとも育まれ始める。
目の前でそんな光景が繰り広げられると、「ああ、自分はこういった雰囲気が好きで、作りたかったんだなあ」と、思うのだろう。

そんな「体験」を、きてもらう人には、してもらいたい。

「体験」と言ったときに、一つ、思い出すものがある。
それは2023年6月29日で解散した「BiSH」という、アイドルグループであった。
三枝は解散までの1年半、どハマりしてライブに行きまくっていた。
(その話は別のnoteで書く予定だが、かれこれ半年くらい下書き更新を繰り返して7000字くらいに膨らんでいる)
BiSHのリーダーであるセントチヒロ・チッチがライブでずっと言っていたのは、「仕事とか、いろんなやることがある中で、私たちのライブに来る時間を作って、来てくれた」「日々のつらいこと、大変なこともあると思うけど、このライブがあることで『また頑張ろう!』って思える」「そんな時間を、みんなと作り上げて、共有していきたい」というメッセージだ。

そんな体験を、PORTOに来る人にもしてもらいたい。
仕事人に限って言えば、平日勤務の人にとっては華の金曜日、昼勤務の方は仕事終わり。それぞれが多少なりとも疲労を感じながら、それを癒したりする方法や、休日に入る前夜にやりたいことは、個人個人それぞれ色々あるはずだ。
その中で「あ、なんか三枝おるから行ってみようか」とか「今日そういえばPORTOやってたな。誰がおるか知らんけど行ってみっか」みたいな選択を、来てくれた人はしてくれたわけだ。
その人が「ああ、なんか楽しかったな、面白い人がいたなあ」「行けるかわからないけど、来月も楽しみだなあ。頑張ろう」みたいな。そんなじんわりとしたエネルギーが、店を出る時に湧いてくるような体験をしてほしいと思う。

そして、なんとなく上述した雰囲気と、体験ができる場所が、私にとっては「思い出に残る、酒場たち」に挙げたような、「場末の酒場」なのである。
その表現がマッチしてるかはわからない。
要するに「場末の酒場」という響きが、ただただ好きなだけなのだ。

1月のPORTO、椅子あるのに取っ払って、場末の角打ち感があってよかった。

以上、僭越ながら少し言葉にしてみました。
自分がそんな価値を、バーの店長という手段を通じて、提供できるかはまだまだ自信をもって「できるで!」とは言えないですが・・・
この考えをベースに、色々工夫してみたり、また違う考えが浮かんできたら変えてみたりしながら、楽しんでゆるゆる続けていければと思う次第です。


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