何もかもが早くなり、行動を促されていたあの頃
COVID-19が猛威を奮い、少し落ち着き、また鎌首をもたげ始めている、ように見える。
猛威を奮っていたあの頃、身の回りが、そして自分自身が、お互いを巻き込み刺激し合いながら、様々な行動を促し、何かが急速に早くなっていった。
そんなことを思い出しながら、まとまりのないことを、綴ってみる。
COVID-19が私の住む長野県まで感染していった4月や5月のころ、明らかに塩尻という地域もその影響を受け始めていた。生活も教育もそうだし、特に私の関わる人としては産業関連が、情報として耳目に入ってきた。
人の移動が制限され、人が集まることが失われた結果、飲食業、旅行業、宿泊業、サービス業、運輸業、製造業などなど・・・様々な業種が苦境に立たされていた、あるいは来たる未来の苦境が見え始めていた。
どちらかといえば(別にどちらとも言わずそうなのだが)、私の仕事という立場としてはそういった産業の当事者ではなく、支援をする側である。
それに加えて、昨年まで2年間青年会議所に所属したり、スナバという場所にいる中で、やはり「顔の見える人のつながり」としては産業に関わり、且つ課題当事者である経営者や個人事業主の方が見えていて。
そういった関わる方をベースに「自分として」あるいは「スナバとして」、なにかできることはないだろうかというのを考えていた。
実際に、どこまで自分や友人と起こした行動が有効的だったかは分からない。正しかったか正しくなかったかも分からない。
塩尻市内のテイクアウトできる店舗&メニューをまとめてみた。Webサイトを作ってくれた人もいて、お店からはテイクアウトのお客さんも増えたと言われた。でも緊急事態宣言が解除されたら塩尻という地元の人が飲食店に行くような町は、テイクアウトをあまり必要としなくなって、今はそこまで利用されていないのではないか。
飲食店や旅行業、宿泊業にできることはないかのミートアップを、同じ課題感を持つ飲食店の経営者(シェフ)と一緒に行った。考えるきっかけにはなったかもしれない。ただ、それで実質的に何か変わったかと言われたら、あまり自信がない。
何か、自分にできることはないのか、と思っていた。
自分は公務員という恵まれた立場で、定給で安定してお金をもらえる。
その立場であることの罪悪感や後ろめたさに似たような感性も、多分あった。
余計なお世話かもしれないし、「お前に何がわかる」と思う人もいたかもしれない。
そんな中、私の身近にいる同僚に言われたことがある。
「色々動いている大ちゃんを見て、私も何かしなきゃと思うけど、何ができるのだろう」。彼女は責任感が強いし、つい頑張りすぎる。自分を犠牲(?)にしても。だから、横目で見て「何かしなきゃ」と思ったのだろう。
ただ、しばらく経って「何かしなきゃと思いつつ、できない自分に強迫観念を感じて、ストレスというかプレッシャーをかけていた」「自分は自分の特性や強みのなかで、できることを考えたい」「目の前の支援をするというスピード感は、ある意味いろんなものをモノトーンにする。そのモノトーンの中で一緒にやるのではなく、少し視野を広げて、何ができるのかを考えたい」という言葉が出てきた。
私は、それはすごく素敵な感性で、そして健康的だと感じた。また、その言葉で「ハッ」とした。今だからこそ、いろんな人間関係や立場も広がり、そして困ったことが身近にあるからが故に、自分の中で「何かしなきゃ/何かしたい」という感覚が存在するけれども。
数年前、東日本で起こった地震の時、私も彼女と同じ焦りを感じていた。
東日本大地震の際、私は大学生4回生であった。
地震が発生して、未曾有の震災となり、その時の状況や、あるいはそこで行われた様々な支援の様子は、TVやネットニュースやSNSで目にしてはいた。
その頃、私は応援団という組織で一番上、就活真っ只中、単位にも追われていた。
頭の片隅で東北で起きていることは占めながらも、結果として何もしなかった。
部活の引退した1個上の先輩は、ボランティアに行っていた。
帰ってきて飲みながら、数ヶ月にわたって行ってきたその時の様子を聞いた。
何もしなかった自分、実際に行ってきた先輩。心の中に仄かに浮かんでいた焦りのようなものと、自分と「行ってきた人」の間に漂う流離感というか乖離のようなものを感じたことが妙に印象的で、まだそれは覚えている。
その時の感覚は、多分彼女の感じていたものと、似たようなものなのだと思う。
とてつもないことが起きて、困っていることがいて、それをなんとかできないかと行動したり、社会に価値を発揮できないかと動く人がいる。その横で、自分に何ができるのだろうというと考えながら、できていない焦燥感。自分のやっていることに意味があるのだろうかという無力感。
その感覚は、自分の中で自分に対する疑念として薄ぼんやりと自分というものを侵食していって、自己否定に繋がって、自信をなくして、少しずつ何かを狂わせていく。
それも、自分が何かをやった結果として発生するのではなく、周囲の環境というすごく受動的で何もしていなくても発生するものなのだ。
その感覚は、とても辛い。
じわじわくるから、気がついたらその自己否定の連鎖が始まっている。
いつの間にかそこにがんじがらめられて、ますます気持ちが落ち込んでいく。
新型コロナが猛威を奮っていたあの頃、もう一つ個人的に、受動的に行動を促されようとすることがあった。イベントの乱立である。
オフラインでこれまでやってきたイベントがオンラインに切り替わった瞬間、あちらこちらでイベントが乱立した。多くのイベントが「with/afterコロナの〇〇を語る」「この時代に必須の〇〇」みたいなタイトル名で、何やらその界隈の1人者や著名人や肩書きが立派な人をゲストに呼んでくるようなものだった。
多分、主催者それぞれには、それぞれの想いがあったはずだ。本当に社会で悩んでいる人になんとかヒントになるようなものを届けようとしたり、この先の不安に対して少しでも寄り添いたいような想いもあったと思う。
ただ、それがとてつもない量とスピード感を持って「この人の話を聞けるこんな貴重な機会を逃す手はないです!」みたいな圧力で迫ってくるように感じた。それに参加しないことがあたかも罪で、何も行動をしないことに対して責められ、自分でも「このままでいいのか」という疑問を自分に抱いてしまうような感覚。
身の回りが、そして自分自身が、お互いを巻き込み刺激し合いながら、様々な行動を促し、何かが急速に早くなっていく。
取り残されることへの恐怖。動かなければという焦り。動けないことへの自己嫌悪。その悪循環。
大きく、何かが変化するときは、こういう事象が起こりうると思う。良し悪しではなく、それは事象なのだ。それが時には生物的な進歩に至ったり、文明を大きく進めたり、全体主義やファシズムに陥る。善悪は人為によって起きるが、それそのものは単なる事象である。
大切なのは、ともすれば自己嫌悪の悪循環が気づかないうちに傍で口を開けている中で、自分はどの地平に立っていたいか、どの地平が一番安定していられるか、ということだと思う。
急激な濁流の渦の中で、変化を作り出したり、何かを産んでいく人。
濁流の外れで渦の様子を観察しながら、もう少しその濁流の先を見据えてゆるい流れの中で考え行動したい人。
岸に立って、濁流をじっと観察しながら記録を取っている人。
もはやそれすらも見ていない人。
その全ての人が正しいし、その全ての人が「必要」であると思う。
渦の中にいる人は、他の人をつい呼びたがる。同じ渦中の人の苦しみを目の当たりにして、自身ももがいている中、助けはいつだって求めている。何より「当然、来て当たり前で、なぜこないの?」という、正義の論理が通りやすい。あるいは、本人にその気がなくても勝手に無意識に呼んでいることもある。
でも、間違えてはいけないのは、その全ての人が「正しく」そして「必要」なのだ。
COVID-19でなくとも、またあの事象はやってくる。これを書いている2020年7月11日でも、九州で大規模な土砂災害が発生している。
身の回りが、そして自分自身が、お互いを巻き込み刺激し合いながら、様々な行動を促し、何かが急速に早くなっていく。
自分自身と向き合い、まわりの人に目を向けながら。
それぞれが、それぞれの安心できる地平で生活を営む。
そんな世界と、そんな自分で在りたいと思う。
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