古民家と向き合った1年半の総括
2022年がスタートして早々に、Facebookのタイムラインにこんな記事が流れてきた。
そういえば、自分も2021年12月までの1年半、古民家とやらに住んでいた。
仮にも1年半お世話になり、それなりの手をかけた部分もあり、北小野生活では切ってもきれない関係にあった古民家に対して、追悼?も何もできていないことに気づいたので、せっかくなのでまとめてみる。
古民家生活をしたい人に参考になるかは分からんが、まあ見てもらってもいいかもしれない。
どんな家に住んでいたの?
三枝が住んでいたのは明治20年8月30日に古畑徳治郎さんによって建てられた家です。退去時に、床の間の天袋に入っていた「リフォーム時に見つかった柱の一部」が置かれており、そこに記載がありました。
つまり、1887年ということなので、2021年時点では築134年だったわけです。
私の住んでいた北小野は三州街道沿いにあり、信濃國一之宮である諏訪大社に祀られている建御名方神が諏訪に入る前に滞在した場所であることに由来して信濃國二之宮である小野神社を擁し、同じ里の辰野町小野には小野宿という宿場街があります。
豊富な山々の資源と、また人が往来する環境の中で、昔から住う人々は所謂「百姓的な生き方」をしていたと聞きました。朝廷に献上する馬を育てていた「小野の牧」が昔はあったり、豊富な石灰岩でできた山体を削って石産業を営んだり、諏訪の1年後に行われる御柱の木を育む豊かな山林で木を育てたり、田畑を耕し加工品を作ったり。時代やニーズに合わせて生業を変え、生活を紡いでいた土地。
そして、往時は生糸に使われる養蚕が盛んだった土地でもあり、御多分にもれずうちの家は二階に蚕部屋がありました。入れないように閉鎖されていましたが、外からは二階があるのが見え、これもまた古い家であることを証左するものでしょう。
家が所在する場所は谷筋を走る国道に向かい傾斜になっており、家の下の土地には「大清水」という水が湧く泉と、その横に秋葉神社の鳥居と石碑がありました。
神話以前の自然信仰のご多聞にもれず、小野神社以前の原初の信仰の対象であったのが見晴らしの良さで定評のある家から徒歩10分くらいで登山口に辿り着ける霧訪山(きりとうやま)であり、その伏流水が家のそこかしこで湧いていました。湧く水量が多いことから北小野でも「大出」という地名が付いたと言われますが、夏でも冷たい泉が目の前にありました。
秋葉神社の由来は、この家が建つ前に辺り一帯で火事があったそうで、その家事の後に以降の防火を祈願して、火の神である迦具土神を祀ったところから始まったそうです。
家は前述のとおり1Fしか使えませんが、なんと広さ5LDKという笑っちゃう広さ。
そして家を擁する土地も広く、東側は車が数台は停めることができ、私は庭を開墾して畑を作っていました。北側にも畑を作っていましたが、西側は隣の一段高い家とのスペースになっておりあまり有効活用できず。南側は少し斜面になっており、ツツジや紅葉などの低木や灯籠が斜面にあり、その向こうにはタラの芽や栗の木が生えていました。私が入居する前に切ってしまったようですが、元々庭の周辺には杉や檜のような針葉樹や、桜の木もあったようで、そこかしこに切り株が見られます。
庭の一部には蔵もありましたが、封鎖をされていて入れず。ただ、新しく倉庫を設置しており、そこにタイヤやらビーバー(刈り払い機)を入れておりました。
家はリフォーム済み。
10年前くらいにおじいさんが一人で住むにあたってリフォームをしそうでしたが、数ヶ月住んで入院してそのまま亡くなってしまったとのことで、リフォーム後はほぼ使われず、隣町の岡谷市に住む大家さんがたまに来て家に風を通し、草刈りをして家を保存してきたとのことで。
いよいよ活用をしようと一念発起し、家の中を徹底的に片付けた2020年4月くらいに、我々がその情報を聞いて見学に行き、6月から暮らし始めた、というわけです。
間取りは↓の感じです。
なんとなく散りばめた写真と間取りでイメージを掴んでいただきつつ、本題に入っていければと思います。
古民家で大変だったこと
まずは「住んでて大変だったなあ」ということを綴っていきます。
①とにかく寒い!!!
いや、もうまずはこれですよ。
我々が住む塩尻市北小野は標高830m、冬ともなれば朝の最低気温は-10度を下回り、最高気温がマイナスになるような日もざらにあります。そんな中で、リフォームしたとはいえ基礎や壁や屋根や床は100年以上前なわけです。
基礎断熱などは施さず、冷たい地面から上がってくる冷気から床が寒いこと寒いこと。壁ももちろん断熱が充実しているわけではなく、窓もシングルガラスの1枚窓です。
一昨年の11月に出産をして退院した妻が家の寒さに帰ってきた瞬間悪寒が走り。
朝、LDKでストーブをつけたら寒すぎて温度が表示されなかったり。
脱衣所とLDKが離れているので、夜にせよ朝にせよ風呂場に行くまでに強靭な精神力が求められたり。
まあとにかく寒さエピソードは枚挙にいとまがありません。
人が集まることが多かった我が家も、冬場の宿泊は流石にオススメ出来ませんでした。
②間取りの使い勝手が悪い(個人差あります)
これは「家をどう使うか」によって人それぞれ変わってくると思います。
画像を見ていただければ分かりますが、家に全く廊下がありません。昔の農村部の間取りだねえとどなたかに言われましたが、それぞれの部屋が隣接していて繋げられるように出来ているのです。
我が家はいろんな人が来て飲むような家です。
そんな中で、特に冬場は寒さ対策でストーブの位置などを鑑みてどこに寝室を置くかというと、LDKに隣接する和室になるわけです。つまり、19時前にはすやすやと寝ている娘がいる和室と薄い板戸1枚でしか仕切られていない隣のLDKで、大人たちが宴会をすることになるのです。
うちの娘は幸いにそんなに敏感でデリケートじゃないので大概寝ておりましたが、それでも飲んでいて気を遣いますし、今はいいものの成長をしていくにつれ感覚が発達していったり、また中学生や高校生になったときに子供部屋の位置なども割と大変になるんじゃないかと思いました。
夫婦2人で住んでいた時は、玄関入って右側の北の部屋で寝ていたのでまあそんなに宴会の声がうるさいなんてことはなかったですが・・・
子供が産まれると、結構難しい間取りなんだなあと感じました。
③カビとの戦い
これ、本当に大変です。古民家って湿気が溜まるんですよねぇ。
基礎断熱じゃないんで土壌の湿気がそのまま上がってきます。
換気も現状の建築基準法に則って「しっかり換気せえよ」みたいなのなんて全く気にされずに作っているわけで、家の南側の和室には縁側と一面の窓がありますが、あとの部屋は小さい窓がちょろちょろついているだけです。
窓開けてても、あまり空気が循環しないんですよね。
そうなると、梅雨や夏場の時期は家の中に湿気がずーーーっと籠るわけです。
初年度、梅雨をこえて夏場になりふとハンガーラックにかけている服を見たときに、青ざめました。少しでも皮脂がついていたり古いものには、びっしりと白いカビがついており・・・
コート、洋服、ベルト、登山リュック、カバン、靴などなど、布製品や革製品を結構処分することになりました(逆に言えば断捨離になったのかもですがw)。
カビは健康にも良くないので、湿気をどうコントロールするかは大切な要素になるのではないでしょうか。
④広大な庭との戦い
これは必ずしも「古民家」ではなく、たまたま自分が住んだ古民家が広い庭を持っていたというだけの話だが、ただ往々にして古民家には広い庭がついているように思います。
庭に関しては以前にこんなnoteも書きました。
春から夏にかけての雑草の伸びはとんでもなく早く、あっという間に膝丈くらいに成長していくそやつらを、定期的に刈らなければなりません。ビーバーを使って刈るわけですが、1時間やっても庭の全てを刈れないという広さで、汗をダラダラに流しながら貴重な休日を草と格闘することになります。
また、ビーバーで刈れる場所は良いのですが、庭のあちこちに大きな石、切り株、灯篭の類があるわけです。そうなるとその周辺はビーバーが使えず、手で刈らざるを得ないので、さらに大変になります。
また、南側の庭には低木が植っているのですが、油断するとすぐにツタ類が気に絡みついてあまり心地良い風景にならないので、それも枝切りバサミなどで切っていかなければなりません。
その他、ヨウシュヤマゴボウという毒草を根っこごと引っこ抜いたり、ボサボサと成長していく桑の木の枝を伐採したり。
もはや戦い以外のなにものでもありません。庭師の凄さを実感。。。
主だった大変なことは、このくらいでしょうか。
思い出すと、まだまだいろいろある気がしますが・・・
古民家ですごく良かったこと
悪いこともある一方で、住んでて本当に良かったこともあります。
私は別に前の家を嫌いなわけではなく、良かったところは「うわー、本当に住んで良かったなあ」と思っているので、悪い部分だけでなくいい部分も参考にしてもらえれば幸いです。
①縁側がめっちゃ気持ちいい!!!
いやもう、これはマジで別格です。今の家では到底望めないものであり、手放すのが惜しすぎるものでした。
特に春〜秋にかけてのシーズン、窓を開けっ放した和室にゴロンと寝転がって、南側の木々が茂る庭を眺めながらうつらうつらと午睡を楽しむのは本当に気持ちがいいものでした。
ある日などは小さな机を縁側に持っていって、そこから外に足を投げ出して昼間から酒を酌み交わしたりして、今でも思い出に残っている最高の使い方でした。風で木々がそよぐ音、遠くでカッコウが鳴く声、風鈴が奏でる音色、樋を雨が伝う音、ビーバーのエンジン音、和室にいると縁側を通していろんな音が聞こえてきます。
視覚だけじゃなく、聴覚も刺激されていたような場所でした。
あれはちゃんと昔から育ててきた庭と、そして縁側が似合う古民家の風情が合わさったからこそ醸し出せた雰囲気なんだろうなあと思います。
あの一角だけ、今の家に移設したいです(笑)
②とにかく広い!!
いや、やっぱり広いですね昔の家は。
今の人口規模を前提として作られていないですし、何世帯も住む前提で作られているので、とにかく広い。平家で約150平米=45坪ってどんだけ贅沢やねんと。
お陰様でいろんな部屋を持て余しておりました(笑)南西の和室は普段は使わずに娘の物品を置いてまして、西の洋室はほぼ放置、納戸には山物品や段ボールなどをぶち込み、北の洋室は衣装類を置きつつ1年目は寝室にしてましたが2年目は生活上の用途なく放置。
うーん、なんという贅沢な家の使い方でしょう。
私なんかは特に場所を取るような趣味とかなかったのでひたすら持て余してましたが、例えば楽器をやるとか、自分の部屋を作り込んで書斎にしたいとか、そんなのがお好きの方には格好の家だと思います。
ぜひ次の入居者は、ちゃんと家を使いこなせる人に入居して欲しいなあと思うわけですよ。
③庭が活用できる(畑と山菜と栗と)
先ほど広大な庭と戦っていると言いましたが、逆に言えばスペースがある分いろいろ活用ができるわけです。
私も1年目から畑を開墾し始めました。草を刈り、鍬で土を耕し、篩に掛けて大きな石を取り除きある程度土の状態にして、苦土石灰と肥料を適当に撒いて畑をスタート。
ネギ、じゃがいも、キャベツ、レタス、白菜、ナス、オクラ、あやみどり、トマトなどなど多品種を適当に露地栽培して、収穫して食っておりました。
また、家の庭の至る所に蕗が自生しています。春先は蕗の薹をその辺から採ってきて、蕗味噌にすればなんとまあ日本酒に合うことか。
秋になれば、大量の栗がなります。朝の時間に行けば落ちた栗がまだまだ食べられる状態になっているので、それを拾い上げれば栗ご飯や甘露煮が作られます。落ちた栗は獣の餌になるとのことで、隣のお母さんが拾ってきて「これ、全部あげる!」と言って大量にいただいたのもいい思い出です。
自分の庭でこれが手に入るのは、とても素敵な環境ですね。
④立地が良い
これは多分に仮説も含まれますが、昔の家が建てられている土地って、それなりに「そこに家を建てた」理由があると思うんです。
山に挟まれた集落でありながら、前の家の位置はハザードマップ上で浸水や土砂災害に警戒すべきエリアからちょうどよく外れており、地震を除いては比較的安心して住める環境だったと言えます。
昔の人は昔の人なりに、様々な災害に遭った結果として「どこに集落を作るか」を決めてきたんだなあと思い、それにはその理由があると感じました。
また、敷地が広く周囲も古い家のために、家と家の距離が離れています。
必然的に騒いだとて文句を言う人もおらず、また隣の家が離れているため景色もとてもよく、キッチンから向こうの山を眺めながら料理ができるのはとても気持ちの良い光景でした。
残念ながら今の家では望めない景色になります。
良かったところの大きくは以上でしょうか。
日々の中で「ああ、住んでて気持ちいいなあ」というのは多々ありましたが、いざまとめようとすると難しいですね。
その他、古民家よもやま話
せっかくなので、その他よもやま話も書いておきます。
①多分、家に住んでいた先祖がその辺にいる
LDKスペースにもともと仏壇が入っていた場所があり、既に魂抜きもしてありますが、多分、家に先祖がいる気がします(笑)
私なんかは全くそっちの感覚がないので何も感じなかったのですが、赤ちゃんは見れるようでして、よく誰もいない天井や仏壇があったあたりを見ながら楽しそうに笑っていました。
笑っていたので悪いものではないという気がしており、「赤ちゃんがいるねえ」みたいな感覚であやしてくれている、多分この土地と家を見守ってくれている人たちなのだと思います。
なんか、そういったスピリチュアルというか霊的なもので家に守られてる感はあった気がしますね。
②庭で獣が捕れる
家の南側の床下に向かって何者かが穴を掘った形跡があり、石をそこにつめておいたのですがその隣にまた掘られていました。このままだと家が危ないと思い、友人の猟師に箱罠を借りて(一応私もわな猟免許あり)、中にりんごを入れて仕掛けておきました。
しばらくは何もかかりませんでしたが、ある日見てみると立派な毛皮のタヌキがかかっておりました。
しかるべき処理をしましたが、聞けば隣人の庭にタメ糞をしていてほとほと迷惑をしており、捕獲後ぱったりとなくなったとのことから当人の仕業だったと思われます。
古民家というか、こういった山間地域ならではの珍事でした。
③ご近所さんって大事
古民家はもはや関係ないですがw
梨木香歩の『家守奇譚』にも出てきましたが、お隣さんはとても大事です。
前の家のお隣さんは地域に古くから住んでいる人だったのでいろんなことを教えてくれたり、また道路正面の茅葺の立派な家の方は訪ねて行ったらあれやこれやお菓子を出して歓待してくれたり、斜向かいの方も山林整備に軽トラで送ってくれたりと、いろいろお世話をしてもらいました。
その地域とつながったり、慣習を学んだりするのに、ご近所さんはとても大切な接点になります。これはなかなか新しく造成された地域だと生まれないものであり、地域に入る始まりとしてはとてもありがたいご近所さんでした。
④大家さんって大事
いろいろと家を借りる中で、大谷さんとの関係は(悪い意味で)耳にすることが多いです。が、うちの大家さんはめっちゃいい人でした。
庭の手入れが必要だと言えばビーバーと燃料を持ってきてくれましたし、脱衣所が寒いといえばオイルヒーターを持ってきてくれましたし、トイレの便器から水が漏れていると言えば見にきて修理してくれたり(設備屋をやっている)、地区から石垣が崩れそうだと連絡が入れば重機を持ってきて補修をしたり。
この地域の実情もわかっているので「とにかく住んでくれるだけでありがたい」というスタンスで、できるサポートはしていただけるような方でした。
マジでこれはありがたかった。
まとめ
2020年6月から2021年12月まで住んでいた古民家を移るにあたって、なんとか総括ができたように思います。これで心置きなく新居で暮らせるぜ!!
初めて住んだマンションやアパートではない物件(三枝実家も一軒家ではなく分譲マンションを買っている)であり、どんな生活になるのだろうかと入居するときは楽しみでワクワクしながら生活をスタートさせました。住んでからは予想以上に楽しかったりした部分もあれば、大変だったりする部分も見えてきました。
でも、あのワクワクは新築した家に入居する時にはなかった「古民家」だからこそ持ち得るものだったんじゃないかと思います。
また、古民家を購入して改修するパターンとかも最近では流行ってますね。
そうすれば上記で記載した大変だった部分は最小化しながら、良いところを
最大化できるような気もします。退去の日に大家さんから「売却も検討したいのよね〜」と言われたので、もし先に分かっていれば検討してみるのもありかなあと思いました。
下手に新築するよりも、お金はかかる可能性ありますが・・・家を一回浮かせて基礎を作り直したりするみたいだし。
というわけでまだ前の家も賃貸で空いておりますので(購入も検討できますby大家さん)。
賃貸で気になった方は↓のリンクから、購入で気になった方は三枝までご連絡くださいませ!!
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