キン肉マンのお弁当箱と塩な思ひ出
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#幼稚園 の頃くらいに使っていた #キン肉マン の #弁当箱 が出てきた。
キン肉マンと #ミートくん はわかるけど、なぜプラス #ジャンクマン という疑問はさておき、この頃のダイスケちゃんは大変 #食の細い お子だった。
この頃、生まれたばかりの妹と生んだ母は、#大学病院 に入院中。
幼稚園は弁当と #給食 が交互にあり、その頃の「昭和の父親」の御多分に洩れず、父は料理なんか出来なかったので、自分のお弁当は #都城市 内の親戚数件にかわりばんこで作ってもらっていた。
朝早くキン肉マンのお弁当箱を持って親戚のうちに伺い、作ってもらっていた中身を詰め、幼稚園に通っていた。
しかしある日、どこの親戚も都合で弁当を作れないという朝があり、しょうがないので、父が弁当を作ることになった。
さて、幼稚園のお昼、キン肉マンの弁当箱を開けたダイスケちゃんの目に飛び込んで来たのは、白と黄色の2色のみ。
つまり #白米 とボロボロの、ほぼ #スクランブルエッグ になりかけている #卵焼き のお弁当だった。
それでもダイスケちゃんは食べたが、その卵焼きの塩辛いのなんの。
普段料理慣れしていない人が作る卵焼きだから、塩加減がわからない。
幼稚園児がしょっぱい卵焼きを食べられるわけがない。
ダイスケちゃん、白と黄色の弁当を目の前にして、お箸が立ち往生状態だ。
この時の幼稚園のF先生(仮名)が厳しい人だった。
悪さをしたら、罰として園児をトイレに閉じ込めたりしていた。
今の時代だったら保護者からクレーム殺到の大問題だが、そこは昭和幼稚園、無問題だった(と思うのですが、当時の保護者の方はいかがお思いだったのでしょうか?)
そんなF先生だから、当然食事は「 #お残しは許しまへんで 」状態。
普段料理をしない父親の不器用な弁当なら尚更で、ほかのみんながお弁当を食べ終えているのに、ダイスケちゃんは箸が進まずにいる。
大人でも食べられない塩辛い卵焼きを、F先生は幼稚園児に食えという。
お弁当の時間は終わり、午後イチはみんなのお楽しみ、プールの時間だ。
F先生、「もう、しょうがないから弁当箱の蓋を閉めて、水着に着替えなさい」とは当然、ならない。
「食べ終わってから、水着に着替えてプールに来なさい」と、こうなる。
ダイスケちゃんは泣いた。
目の前の塩辛い卵焼きを攻略しないと、プールには辿りつけない。
でもその卵焼きは大人でも攻略が難しい強者だ。
F先生の目を盗んで、卵焼きを捨てるなり隠すなりする小狡さがあればまだ良かったのかもしれないけど、そんな知恵も出ず、ひとり塩辛い卵焼きと教室に残されたダイスケちゃんの目からは、ただただ涙が溢れるばかり。
そのうち、幼稚園児たちのガヤガヤした空気が近づいてくる。
プールの時間はとっくに終わってしまった。
この日のプールは、塩辛い卵焼きに奪われてしまった。
さて、幼い頃の記憶はここで途絶えてしまっている。
この塩辛い卵焼きのエピソードは、どう決着がついたのか?
今思えば、両親が健在なうちにこの起承転結をちゃんと確認しておけばよかった。
「塩辛い卵焼きを食べられなかった」という「起承転」までは、うちの家族の間で何度も語り草になったのだが、「結」はどうなったのか?
今、F先生の消息を訪ねて確認しても、覚えてらっしゃるかどうか……
往々にして、人は記憶を自分の都合良く覚えがち、語りがちだから、それも真実と言えるのか……
兎にも角にも、キン肉マンの弁当箱には、当時のダイスケちゃんが味わった、卵焼きと涙の塩味がフラッシュバックされるのである。