文句があるなら、降りてこい。
2019年6月16日日曜日。
映画「モデル 雅子 を追う旅」公開40日前。
有り難いことに、何件か、
映画についての取材をして頂くことができた。
中には自宅まで来てくださっての取材もあった。
みな土足で踏み込むなどということはなく、
誠意に満ちて一所懸命だった。
本当にありがとうございます。
今後も、この映画を観て頂くために、
できるだけ取材にお応えできればと思っている。
そんな中、ちょっと思い出したことがある。
「知らないことはそっとしておくほうが良いですよ」という人。
「死んでからプライベート晒されるのってどうなのかな」という人。
わかる。とてもわかります。
考え無しに始めたと言われても、仕方がない。
でも一方で「もし作らずに我慢して諦めていたら?」と思うと、
それも恐ろしい。
人は、簡単に忘れる。
雅子が亡くなったあと、通夜告別式の準備に忙殺されていた。
雅子が入院してそのまま帰ってきていない自宅で、
連絡の文章にかまけていた。
そんな中、雅子の声も姿も感触も思い返せるのに、
雅子の香りがどうだったか。思い返せない自分に気づいた。
そのときに恐怖した。
全身の神経細胞がゾッと震えた。
まだ数日も経っていない。
もう忘れてしまうのか。
僕が忘れる訳にはいかない。
誰にも忘れてもらう訳にはいかない。
できるだけ曖昧にせず、
できるだけ確かな形で、
残して伝えなきゃいけない。
自分が忘れてしまう恐怖に抗う、
周囲に忘れられてしまう恐怖に抗う、
それが動機で、
立ち上がって、ここまで来た。
忘却に抗う手段は、
知ること・残すこと・残したものを知らせること。
それ以外にない。
それを、
雅子と僕が愛している「映画」という形で仕上げる。
僕にはその手段が最適で、それしか無かった。
映画は伝える手段だけれど、
「映画がある」ことを伝えないと観てもらえない。
映画宣伝のための取材で、
夫婦のこと生活のことを明らかにしてしまうのは、
正直、思わぬ余波だった。
けれど、ここまで来たら、
踏み外さぬ程度に応えてゆこうと思う。
映画も、映画宣伝も、この文章も、
全ては「忘却」という風波に抗う防壁だ。
小さいかもしれないけれど、それを築き上げれば、
僕は「次」を目指して、どこにでも旅立てる。
これからも、
いろんな人に色々言われるかもしれない。
けれど、ここまで来たら、
僕の行為を糺せるのは、雅子だけだと思う。
そして、
「ちょっとやりすぎてるかもしれない」
と内省するたびに、こう言うのだ。
「文句があるなら、降りてこい」と。