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なんで都庁を辞めて この会社をつくってみたのか(自己紹介)

今回は、なんで私が東京都庁を辞めて以来、中小企業やベンチャー企業をサポートする仕事をし続けているのかについて書きます。

結論から言います。

「やりたいこと」が見つからなかったから・・・

の一言に尽きます。

やりたいことが見つからないのに会社を経営しています
とカミングアウトするのは、社内外に対して少し恥ずかしいことではあります。
それでも、いまの私がこの仕事を続けていることを説明するためには、それ以外の説明が見当たりません。

もう少しだけ補足すると、中小企業やベンチャー企業のサポートをしながら、「やりたいこと」を見つけようと思って都庁を辞めたものの、どうしてもその「やりたいこと」が見つからなかったということになります。

そういうわけで今回は、少しだけ自分のことを書きます。

個人的には、講演や文章などで、
「私はこういうことをしてきました」
という他人の自己紹介ほど、どこまで信用していいか分からず、且つ、
あまり他の人から見て興味のわかない話題はないと思うので、仰々しくならない程度に、私の経歴から書きたいと思います。


簡単な経歴

1979年
埼玉県川越市生まれ

元中日の仁村兄弟の親戚ということもあり、物心ついた時から野球漬け

1998年3月
埼玉県立川越高等学校卒業

野球部に入部するも非合理な練習をする監督と合わずに7月にラグビー部へ
高3の11月までラグビーしてすぐ受験して卒業

高3の最後の県予選開会式
後列右から3番目

2002年3月
早稲田大学政治経済学部政治学科卒業

部活一辺倒の高校時代の反動で、アルバイトとサークルばかり卒業

2002年4月~
東京都庁入庁

1~2年目は神田駅周辺で滞納税金の取立
3~5年目は新宿の本庁で東京都全体の税金の徴収率を上げる取組
6年目に石原都知事の公約を実現するプロジェクトチーム
その年の8月、公約が急遽なくなりチーム解散とともに9月に退職

本庁時代、滞納処分の新兵器「タイヤロック」の職員提案で知事賞をもらった記事
(一応、ちゃんと公務員時代も頑張って仕事してました)

2007年10月~
当初は3人だったコンサルティング会社に転職
紆余曲折ありながらその会社も成長してまだ立派に存在しているものの、私は辞めて今の会社を2013年に起業

都庁を辞めてからは、ずっと一貫して中小企業やベンチャー企業のサポートをしています。

滞納税金の取立の現場にて

都庁を辞めて今の仕事を続けている理由は、上記の経歴の中の、滞納税金の取立ての仕事をしたことがきっかけです。

新卒で都庁に入ると、一応の希望を聞かれこそするものの、新人は組織の事情に合わせてそれぞれ様々な部署に配属されます。

私の配属が、主税局千代田都税事務所徴収課。
千代田区の神田駅の周辺の地区の滞納都税をひたすら取り立てる仕事です。

私は税金の取立の仕事も嫌ではなかったのですが、

神田駅周辺ということもあり、「お客さん」(滞納整理の現場では滞納者のことをお客さんと呼びます)は、中小企業が多かったです。

「お客さん」の中でも、滞納してから時間が経っていると、めったに向こうから連絡してきてくれることはありません。
当時22~24歳の私は、しばらく滞納している「お客さん」の会社をアポなしで訪ねて行って、「未納になっている税金の話がしたい」と切り出します。

そうすると、「お客さん」の社長は、露骨に嫌な顔をしながら仕方なく交渉のテーブルについてくれて、
不満を露わにして怒鳴ったり、
何とかならないかと泣きついてきたり、
すったもんだしながら納税の交渉をしていきます。

今だから言えることですが、そこで話した「お客さん」の社長は、
年齢や性格は様々な人がいたものの、総じて、「貧すれば鈍する」状態になっていました。
経営を知らない当時22、3歳の若造から見ても、はっきり言って「あまりよくない社長」に見えました。

私に怒っても得るものはないのに無駄に怒鳴りつける、
現状に向き合わずに生産性のない言い訳に終始する、
そもそも世の中が間違っている的な話にすり替える、
中には、
私を指さしながら周りの社員の方に、
「あー、こいつが来たからお前らの給料払えなくなりそうだよ!」と吐き捨てたりする社長さえいました。

社長がみんなすごいわけではない

そんな「あまりよくない社長」たちは、
税金を滞納するくらい貧していたから「鈍」になってしまったのか、もともと「鈍」だから税金を滞納してしまったのかは分かりません。

それでも、私が接した「よくない社長」達は、幼少期から社長という肩書の人が周りに居なかった私に、
世の中にはすごくない社長がたくさんいるんだと気づき、確信させてくれるまでに半年もかかりませんでした。

そんな事実を知って確信していたからこそ、都庁を辞めて特にやりたいことがない私は、
中小企業とかベンチャー企業のサポートなら自分にもできることがあるんじゃないか
と安易に考え、同時に、
色々な会社をサポートしているうちに本当に自分がやりたい分野を見つければいいんだ
と自分に言い聞かせて、都庁を辞めました。

なぜ今でもこの仕事を続けているのか

もはや繰り返しで恐縮ですが、私が都庁を辞めてから一貫して、中小企業やベンチャー企業のサポートを行っている理由は、今でもやりたい分野が見つかっていないからです。

これまで、規模・業種・社歴・地域・会社のステージが様々の、本当に多くの会社のサポートをさせていただきました。

「当社はこれが強みでこういう商品を提供しています!」
「これまでになかったこういうサービスを世に打ち出しています!」
「私はこういう原体験から教育業界を変えたいと思っています」
などという経営者の熱い思いに触れることも多く、そのたびに、素直に感心する気持ちと羨ましい気持ちを抱えてきました。

「いつか自分も何かの分野で起業したい」
と、心の底から考えてはきたものの、そういった「何か」がどうしてもどうしても見つかりません。

これだけ色々な会社と伴走しても見つからないのだから、
きっと、今後も見つからないのだと思います。

最初は何かの分野を見つけなくてはと焦っていた自分も、時間の経過とともに、「やりたい何か」を探すことを辞めていました。
(諦めたというよりも、探すことに飽きてしまったのかもしれません)

それは27歳で都庁を辞めて、35歳くらいの頃だったでしょうか。
裏を返せば、そのくらい今の仕事がやりがいもありますし、大変なことも多いけど辛くはないし、何より、決して楽ではないけど楽しいのです。

そして、35歳くらいからの自分は、
中小企業やベンチャー企業をサポートすることを通じて、そういった会社の経営者や従業員の皆さんたちと濃い共通体験ができている
のだと考えていて、この環境に満足しています。

特にやりたいことのない自分にとっては、誰かと濃い共通体験をするためにはとてもいい仕事です。

そういうわけで、今の仕事を続けている自分がいます。

やりたいこと・できること・頼まれること

私にやりたいことがないおかげでどうなっているかというと、以下のように理解しています。

仕事を、
自分がやりたいこと
自分ができること
他の人が求めること(頼まれること)

の3つに分けてその関係を考えると、下の図のようになります。

やりたいこと、てきること、頼まれることの関係図

普通は、3つが重なる②の部分を仕事とするのが王道だと思いますし、本当は私もそうしたいです。

でも、私にはやりたいことがありません。
なので、私たちの会社の仕事は、丸が2つになります。
その結果、3つの丸が重なる上図でいう②という概念がありません。

やりたいことがないとこうなる

だから①だけがありますが、私たちは、この部分を喜んでやります。
(逆に①こそが自分がやりたいことであるとも言えます)

1つ目の図で言うと、②だけではなく①の部分も仕事として喜んでできることになるので、
やりたいことがない方が仕事ができる面積は大きくなります。
このことこそ、本当にありがたいことに、私たちの会社の仕事がいつでもたくさんある理由だと思っています。

このテーマは止まらなくなるので、そういった話はまた改めて書きたいと思います。

「やりたいこと」がなくても会社はできる

世の中には、「やりたいこと」が見つからない方は多いのではないでしょうか。
私もそうですし、別にそのことを誇るつもりもありません。
「やりたいこと」が見つかることほど幸せなことはないと思います。

でも、「やりたいこと」がなくても、お陰様で私たちの会社は今日も元気に存在しています。

起業をする順番として通常は、
①やることを見つけて
②そのためにどうするかを考えて計画を立てて
③計画達成に向けて行動していく
ことが王道だと思います。

でも、全ての人が「やりたいこと」を見つけられるわけではありません。
「やりたいこと」を探しているうちに、どんどん時間は過ぎていきます。

歳月人を待たず です

「やりたいこと」が見つかったら行動しようと思う。
でも、
「やりたいこと」が見つからないと焦る。
いつの日か、
「やりたいこと」を見つけることが目的になってしまう。

もう、探すための時間って、もったいないのかもしれません。

これだけ色々考えてきたのに、
「やりたいこと」探しに失敗した自分が、どうやって会社を経営しているのか。

全てありのままに書くことで、「やりたいこと」が見つからない誰かが、
仁村がこんなきっかけでも会社が経営できるなら、自分でもできるかもしれない
と思ってもらえるかもしれません。

おわりに

2つ目の記事もさらっと書き終わり、書くペースと所要時間も分かってきました。

今回は恥ずかしげもなく自分の経歴を書いてしまいましたが、
これが最初で最後だと思います。
今回書いた文章の中にも、もっと掘り下げたい部分がたくさんあるので、そういうことをのんびり書いていきます。

これからも週に1本を目途に、読む相手を特に意識することなく書いていきたいと思います。

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