ぼくが薪窯パン屋になろうと決めた理由
初めまして!兵庫県丹波市"薪火野”(まきびの)というパン屋の代表、中山大輔です。
手でこねて自作のフランス式薪窯でパンを焼きます。
大好きな旅を通して見てきたパンの外側の世界から見たパンのことを中心に日本の食についてこれからnoteで書き綴っていこうと思います。
今、ぼくは28歳だ。
パン屋になろうと決めたのは23歳の時。
大学を卒業する半年前。
"世界を変えるためには”という世にでることのなかった卒論を書き上げた直後だった。
今読み返しても身の毛もよだつ浅はかさだ。
いつか薪窯で燃やそうと思う。
最初のきっかけは2011.03.11に起きた東日本大震災だ。
大学一年の時に行ったバックパッカーでのヨーロッパ横断の旅。
woofで訪れた和歌山県で無農薬、無化学肥料でみかんを作る上門農園での生活。
鹿児島県にある離島、トカラ列島にある人口100人の島”宝島”での体験。
そこで暮らしていたゆうさんにいただいた名もなき小麦粒。
その小麦を絶やさないために小麦を石臼で挽いて粉にした。
そして小麦粉に水を混ぜて発酵させるとルヴァンという発酵種ができることを知った。
種に新しく粉を足せばその種は生き続けること、そしたらちょっとロマンチック過ぎるかもしれないけど、ゆうさんの意思は繋がり続けるんじゃないか。
自作のロケットストーブを使い家のベランダで焼いたゆうさん小麦の全粒粉のカンパーニュ。
全てが1つの川のように繋がった。
ぼくが”今できること”は薪窯でパンを焼くことだ。
ゆうさんの小麦がぼくに繋げてくれたように、次はぼくが意思のある小麦を繋げるために。
幸運なことに、ドリアン田村さんに薪窯を伝授してもらえた。
そしてもう一度、今度は”パン”を学ぶためにヨーロッパに行った。
スペインでは1200キロを巡礼してその土地に根ざすパンを垣間見た。
フランスでは4ヶ月間小麦農家で働いて少しだけ、ほんの少しだけだけど尊さを日常にできた。
ドイツではフランス式でもエジプト式でもないドイツ式薪窯を見た。
デンマークでは考え方やこれから先をリードして行くであろう生活様式を見た。
それはテクノロジーにも伝統にも寛容な、まさに温故知新だった。
2019.06.09
パン屋になることを決めて5年後。
クラウドファンディング で薪窯作りの資金を募り、それ以外でも本当にたくさんの方々の協力で薪窯を作り終えて、薪火野をオープンすることができた。
ありがたいことに小麦の栽培も仲間と協力して少しずつ始めることができた。
収穫のタイミングで地元茨城に帰ることになりコードネーム小麦ちゃんに収穫をお願いした。
感謝は尽きない。
本当にありがとうございます。
これからは、パンを焼いてお返しする番だ。
※現在、薪火野は無期限休業となっております。パンをお待ちの皆様散々遅れてしまっていてやっと、お返しを始められたタイミングでこのようなことになってしまい本当に申し訳ありません。もうしばらく、お待ちいただければ幸いです。よろしくお願いいたします。
薪火野 中山大輔