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挟まれ世代の転職事情:PART1

世の中には「挟まれ世代」と言う言葉がありますが皆さんは聞いたことがあるでしょうか?
バブル期、氷河期等の昭和世代社会人と近年の働き方改革やZ世代といった平成後期~令和期の社会人に挟まれた「平成中期組」がそれだと言われています。
昭和世代の「仕事こそ人生!会社に全てを尽くせ!残業や休日出勤は美しい奉仕精神だから無給でも青天井でいつまでも働け!!」みたいな狂った思想の上司と「始業から定時まで適当にやる事だけやって即帰り、仕事残ってても明日やります、気に入らない事は全部ハラスメントにして社会的に潰してしまえウェーイ!」な狂ったモンスター若年層に挟まれた悲しき世代の総称ですね(個人の意見)。
いやいや!どちらの言い分もわかるんですよ!我々の世代は!
確かに働き始めの若い頃は「やりがいが全て!頑張りは評価される!残業は何もなくても2時間はやる!」みたいな働き方してましたし(もちろんサビ残)、色々渡り歩いてきた今だと「やる事無いのに残業とかバカじゃね…?てかサービス残業とか会社はやりがい搾取ばかりしてくんのに何でこっちがサービス提供しなきゃなんねーんだよ労基走るぞコラ。」みたいな考えも、最近は理解できる様になってきました。(そもそも残業代払わないのは違法行為だからね☆)
よくよく思うと援助交際の事をパパ活って言ったり、不倫の事をセカンドパートナーって言ったり、犯罪幇助を闇バイトって言ったりして、とりあえずキラキラした言葉で濁しておけばそこまで悪い事じゃ無い風に思わせる風潮の先駆けは違法労働をサービス残業って言うところが源流じゃないのかとさえ思えてきますね。

前置きが長くなってしまいましたが、何故こんな事を書いたかと言いますと、我々挟まれ世代なんですが「社会人になってから景気的にいい思い何もしてなくね?」って思う節々がありまして。
普通に考えてボーナスタイムが少しぐらいあったりするもんじゃないですか?全く記憶に無いんですよ。
私、世間一般的には転職回数が多い人なので、転職遍歴と共に一度世の中を振り返ってみるのも面白いかと思って書き始めました。
同じ世代の人は懐かしんでみて、若い世代は昔の狂った働き方を見てドン引きしてもらえればと。

1社目:橋本ダイスケ18歳
これ以上勉強したくないと言う非常にわかりやすいバカな理由で大学進学をせずに工業高校を卒業してすぐ働き始めた橋本青年。
今思うとここで大学生になるルートを選んでいたら、もう少し違う未来があったのかも知れませんが、家の経済状況とか考えたら完全に親不孝者になってた未来しか見えないので就職して正解だったのかも知れません、私の人生の場合。
さて、1社目は割かしマジで何も考えずに就職した配管シール材、車用ガスケットの製造販売会社。
電気科卒業したのに電気が1ミリも関係無い会社に就職しましたね。この時点で親不孝ポイントに1点加点です。
何も考えずに就職しているので、福利厚生とか今思えば滅茶苦茶です。
社会保険の類がちゃんとあるぐらいしか福利厚生がありません。その辺りの話はもっと学校側が教育項目に入れるべきだと思いますね、今思うと。
トップティアか次点の工業高校以外の生徒なんて7割ぐらいがバカ寄りなんですし(偏見)
この会社では営業補助として勤務し、ゆくゆくは営業として担当顧客を持って独り立ちして欲しいとの事でした。要は下積みは雑用です。
品出し、製品準備、顧客対応や先輩の指示の通りに動く等、新人がやる事を一通りやってました。この時のお給料が手取りでギリギリ13万円でした。
残業は青天井でありましたが、残業代は1円たりとも支払われませんでした。この頃はこれが割かし当たり前だったんですよ!奉仕の精神!!
そもそもタイムカードが存在しませんでしたからね。有給も断られるし。

こんな最悪の労働条件でも、この時の橋本青年は石油王にでもなった気分でした。短期以外のバイトもろくにしてなかったんで。
毎月のお給料でゲームを買って遊ぶみたいな生活を謳歌していた橋本青年ですが、この生活はなんと1年半で終わりを迎えます。早いですね。
理由は色々あるんですが、一番は雇用条件の悪化です。同率首位で、世の中でもよくある「人間関係の悪化」。
決して慣れないトラックの運転で会社の倉庫の壁をブチ破った事に責任を感じてケジメを付けた訳では無いんですよ(実話)
雇用条件の悪化に関しては、当時の会社が新工場を無理くり立てた事により、交通費が支給出来なくなると通達がありまして。嫌なら今の会社から2時間近く離れた僻地で一人暮らしをしてくれ、寮は無いし家賃補助は出さないって言う条件でして。
今思うと13万円の手取りで一人暮らしさせようとしてる時点でだいぶ狂ってますよね。
更に入社直後から関係がよろしくなかったお隣の国から出稼ぎに来てる人との人間関係が劇的に悪化していきまして。日本文化は受け入れない、自国文化はゴリ押ししてくるタイプの人だったんで、まぁソリは合わないですよね。
血気盛んな橋本青年、社会人にあるまじき一線を超える寸前まで行ってました。
結局、家から3時間近く掛けて通うのは嫌だし、まだまだ実家の脛を味がしなくなるまで齧りたかったので、転職を決意してハロワに通う事になりました。
橋本青年は基本的にバカだったので、初日に選んだ会社に就職する事を即決し、ハロワ通いは1日で終了しました。
そんなこんなで会社の社長に「他所に行っても通用しないぞ!!」と言うテンプレワードを吐かれながら、1社目を退社する事になりました。
今思うと19歳の若造なんてどこに行っても通用するわけないんですよね。

長くなりそうなので、2社目以降は随時更新していきたいと思います。
ちなみに1社目が一番中身が薄いです。後半に行くにつれて会社的にも世の中的にもヤバくなっていきます。お楽しみに。


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