生い立ち~暗黒時代からヤンキー高校へ~
暗黒の中学生活だったけど学校生活がクソだっただけで学校以外では普通だった。
故に昔からの仲間や先輩達は俺の学校での振舞いに違和感を感じる人が多かった。
なんでお前学校だと喋んないの?お前そんなキャラじゃねぇじゃん。大丈夫か?
そんな声をよくかけられた。
俺もわかんねぇよ…としか答えられなかった。
普段の俺を知らない、所謂中学で出会った奴らからは大人しい、暗い子に見えて居ただろうしそのすかした態度が気に食わない連中からはイジメにもあった。
昔からの付き合いの先輩からはお前イジメられるキャラじゃねぇじゃん?なんで黙ってんの?
やり返せばいいじゃん?っても言われた。
けどなんでやられっぱなしなのか、俺にもわかんねぇって感じだった。
まぁ後にその先輩達とつるんでるの見た奴らは手を出さなくなったんだけど(笑)
そんな感じで俺は学校に行くのも嫌になっていた。
不登校…まではいかなかったけど休みがちになったり保健室に行って仮病使って早く上がったり…
その頃学校から帰って来ると必ずやってたのがアコギの練習。
というよりギターが弾きたいから早く帰りたかった。
中学に上がる頃?それまで親父のクラシックギターでギター弾く真似事(コードも知らなかったので)をしてたんだけど当時買ってた中古の音楽雑誌にコード表と簡単な譜面も付いてたのでなんとなくコードを押さえるという事をし始めた。
3つくらい覚えた頃に繋げて弾いてみた。
おぉー演奏になってる!なんて楽しくなって来てとりあえず弾けそうなコードだけ覚えていった。
それを聞いてた親父がある日屋根裏からボロボロのフォークギターを出して来た。
なんだこれ!こんなもんあったのか!って目を輝かせてると弦が無かったのでそれを見た親父が明日弦買って来てやるよと言って次の日仕事帰りに楽器屋寄って弦とチューナーを買って来た。
早速弦を張ってチューニングを合わせるとそれまでガットギターの音色しか知らなかった俺は初めて聴くスチール弦の音に感動した。
今思えばネックも反り返ってたしナットも死んでたしめちゃめちゃだったんだけどそれでも初めて奏でるアコギの音に感動したのを覚えてる。
そこから毎日アコギを弾くようになってコードもなんとなく覚えていった。
勿論ギタリストになりたかった訳じゃないからそこまで拘りも無かったけどギター弾きながら歌えるってのが1人孤独な俺には合ってたのかもしれない。
そんな中学生活が過ぎ去って高校入学問題が出てきた。
問題ってのはそもそも俺は中学出たら働いて東京に出たいと思ってたから。
勿論ガキの思考なんで甘いのは重々承知。
けどそん時は本気で思ってて、親にその話をしたら案の定否定された。
母親には高校だけはどんだけバカな学校でもいいから行ってくれと言われた。
高校卒業したら好きな事やって良いからと。
俺は悩んだけど散々迷惑かけた親のお願いだったから高校は行く事にした。
とは言っても周りは将来を見据えてどこどこの高校に入るだ、どこどこの高校ならこんな資格が取れるだ色んな選択肢があったけど俺はそもそも興味が無かったしなんも考えてなかったからどこの高校に入れば良いのか分からなかった。
当時親父とよく釣りや波乗りに海に行ってた。
ある日釣りの帰りに海沿いを車で走ってると親父がここに入ればいいじゃん。と海沿いの学校を通り過ぎる時に呟いた。
「毎日釣り出来るぞ」
そんな親父の悪魔の囁きに俺はまんまと乗せられ毎日釣り出来て毎日波乗りも出来るなら俺ここに入る!という思考になっていた。
1つ上の先輩が先に入学してたのもあり俺は中3の頃からその高校の先輩達とつるみ始めた。
その先輩の紹介でバンドやってる先輩達に出会って遊びついでにスタジオ入るから来なよって言われて何故か俺はアコギ持参してスタジオに向かった。
そこで初めてバンドってものに触れた。
メンバーはドラム叩けないドラマー、まだベース持ってないベーシスト、やたら上手いギタリスト2人、音痴なボーカルの5人だった。
スタジオと言っても曲合わせる訳でもなくギタリスト2人のアンサンブルを聴いてるだけだった(笑)
それでもアンプから出る爆音に包まれて興奮してた。
ちなみにその時やってたのがXの紅。
俺もうる覚えな感じだったけど歌わせて貰った。
そんな感じで月1ペースくらいでつるむ様になった。
そして無事俺も高校に入学出来た。
それから毎日先輩達と遊ぶ様になりバンドの練習にも顔出した。
ある日ボーカル以外のメンバーから「ボーカルやって!」と言われ、え?いいんすか?と言いつつ実は心の中ではまぁあのボーカルより絶対俺がやった方が良いだろと思ってたので(よし、来た!)って感じだった。
そこから俺のバンド人生がスタートした。
高校生活はそれまでの中学生活と真逆で学校に行くのが楽しみだった。
ただ俺が入学した高校は地元でも有名なヤンキー校…
1年生で目立つ奴は漏れなく呼び出された。
ある日ヤンキーの先輩にチャリ置き場で絡まれた。
おい、1年!ライター持ってね?
あぁ悪ぃ俺煙草吸わねぇんだわ!
調子に乗ってた俺はまだ上下関係ってのも知らなくてそんな返しをしてしまった。
後々、やべぇ殺される…と怯えて居たけどつるんでた先輩が庇ってくれた。
その先輩のおかげもありつつ、1年のくせにいい根性してんじゃん!と他のヤンキーの先輩からは気に入られ、生意気な1年生を防波堤に集められて順番ずつ蹴り落とされた以外はシメられる事はなかった。
同級生にもヤンチャな奴はいっぱい居た。
仲良くとまではいかないけど舐められないように俺もイキってたから仲間と認識される事が多かった。
そういう奴らが街で他の高校のヤンキーとトラブって学校に殴り込みに来る奴らも居た。
おかげで巻き込まれもしたけど基本的に争い事が嫌いな俺はそういう連中からは距離を置く様にしてた。
2年に上がる頃にはドロップアウトしてく奴ら、警察にパクられてそのまま辞める奴などが増えて気付けばクラス自体は平和になってた。
相変わらず俺は遊びにバンドにバイトに忙しい日々を過ごしてた。
その頃地元の夏祭りで商店街でのライブに出ないかという話が舞い込んで来た。
それが人生初めてのライブとなる。
いきなり野外だ。
その後もライブを重ねて地元の高校生バンドとしてオリジナル曲で活動してるバンドが少なかったのもあって色んな大人達との出会いもあった。
今も俺の音楽の師匠と思ってる方ともその頃に出会って今に繋がってる。
そして解散の日は突然訪れる。
メンバーは俺以外全員1個上の先輩。
つまり俺より1年先に卒業してしまう。
卒業がイコールバンドの解散を意味する。
就職するメンバー、自衛隊に入隊するメンバー、それぞれが旅立って行く。
俺はバンドを続けたかったが同級生で音楽やってる奴も居ない。
3年生になった頃音楽活動は続けたいと思い弾き語りを始めた。
それまでも路上ライブやったりアコースティック形式でライブイベント出たりもしたけど完全に1人は初めて。
孤独だった、地元の駅前で路上ライブしてる連中も大体年上でみんな居なくなってた。
3年生って事もあって進路について三者面談みたいなのがあった時、担任がホントに就職も進学もしないのか?と聞いて来た。
俺は上京して音楽やるんでしねぇす!って答えると担任はホントにいいんですか?と母親に問いただした。
母親は、この子が本気でやりたい事なんで私はやらせてあげたいです。と答えた。
担任も親がそう言うならどうしようも無い。
そこから周りの同級生は就活や進学の為に忙しくなって行った。
就職も進学もしないと決めた俺はヒマだった。
授業も適当に出て出席日数ギリギリのラインまで学校はサボってバイトで金貯めてた。
ある日国語の先生が、大介は私の授業聞かなくていいから作詞書いてな。って言って来た。
出来たら提出して。
神のような言葉だった。
美人教師で有名だったからマジで女神に見えた。
この人の為に詩書こう。初めてそう思って作詞をした。
今思えば先生に対する淡い想いを妄想しなが書いたキモい内容だったと思う。
それでも先生はちゃんと読んでくれて感想までくれた。
「大介って意外とロマンチストなんだね。」
惚れてまうやろ!!!!!(笑)
まぁその後※「高校教師」みたいな関係にはなれなかったけど(笑)
そして無事高卒という学歴を取得出来た。