見出し画像

作詞作曲に悩んだ10代

あ、写真は10代、海で飛び込みをしてる時のDさん(全く関係ない)


見様見真似で音楽を始め、作詞も作曲も全て独学だった。


ガキの頃からクラシックギターとアコースティックギターは触れていたがまともに弾き始めたのは中学生の時。
フォークソング好きで世代だった親父はよくクラシックギターを弾いていた。
それを真似てギターを弾き始め、中学生の頃、何となく買って貰った音楽雑誌の後ろに載っていたコード表を見ながらコードを弾き始めた。
それまでめちゃくちゃに掻き鳴らしてたギターの音が初めて和音を奏でそれっぽく形になっていた。

それまでめちゃくちゃに弾いてただけだったけど右手のストロークの感覚は自然と養えてたのかコードと共にそれなりにリズムも刻めた。
その様を見ていた親父が屋根裏から引っ張り出して来たギターが初めてのアコースティックギターだった。
スチール弦の音色に初めて触れて毎日弾くのが楽しみだった。
学校から帰って来るなりギターを弾きまくっていた。

ギターを弾き始めた頃からなんとなく自分にギターのセンスが無いのは分かっていた。
ある程度は弾けるようになったものの思う様には弾けてない。
けど当時からギタリストになる気はさらさらなく、ある程度弾けるだけで満足していた。

その頃から作曲、簡単なコードを組み合わせただけだったけどそこにメロディを載せたり歌詞を載せたりしていた。
今思えば酷い歌詞、酷いメロディだったけど曲を作る楽しみを覚えた。

高校で初めてバンドを組んだ時、初めてのオリジナル楽曲を作る事になった。
ギタリストが作った曲でマイナー調の切ない曲。
メロコアだったので曲はパワーコードの疾走感とコード感を出して叙情的にしたエモい楽曲。
初めて聴いた時にめちゃくちゃカッコいい!って感動したのを覚えてる。
歌詞もまだ詩という段階だったがギタリストが書いていた。
実体験を元にした、言わば失恋ソング。
メロディは無くオケと詩だけ渡された。


当時からメロディはボーカルが作るものってのは変わって無い。
てかそれが当たり前だと思っていた。
早速メロディラインを考え始めた。
オケを何度も流しながら鼻歌でメロディを入れて行く。
音楽的理論なんて皆無。
感覚でメロディを考えてた。

そしてギターの書いた詩をメロディに当てて見る。
歌にするとダサい、歌い辛い、何より感情が乗らない。
初めて人の書く詩に違和感を覚えた。


そうか歌詞も歌う本人が考えた方がいいのか。
でもこの曲はギタリストが曲と歌詞セットで作った曲、歌詞の世界は壊さずメロディに乗せた時に気持ち良くハマる言葉に置き換えよう。
そうして手直しした経緯を伝えつつメンバーに聴いて貰った。
作曲したメンバー以外は絶賛だった。
しかし作曲した当人はどこか府に落ちて無い様子。

サビの部分の歌詞は当初、具体的な表現をしていた。
まさに日記の様にいつ、どこどこで、誰と誰が…
そんな長い文をサビに当てはめれるはずが無い。
俺は素人ながら詩と歌詞の違いくらいは理解してるつもりだった。

そこを簡素に(彼の中では)されたのが納得いかなかったのだろう…
俺も素人だけど相手も素人、けどプライドだけはあったからなかなかお互い折れなかった。
歌う本人だからこそメロディの響きや歌いやすい言葉のチョイス、ハマり方を考慮出来たけど彼にはその概念がまだ無かった。
どうしたら納得してくれるのか?俺は素人なりに考えた。

いくら言葉で説明しても理解はしてくれない。
彼がこの詩を書いた経緯、詩に込めた想いやストーリー性を考え始めた。
頭では理解しつつも短い言葉や表現で伝わる歌詞の書き方を出来て無かったと気付き前後の歌詞を思い切って自分の言葉に変えた。

そしたら思いのほか彼の反応が良かった。

これなら俺が言いたい事が表現出来てる。
そんな反応を見せてくれた。


そこでやっと詩を歌詞にするというホントの意味を知った。
それと同時に、歌詞とメロディは歌う本人が作る方が手っ取り早いと改めて感じた(笑)
もちろん俺の場合ね。


これは東京出てバンド始めて今に至るまで変わらない考え。
唯一変わったのはそれは時と場合にもよるなって思える様になった事。笑


そんな当時、他のメンバーが書いた曲にも歌詞とメロディーを乗せたりバンドでやるのとは別に書いていたオリジナルの楽曲の歌詞やメロディーも考えていた。
書いても書いても在り来りな受け売りの言葉、よく耳にする定型の様な言葉の羅列に過ぎなかった。
何を伝えたいのか、自分の言葉で表すとは何か?
頭がぐちゃぐちゃだった。


そんな当時、好きでハマった女性アーティストが居る。
「もらい泣き」でデビューした一青窈。
最初は歌が好きで、テレビで見てるうちに彼女の歌う姿に惚れて気付いたら大好きになっていた。
当時連載していた雑誌のページをファイリングしてた程。
図書室のおばちゃんに頼み込んで学校が定期購読していた雑誌を処分する前にページだけ切り取らせて貰った。

1stアルバムを聴いて更にどっぷりハマっていた。
当時の俺にぶっ刺さった楽曲と彼女の歌、人柄、全てが好きだった。
恋にも似た感覚。


俺がやってたバンド、音楽のジャンル的には真逆と言っていい程かけ離れていたけど意外にも今思えばかなりの影響を受けている。
頭がぐちゃぐちゃで作詞に悩んでた時に聴き込んでいた彼女の1stアルバム「月天心」
そこから何か得ようという考えは全く無くただ単に好きで聴き込んで世界観に浸っていただけだったけど、そのとある雑誌のコラムで彼女は歌詞について語っていた。

彼女の歌詞には独特な表現、擬音が散りばめられている。
それについて語っているのを雑誌で見て改めて歌詞を見直すとその表現の仕方、自由な発想に衝撃を受けた。
歌詞カードすらアートになっている。


表現の仕方、言葉選びや言葉遊び、こんな自由で良いのか。
そう感じた。
それまでは勝手に何かの枠に嵌めようと雁字搦めになっていたのかもしれない。
そんな考えが一気に吹っ飛んで気が楽になった。
そう言った意味では彼女の作品にはかなり影響を受けている。
歌詞カードに拘る様になったのもまさにそこから。


メロディーで悩んだ時もあった。
歌メロに歌詞を綺麗に嵌めるという作業が億劫になっていた時テレビで宇多田ヒカルの特集を見た。
宇多田ヒカルも昔から好きで1stアルバムからずっと聴き込んでたアーティスト。
彼女のルーツはR&Bってのもあって歌詞の乗せ方が独特だった。
わかりやすい曲で言うとautomaticのAメロど頭。

七回目のベルで受話器を

という歌詞を
〇 、〇〇〇〇〇〇 、〇〇〇〇〇ー〇
な 、なかいめのベ 、 ルでじゅわきーを

という区切りで歌っている。
メロディーラインとして次のセクションに行ってるのに言葉はまだ途中で次のセクションに喰い込んでる。
今でこそよくあるパターンなのかもしれないけど当時のJpopは分かりやすくセクション毎に言葉を完結させる事が多かった。

これはR&Bのリズムとメロディーラインに日本語を乗せてるからなのもあるけど凄く新鮮だった。

それを知ってメロディーラインに対して言葉を綺麗に嵌める必要は無いんだって気付いた。



日本、洋楽問わずロックバンドから影響を受けたのはもちろんだけど俺の場合こういったアーティストから影響を受ける事のが多かった。
まぁもちろんバンドのスタイルや年代で都度影響を受けたアーティストや音楽は違うが基本的な、根本的な部分はこの時代に培ったものが今の自分のスタイルになってんだなぁと思う。

作詞、作曲に悩んだ10代と言ってるが未だに悩むしスランプの方が多い。
引き出しが無い訳じゃない。
ネタが尽きた訳じゃない。

今何を書きたいのか?
それが分からなくなるとそのループに入ってしまう。
曲を生み出すってのは時に簡単で時に苦痛を伴う。
そういうもん。



だと思う(笑)

いいなと思ったら応援しよう!