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【麦酒夜話】第七夜 渡せなかった創刊号

 履歴書は思い切って個性的に。趣味はいっそ「空想」としてしまえ。就職氷河期の最後の世代にとって、5月を過ぎるとヤケクソだ。当時は大学3年の10月に就活が解禁され、4月ごろには大手は内定を出し終わっている。そして6月を最後に求人がガクッと減る…。

 マンションの郵便受けにDMが入っていった。印刷会社の求人で職種にコピーライターとある。とりあえず受けてみるか。肩肘張らず面接に臨み、志望理由も家から近いからと答え、これまでの面接セオリーを無視し、正直に話した。それが奏功したのか、あれよあれよと最終面接に。最終面接と言っても形式だけで実質は内定らしい。遂に就職できるのか。そして念願のコピーライター!ふふふ。笑いがじわじわ込み上げてくる。

 「…それと、青山さんは最終面接の日、他の人より1時間早く来てください」と。なんでも常務が事前に確認することがあるのだという。その不気味な一言は、青年の小躍りを止めるのに充分な破壊力を持っていた。

 最終面接日。1時間早く来た私は、対峙する常務なる人物に、履歴書に書いた趣味「空想」について問われていた。仕事中に空想されたら困るのだが、その心配はないのか?と。いやーそれはですね、目を引くためというか、本気で書いたというわけではなく…。?では嘘を書いたということですか!いやいや、そうではなく、あれこれ思いを巡らすのは好きなのですが…。?ではやはり仕事中にもそういうことがあるのではないか!これが常務との、最初の出会いだった。結局この面接は、絶対に仕事中に空想するようなことはありませんという、訳の分からない誓いを立てることで乗り切り、無事入社することができた。

 一般社員にとって、常務は雲の上の存在。話すことなんて全く無いはずだったが、同じライター、編集者ということもあって、畏れ多くも句読点の打ち方にアドバイスをくださったり、見出しの付け方を教えてくださったり、何かと気にかけてくださった。上司の上司の上司の上司。確かにそうだけれど、家がご近所ということもあってか、勝手に身近な存在として、また先輩編集者として師事していた。

 入社3年目の終わりに東京へ転勤が決まり、送別会をしていただけることになった。ビール片手に何を話したのか。今となっては全く覚えていない。ただ、常務の隣に座り、テーブルの上に置いてあった有料のくじ引きを奢ってくださったことだけ覚えている。周りからは親子みたいだと囃され、少し嬉しかった。

 東京に行ってから5年ほど経ったある日、会報誌リニューアルの大型コンペがあった。事前に企画書をご覧になり、結果が楽しみだと褒めてくださった。大手ばかり5社競合の末に勝ち取った際も、仕上がりが楽しみだとの言葉を頂いた。

 その年の夏、常務の病が発覚した。病状も深刻で、会社も来月辞めるという。手紙を書き、お会いする約束を取り付けた。常務の自宅近くのスタバで、お昼過ぎの約束だった。こともあろうことか、少し遅れてしまった。しかしそれを咎められることもなく、笑顔で迎えてくれた。常務自身のこれまでのキャリア、病状など、どれも初めて聞く話ばかりだった。中でも新卒入社した会社を1ヶ月で辞めた話は衝撃的で、空想の一言に執拗にこだわった理由も、そのとき分かった気がした(笑)。病気を患っているとは微塵も感じられず、店を出て、ご自宅近くまで一緒に歩いた。読書好きの常務らしく、手には買いたての文庫本があった。

 秋の終わり、会報誌のリニューアル創刊号が完成した。隔月刊なので次号の制作も迫っている。忙しさにかまけて、常務にお送りするのを忘れていたら、入院されたという話を聞いた。病院名もわからない。誰に聞けばいいのか。ぐずぐずしていると、桜が咲く前に逝ってしまった。

 リニューアル創刊号を楽しみにしてくださっていたと考えるのは自惚れだろうか。待ち合わせの時間も守れなかった私をどうしようもない奴だと、ガッカリしているだろう。それとも最後にお会いした時のように笑って許してくださるのだろうか。いくら考えても、答えのない空しい想いが駆け巡り、後悔だけが何度もリフレインしている。

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Connecting the Books
Connecting the Booksは、これまで培ってきたクリエイティブディレクター、コピーライター、編集者としてのノウハウを公開するとともに、そのバックグラウンドである「本」のレビューを同時に行うという新たな試みです。