僕がNPOコンサルになったワケ -大学選び編-
先日の記事で、今月からNPOコンサルタントとして独立したことを報告した。独立というのは大きな決断ではあったが、所属が変わっただけで直近でやっている仕事自体には変わりがない。NPOや自治体等の公益組織のコンサルタントというのを本業として今年で4年目になる。
「なぜこの仕事をするようになったのか」「この職業で身を立てることを選択したのか」今日はこのことについて書いてみたいと思う。これまで歩んできた道やそれぞれの道を選択するときに考えてきたこと振り返りながら。
最初に結論というか、僕自身の感覚的な言葉でいうと、一つ一つ順番に考えて一つずつ試していったらいつの間にかこの道にきていた、という感じだ。ごく簡単に言ってしまえば成り行き。でもこの成り行きは成るべくしてなったものだとも、思う。最初からこの道を目指していたわけではないけれど、決して行き当たりばったりでたどり着いたわけでは、ない。長くなりそうなので少しずつ書いていくつもり。
NPOコンサルという職がこの先、もう少しはメジャーになることを願っているのでこの職を目指す誰かがいるのだとしたら。あるいはソーシャルセクターをキャリアに選ぼうとしている人、こちらは多いと思う。そんな人たちの参考に少しでもなればいいと思う。
進路について最初に考えたのは高校のころ。いよいよ進路指導が始まった高校2年のときだったと思う。栃木県の公立共学(栃木はいまだに男女別学が多い)の進学校で文系だった私は大学進学を考えていた。
学部を選ぶ中で僕が唯一興味を持ったのが社会学という学問分野だった。学部を選ぶ決め手を考える上ではなんとなくでも将来の仕事の方向性がイメージできるものが良いとは考えていたが、文学や法学、経済学といったいわゆる文系の王道的な学問分野から想像される仕事のイメージはあまりピンとくこなかった。じゃあ社会学はピンときたのかというとむしろ一番ピンとこなかったのだが、それで良いと思った。
大学を出た後、「どうせ働くなら社会に良いことをしたい」「社会を良くするような仕事をしたい」という志向性はこのころからなんとなく持っていたのだが(これがなぜなのかを深掘りするのも面白そうだけど長くなるのでまたの機会に。高校生の私にとっての直近のインパクトの大きかったことだけ挙げておくと、高校入学直前に『竜馬がゆく』を読んで坂本龍馬に強烈に憧れたことは一つ大きな経験だったと思う)、そんな高校生の私が考えたのは「社会を良くする方法が分からない」し「何が社会の役に立つ仕事なのか分からない」ということだった。
当時の僕は読書もするしニュースもそれなりに見ていた。だから社会課題というようなものがたくさんあることは知っていた。国際協力をしたいという同級生もいた。「確かに、途上国では大変な国たくさんあるよね。なんとなく分かる」9.11が起こったのは僕が中学3年のときだったから、その後の世界情勢がきな臭いものだということも片田舎の高校生でもなんとなく、わかっていた。国内にだっていろいろな問題があることは優等生的には知っていた。
でも、そんな自分が知っている社会課題が課題の全部だとはとても思えなかった。というよりは、自分が知らない課題がたくさんある、ということに対して確信的な思いがあった。いま現在の自分が知っている範囲の中で取り組むべき課題を選んで、そこに向かうために学部や大学を選ぶなんて無理だ、と思った。
社会学をやろう、と考えたのはそんな思考があったからだ。社会の役に立つことをしたいけれど何が社会の役に立つのか分からない僕が、まず一番はじめにやるべきことは「何が社会の役に立つのか考えられるようになること」だった。そのためには社会を自分なりの視点で捉えて、行動すべき何かを自分で導き出せるようにならなくてはならない。だから社会について分析したり考えたりする学問があるならそれを学びたい、と思った。
僕にとって社会学とはそんな学問だった。社会学というものに対して別に深い理解があったわけではなくて、むしろ今から思うと思い込みが大きいのだけど。この「思い込み」というのは一つのキーワードだ。この先も僕のキャリア選択というかキャリアについての思考の中には思い込みというものが何度も登場することになるはず。思い込みと名付けるのが正しいのかは分からないけれど、とにかく自分で納得のいくように思考を整理してから行動を決定するというのが僕の行動原則になっている、のだと思う。
大学では社会学をやる、ということを決めた後はいよいよ大学選びだ。大学選びについてはそんなに難しくはなかった。前提条件がいくつもあったからだ。まず国立で、自宅からは通えない距離(一人暮らしがしたかった。正しくは一人部屋がどうしても欲しかった)で、できれば寮があって、社会学を学べるところ。
まず関東では東大か、一橋か、筑波か…。そんなに迷いもなく筑波が志望校になった。当時の偏差値的に東大狙う根性がなかったのもあるが、何より当時の私が怖かったのは数学で東大と一橋は二次試験にまで数学があったこと。家計事情的に浪人をするわけにはいかず、冒険をする勇気もなかった。一方の筑波は医学部や体育、芸術まで含む総合大学でしかもキャンパスが一つだったので、色んな人と出会えそうだと感じられたことがまず魅力だった。そして社会学を学べる第一学群社会学類は社会学以外に法学、政治学、経済学を専攻として選択することができ、高校生の私が社会学に感じた直感(思い込み)が外れても似たような方向性の中から専攻を選ぶことができそうだ、ということも安心を感じられる要素だった。さらに筑波大学には宿舎があり、家賃も安かった。決まりだ。
そんな訳で筑波大学のみを志望校とした受験勉強に突入し、大学生活に向かっていったのだった。続く。