棲家の遍歴・その1 / 大阪府八尾市 / 間取リックス&住マップ
2010年7月20日に他のサイトへ掲載した原稿を加筆修正しました。==================================
間取リックス:
大阪府八尾市の家
私の記憶にある最初の家。古い木造2階建てだった。
父が小学生・低学年の頃に、大阪市天王寺区小宮町からこの家に引っ越した話を聞いた憶えがある。父の年齢から逆算すると、この家は第二次世界大戦前に建てられたもので、私が生まれた頃は、既に築20年ぐらいは経過していたはずだ。
私がこの家に住んでいたのは、生まれた1956年の春から1960年の夏、幼稚園・年長組の夏休みぐらいまで。
祖父母と私、雑種の雄犬チロの3人+1匹で住んでいた。私が2歳の頃に、両親が離婚したため、母の記憶は残っていない。父は時々この家に戻ってきてはいたが、ずっと一緒に住んではいなかった。
住んでいたのは4歳までだったので、記憶はかなり曖昧だ。風呂とトイレの位置、2階の間取りなどは思い出せない。トイレは多分、縁側の横あたりだったと思う。玄関の近くに2階へと続く階段があったことは覚えている。
台所の隣にあった6帖の和室と縁側、庭の雰囲気は未だに良く覚えている。
この家での一番強烈な思い出は、伊勢湾台風(1959年)か他の大型台風に襲われた時のこと。
暴風雨の中、祖父と父が必死で雨戸に釘を打ちつけていた。私は6帖の和室で、祖母にぎゅっと強く抱きしめられ、守られていた。まるで野獣の咆哮のような雨と風の音が凄まじかった。
翌朝、静まりかえった庭から見上げた空は、とても美しく澄んだ青色だった。
住マップ:
大阪府八尾市東山本町5丁目付近
住所はこの辺りだったと思う。
最寄駅の近鉄大阪線・河内山本駅までは歩いて行ける距離だった。また私が通っていた聖光幼稚園への通学路(徒歩+送迎バス)から推定すると、多分この辺りに住んでいたのだろう。
近所に小さな川が流れていて、その上に建てた荒ら屋に皮細工職人が住んでいた。
朝一番、目を覚ますと、寝巻き姿のまま皮細工職人の家に遊びに行って、皮細工作業を飽きもせずに眺めていた。そして行くたびに 「あそこに行ってはいけません!」 と祖母に強く叱られていた。
後日、部落問題につて習った時、皮細工職人の家を思い出した。
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