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棲家の遍歴・その2 / 大阪市天王寺区 / 間取リックス&住マップ
2010年7月20日に他のサイトへ掲載した原稿を加筆修正しました。==================================
間取リックス:
大阪市天王寺区の家
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住んでいたのは木造の長屋だった。
祖父が枚方に新築の家を建てることになり、1960年の夏頃から1961年の夏まで、約1年間この長屋に仮住まいしていた。
ここから近所の保育園に通い、大阪市立真田山小学校に1年生の1学期の間だけ通った。
祖父母と私の3人で住んでいた。父は時々この家に戻ってきていたが、一緒にずっと住んでいた記憶は無い。
風呂が無かったので、祖父の妹が住職をしていた近所のお寺(梅松院)にもらい湯に通っていた。
長屋の前にベッド・メーカーの工場があり、そこのゴミ捨場がスポンジだらけなので、毎日そこで飛び跳ねて遊んでいた。
また縁側の向こう側は墓地で、墓石の上を飛び跳ねて遊んでは、祖母に叱られていた。どうやら当時は飛び跳ねて遊ぶのが好きだったようだ。
夜になると縁側の下に巨大な虎が潜んでいると思い込み、夜間に一人でトイレに行くのが怖かった。裏の墓地から流れ込む妖気のようなものを感じていたのだろうか。
多分、単なる怖がりだったのだろう。
住マップ:
大阪府大阪市天王寺区城南寺町2丁目付近
この辺りは多くの寺が密集したエリア。
小学校1年生の夏まで通っていた大阪市立真田山小学校の位置、祖父の妹が住職をしていた近所のお寺(梅松院)の位置、歩いて行けた最寄駅の近鉄大阪線・大阪上本町駅の位置から推測すると、この辺りに住んでいたはずだ。
祖母に大阪上本町駅にある近鉄百貨店に連れて行ってもらい、地下の食料品売場でお菓子を買ってもらうのが楽しみだった。
今はあまり見なくなったが、当時はぐるぐる回る什器を使ったお菓子売場コーナーがあり、そこは計量販売で、好きなお菓子を好きなだけ選べるた。
私はゴム風船に入った玉羊羹(爪楊枝でプチッと突くとプル~ンと中味が出てくる)と、明治のサイコロキャラメルが特に好きだった。
近所の時計屋で、いつも気難しそうな顔をして時計を修理していた小柄な職人が殺害されたことが強烈な記憶として残っている。
少し離れたところにある近鉄線・大阪環状線の鶴橋駅周辺には、韓国・朝鮮系の商店が多く、日本最大のコリアタウンを形成している。