F1 / 群雄割拠の1986年 あるオールドファンの回想
2003年5月31日、F1伝統の一戦、モナコGPの前日に他のサイトへ掲載した原稿を加筆修正しました。
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F1を真面目に(?)観戦するようになったのは、まだ私がフランスに住んでいた頃で、1985年の夏の終わりぐらいからです。
その頃、夜のスポーツニュースではアラン・プロストという男が盛んに取り上げられていました。フランス人としては初めてF1ドライバーズチャンピオンになる可能性が高いドライバーだったからです。
そしてアラン・プロストの話題の後にホンダのエンジンについて語られることも度々ありました。
日本のメーカーがF1に参戦している事を知ると、やはり同じ日本人としての血が騒ぎ、ホンダ・エンジンを搭載するウィリアムズが気になり始め、本腰を入れてF1をTV観戦するようになりました。
すると最後の三戦ではウィリアムズ・ホンダが三連勝を果たしました。こうなれば俄然興味が湧いてきます。来年の1986年はどんなF1シーズンになるのだろうか?
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名勝負とは? スポーツ観戦を始めると、誰しも一度ぐらいは自問自答することになる。
それを観た本人がその瞬間に感じたものこそが真実であり、感動とはそれに基づいている。そして名勝負とはその感動抜きには語れない。つまりそれは純度の高い感動を提供してくれた試合という事も出来ると思う。
しかし感動を数値化することなんか土台無理な話だ。
だから名勝負ベストテン的なランキング作りは酒の肴にはなるが、それはその人だけにしか採点出来ない答案のようなもの。他人の答案は他人の名勝負集。他人の答案は参考になっても、それを自分に当てはめる必要はないだろう。
では名勝負には何が必要なのだろうか?
スポーツは人と人との競い合いから生じるものだから、アスリートには自己の能力をフルに発揮することが必要な、恵まれた対戦相手との遭遇が名勝負には必要だろう。
in the right place at the right time.
いい場所にいいタイミングで居合わせること。
この出会いこそがアスリートの突出した能力と共に名勝負を生むには欠かせないものではないだろうか。
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1986年、それはワールドカップ・第13回メキシコ大会が開催された年。
ミシェル・プラティニが率いるフランス、ジーコが率いるブラジル、そしてマラドーナが率いるアルゼンチンが覇権を争った年だ。そんなサッカー界の熱気が波及したのか、1986年のF1は最後の最後まで目が離せない熱戦続きの年だった。
名門マクラーレン(設計:ジョン・バーナード)に対して牙をむくウィリアムス(設計:パトリック・ヘッド)、老舗のプライドがかかっているロータス(設計:ジェラール・ドゥカルージュ)。
スポーツカー・メーカーとしての誇りが懸かっているTAG・ポルシェ、前年から上り調子のホンダの意気込み、F1用ターボ・エンジン開発の先駆者ルノーの意地。
連覇を目指すアラン・プロスト、3度目のチャンピオンを虎視眈々と狙うネルソン・ピケ、初栄冠を夢見るナイジェル・マンセル、そして若き日のアイルトン・セナ。
ざっと思い出しただけでも1986年のF1にはこれだけの役者達が揃っていた。
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シーズン中盤まではプロスト、ピケ、マンセル、セナの4人が凌ぎを削っていた。
しかしセナがチャンピオン・シップ争いから脱落すると、その後はマンセルがポイントをリードしながらプロスト、ピケが追走する形が続いた。
マンセルはチャンピオン・シップを殆ど手中に収めていた。しかし最終戦オーストリアGP、アデレイドの市街地 コースで悪夢のバーストに見舞われる。栄光はするりとマンセルの手からこぼれ落ち、プロストが土壇場で大逆転、2連覇を果たす。
彼ら4人以外でこの年に優勝したのはベネトンBMWを操るゲルハルト・ベルガーのみ。ベルガーの初優勝は第15戦目のメキシコGP、エルマノス・ロドリゲス・サーキットにてだった。
バンピーなコースでしかも酸素の薄い高地でのレース。殆どのドライバーがタイヤ交換するなか、ベルガーだけはタイヤ交換せず、酷い路面のコースを狂ったように走り続けた。誰もがベルガーのタイヤは最後までもたないと思っていたが、それは誤りだった。大きな賭に勝ったベルガーは優勝を独占する四天王に風穴を開けた唯一のドライバーだった。
この活躍が認められたのか、ベルガーは翌年、老舗のフェラーリに迎えられる。そしてベルガーの後釜には名脇役ティエリー・ブーツェンが収まる。
それにしてもベネトンはイキが良く、目立ったチームだった。グリーンベースで白地にカラフルな色をペンキで塗り付けたような洒落たボティ・デザイン。長身のベルガーの相棒は小柄だが実力派のスピード・ドライバー、テオ・ファビ。この凸凹コンビも素晴らしかった。
そんなベネトンのモダンなデザインと対極にあったのが、ロータスのクラシカルなデザイン。メインスポンサーが煙草のジョン・プレイヤー・スペシャルだっただけに、黒字にゴールドのロゴマークは高貴で美しかった。だから今でもJPSを見つけるとついつい買ってしまい、当時のセナやGPを思い出しながら吸っている。
その他にもブランズ・ハッチでの大クラッシュに巻き込まれて両足を複雑骨折し、引退を余儀なくされたベテラン、ジャック・ラフィット(イギリス GP)。ゴール直前のガス欠で、リアウイング押しながら走るアラン・プロストの姿(ドイツGP)。テスト中に事故死してしまったエリオ・デ・アンジェリス。規制だ らけのF1に嫌気がさし、引退表明したケケ・ロズベルグ。
そしてコンストラクターズ・タイトルを初めて獲得したホンダ。
1986年は兵どもが繰り広げた記憶に残る濃密で感動的な1年だった。
最後に1986年を大いに盛り上げてくれたチームとドライバー達を紹介しておこう。
Marlboro McLaren International
マールボロ・マクラーレン・インターナショナル
Alan Prost / アラン・プロスト
keke Rosberg / ケケ・ロズベルグ
Canon Williams Honda
キヤノン・ウィリアムズ・ホンダ
Nelson Piquet / ネルソン・ピケ
Nigel Mansell / ナイジェル・マンセル
John Player Special Team Lotus
ジョン・プレイヤー・スペシャル・チーム・ロータス
Ayrton Senna / アイルトン・セナ
Johnny Dumfries / ジョニー・ダンフリーズ
Benetton Formula Ltd
ベネトン・フォーミュラ Ltd
Gerhard Berger / ゲルハルト・ベルガー
Teo Fabi / テオ・ファビ
Scuderia Ferrari SpA SEFAC
スクーデリア・フェラーリ SpA SEFAC
Michele Alboreto / ミケーレ・アルボレート
Stefan Johansson / ステファン・ヨハンセン
Equipe Ligier
エキープ・リジェ
Jacques Laffite / ジャック・ラフィット
Rene Arnoux / ルネ・アルヌー
BRABHAM:Motor Racing Developments Ltd
ブラバム:モーター・レーシング・デベロップメント Ltd
Elio de Angelis / エリオ・デ・アンジェリス
Riccardo Patrese / リカルド・パトレーゼ