棲家の遍歴・その6 / 大阪府枚方市 / 間取リックス&住マップ
2010年7月22日に他のサイトへ掲載した原稿を加筆修正しました。==================================
間取リックス:
大阪府枚方市香里ヶ丘8丁目の家
以前に住んでいた家に戻り、もう一度住ことになった。
1972年の春から1975年9月まで、この家に住んでいた。
高校2年生の1学期からスペインへ出発するまで、この家に住んでいた。
親族の都合でこの家に戻ることになり、交換引越(?)で、祖父母は私たちが住んでいた金剛ニュータウンの団地に移り住むことになった。
間取りは以前と同じ。
少し変わっているのは、父がトイレを和式から洋式に換えた程度。
以前に私が使っていた約3帖の洋室は、幼い弟が自分のおもちゃ置場として使い、私は6帖の和室を使うことになる。
高校2年生の時、この部屋で文化祭に出品する100号の油絵を描いた。
高校3年生の時、突然フランス文学に目覚め、この部屋で小説を読み耽った。
1975年9月、スペイン出発前夜、この部屋で最後の荷詰めをし、この部屋で眠った。
都合、二度住むことになり、思い出深いこの家も、売却され、取り壊され、今はもうない。
住マップ:
大阪府枚方市香里ケ丘8丁目
初めてこの家に住んだ時から約10年が過ぎていたので、周辺は落ち着いた郊外の住宅街の雰囲気が漂い始めていた。
大阪市内の高校へ通学し、大阪市内へアルバイトに通い、この家の立地の不便さを身に沁みて感じるようになった。
最寄駅の京阪本線・枚方公園駅から家までが遠すぎた。
駅前でバスに乗り、家の近所のバス停留所まで約20分。
放課後に遊び疲れ、アルバイトや飲み会でほとほと疲れ、夜遅く枚方公園駅で下車して、バスを待つ・・・。これがとてもかったるく感じられた。
住むのは駅から徒歩10分以内のところがベストだと痛感。
この家を建てた祖父は旧D銀行に勤め、系列の某信用金庫で定年を迎えた。
祖父は毎朝早くに家を出て、会食や飲みに行くこともなく、毎晩判で押したように、同じ時刻に帰宅していた。
そんな規則正しい生活を送れる人には、最寄駅からバスで帰るのも、さほど苦にならないのかもしれない。
しかし私には無理だった。