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棲家の遍歴・その11 / フランス、パリ② / 間取リックス&住マップ
2010年7月30日に他のサイトへ掲載した原稿を加筆修正しました。==================================
間取リックス:
Boulevard Saint-Marcel 75005 Paris /
パリ5区、サン・マルセル通りのアパート
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古い Appartement / アパルトマン(集合住宅:日本で言うところのマンション)の2階。
なんとかパリ第1大学の美術史・考古学部に入学して、一般教養教育課程(DEUG)が終わるまでの約2年間、1979年の春から1981年の夏まで、この Appartement に友人と住んでいた。
古い部屋をかなり強引に仕切った妙な間取りで、シャワー・洗面室がやたらと広かった。
シャワー・洗面室として使うには広すぎるので、箪笥や棚をこの部屋に押し込み、半ば物置としてスペースを有効活用(?)した。
その反面、台所が極端に狭かったのが難点だった。
料理をする時、フライパンや調味料、鍋や皿がすぐ手に届くところにあるのは、ある意味では便利だ。しかし小さなテーブルがあるだけでも窮屈な台所で、食べるスペースを確保するのが難儀だった。
この台所で金欠病対策用の激安ビンボーメニューを数多く開発した。
このアパルトマンは、大学の一般教養教育課程(DEUG)をなんとか2年で修了するため、滅茶苦茶猛勉強した場所として思い出深い。
自室の窓の外に鳩がやって来ては、興味深げに部屋の中を覗いていた。来て、室内を覗くのは一向に構わんが、窓辺に糞をして帰るのには開口した。
住マップ:
10 Boulevard Saint-Marcel 75005 Paris /
パリ5区、サン・マルセル通り 10番地
地下鉄の最寄駅、Saint-Marcelまで徒歩約3分、駅前にスーパーマーケットがあった。
通っていた大学までは約20分程度、パリ左岸の中心地・繁華街のモンパルナスまでバスで約30分程度、住むには便利なところだった。
便利なところだったが、落第しないように毎日勉強に追いまくられ、また慢性の金欠病でもあったので、パリの生活を満喫したという記憶は無い。
一番思い出深い出来事は、1981年5月10日・日曜日、社会党のフランソワ・ミッテランが大統領選で勝利を収めた時の事。
その夜、フランス革命ゆかりの地である Place de la Bastille / バスティーユ広場で社会党が決起大会を開きいた。そこに新大統領の誕生を祝う支持者たちが、社会党の象徴である赤いバラを片手に、集結した。
私の部屋はバスティーユ広場へと通じる大通りに面しており、窓から外を眺めると、支持者たちを乗せた車が通りを埋め尽くしていた。それは一晩中続いた大渋滞だった。
そして祝砲代わりのクラクションが一晩中いたるところで鳴り響いていた。