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Young Rascals, the / Groovin'

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Groovin' / 1967

2004年7月20日に他のサイトへ掲載した原稿を加筆修正しました。==================================

黒人音楽に憧れ、ソウルや R&B から強く影響を受け、黒っぽいサウンドを志向するミュージシャンは当時も今も多い。

ニューヨークで1964年に結成されたヤング・ラスカルズは白人なのに黒っぽい 雰囲気を醸し出す“Blue-Eyed Soul / ブルー・アイド・ソウル” と呼ばれたミュージシャンの代表格だった。そして1965年にソウルや R&B、ジャズ等の黒人音楽専門レーベルだったアトランテックと契約する。

ヤング・ラスカルズは単なる黒人音楽のコピーバンドではなく、その優れた音楽センスによる曲作りで、ファーストアル・バムから《Good Lovin'》(1966年)、そしてサード・アルバムのタイトル曲《Groovin'》(1967年)を全米ヒット・チャートNo.1へ送り込む。

バンドを構成するメンバーはフェリックス・キャヴァリエ(リードボーカル、キーボード)、エディ・ブリガッティ(リードボーカル、パーカッション)、ディノ・ダネリ(ドラム)以上の三人はイタリア系アメリカ人で、ジーン・コーニッシュ(ギター、ベース)はフランス系カナダ人。

ヤング・ラスカルズの人気を決定付けたのは《Groovin'》のヒットだろう。リラックスした雰囲気がたまらない名曲だ。

のどかな初夏の昼下がり、ピアノ、ハーモニカ、ベースとパーカッション、そして微かに鳥の囀りが聞こえるこの曲を聴きながら、ビールを飲んで昼寝をするのは快感だろう。

アルバム『Groovin' / グルーヴィン』には心地よいタイトル曲以外にも《A Girl Like You》、《How Can I Be Sure》、《You Better Run》など適度にソウルフル、適度にポップな佳曲が満載。主に作詞・作曲を担当するフェリックス・キャヴァリエとエディ・ブリガッティの音楽センスの良さが光る。また最初の二枚のアルバムではカバー曲が多かったが、この三作目のアルバムでは11曲中10曲がオリジナル。

その後、ヤング・ラスカルズはバンド名をラスカルズに変更する。そして次のヒット曲《People Got To Be Free / 自由への讃歌》(1968年)が表すように、時代を反映した政治的メッセージを強く打ち出すバンドへと変わってゆく。

またラスカルズは音楽フェスティバルに出演する際の条件として、黒人ミュージシャンが必ずブッキングされていることを挙げていた。公民権法制定以降もなくならない人種差別への憤りもあったと思う。しかしそれは彼等が愛した音楽、ソウルや R&B の生みの親である黒人への、彼等なりの敬意の払い方であり、また少しでも演奏の機会を与えることで、黒人音楽への理解を深めさせるためでもあったと思う。

ささやかな疑問:
何故ラスカルズはそこまで黒人とその音楽を愛したのだろうか?

これは全くの推測だが、それはメンバーの三人がイタリア系アメリカ人だったからではないだろうか?

黒人ほどではないが、支配階級WASP(ホワイト・アングロ・サクソン・プロテスタント)に属さない東海岸のイタリア系アメリカ人も貧しかった。その貧しさが、当初は自衛組織であったと思うが、マフィアのような組織を生み出すことになる。

イタリア系と同じように非支配階級に属し、差別される黒人とその音楽へのシンパシーが生まれ、それが理由で初期の”ブルー・アイド・ソウル”系ミュージシャンにはラスカルズだけではなく、ローラ・ニーロやフォーシーズンズのような東海岸出身のイタリア系ミュージシャンが多のではないだろうか。

また情感を込めて歌うソウルや R&B とイタリア・オペラやカンツォーネにはある種の共通点があるのかもしれない。

余談になるが、貧しいイタリア系は”腕一本”で生きるしかなく、ショービジネス(フランク・シナトラ)、野球(ジョー・ディマジオ)やボクシング(ロッキー・マルシアノ)などでもイタリア系が活躍していた。

And More...

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The Young Rascals

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