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Brother Jack Mcduff / Down Home Style
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2004年8月20日に他のサイトへ掲載した原稿を加筆修正しました。==================================
ジャズ・オルガン奏者、ジャック・マクダフがブルーノートからリリースしたアルバムだ。
ブルーノートの創設者、ドイツ移民のアルフレッド・ライオンは常に自らプロデュース業務をこなし、自ら立会いながら、ほとんどの作品の録音をニュージャージー州イングルウッド・クリフスにあるヴァン・ゲルダー・スタジオで行っていた。
こよなくジャズを愛したアルフレッド・ライオンは多くの制作業務を一人で取り仕切り、一つのジャズ・スタイルとも言える”ブルーノート・スタイル”を築き上げた。それはジャズのサウンド面だけではなく、ジャケットのビジュアル面にも当てはまる。
しかし財政上の問題等で1965年にブルーノートは大手リバティーの傘下に入り、1967年7月を最後にライオンは録音等のプロデュース業務から手を引いた。
そんな訳で、このアルバムはアルフレッド・ライオンの手から離れたところで制作されたもので、録音場所はニューヨークのお隣、ライオンが何時も足繁く通ったヴァン・ゲルダー・スタジオではなく、テネシー州メンフィスのスタジオだ。
それがブルーノートの”正統・正調”アルバムとして認められる条件にアルフレッド・ライオンのプロデュースが含まれるなら、このアルバムはブルーノートの”摘子”ではなく”庶子”なのかもしれない。
アルフレッド・ライオンはオルガン・ジャズの開発者、ジミー・スミスを長年に渡り起用し、多くのアルバムを世に出した。しかしジミーが1963年にブルーノートを離れ、ノーマン・グランツが設立したヴァーヴに移籍すると、後釜のオルガン奏者探しに一苦労する。ジャック・マクダフはジミー・スミスの後釜候補の一人だった。
ジミー・スミスとほぼ同年のジャック・マクダフは既にプレスティッジで多数のアルバムをリリースしていた。中でも『Tough 'Duff / タフ・ダフ』(1960年)やジョージ・ベンソンも参加している『Brother Jack McDuff Live ! / ライブ!』(1963年)などは秀作で、ブルージーでソウルフルなノリは抜群だ。
しかしここで『Down Home Style / ダウン・ホーム・スタイル』(1969年)を選んだのは、ブルーノートのブランド力からではなく、このアルバムが撒き散らすアーシーなソウル度の高さからだ。それに録音場所はサザン・ソウルのメッカ、テネシー州メンフィスなのだ。このアルバムのサウンドが並みのグルーヴで終わるはずがない。
元来かなりのソウル度を内臓するジミー・スミスのオルガン・ジャズからハード・バップ的なジャズ要素を減らし、ダウン・トゥ・アースなソウル度を増すと、必然的にこんなアルバムが仕上がる。
アメリカの田舎のロードサイドにある安っぽいレストランやダイナーで出てきそうな、とても美味しそうとは思えない料理の写真がジャケットに使われているが、そのアーシーな雰囲気がアルバムのサウンドを絶妙に表している。
サウンド面、ジャケットのデザイン面、どちらも”正統・正調”ブルーノートのスタイルから逸脱しているように思える。やはりこのアルバムはブルーノートの”摘子”ではなく”庶子”なのだろうか。
このアルバムがリリースされた前年の1968年にはハービー・マンの『Memphis Underground / メンフィス・アンダーグラウンド』が大ヒットしていた。この辺りを意識して、”二匹目のドジョウ”的に制作されたアルバムなのかもしれない。
もしそうであれば、この制作動機もブルーノートの”摘子”にはあり得ない動機だ。
小難しい話はさておき、『Down Home Style / ダウン・ホーム・スタイル』の一曲目、印象的なリフが執拗に繰り返される《Vibrator》だけでも聴いてみよう。ブラックでソウルフルな濃い味のサウンドがテンコ盛り状態。但し胃腸の弱い方は聴く前に胃腸薬の用意を忘れずに。