スペインのラ・マンチャ地方をヒッチハイク旅行した時に出会った野良犬について
以前にもこのノートに書きましたが、1975年の秋、当時19歳の私はスペインへ渡り、首都マドリードから北西のところに位置するサラマンカという小さな地方都市で約3年間ほど過ごしました。何故スペインへ渡ったのか、何故サラマンカなのか、そこで何をしていたのか等々をここに記すのはいささか面倒なので割愛させていただきます。
翌年の1976年の初夏の頃、6月頃だったと記憶していますが、ラ・マンチャ地方をヒッチハイクでぶらぶら旅行することにしました。
ラ・マンチャ地方はセルバンテスの小説『ドン・キホーテ』をベースにしたミュージカル『ラ・マンチャの男』でその名を知られるようになりました。そのラ・マンチャ地方についてですが、簡単に説明すると、首都マドリードの南に位置する古都トレドから南東方面に広がる中央台地のことです。寒暖差が激しく、夏は暑くて冬は寒い地域で、乾燥した赤っぽい大地に樹木は少なく、ちょいと荒涼とした単調な風景が続く地域で、観光スポットは今だに残っている数基の風車ぐらいです。
では、なぜそんなラ・マンチャ地方を旅することを決めたのか?
それは私にとって、このた赤っぽい大地が広がるラ・マンチャ地方の風景こそがスペインの "原風景" のように思えたからです。
初めてスペインに到着した時に見た風景の衝撃は未だに忘れられません。到着した時という表現には語弊があるかもしれません。スペイン上空にいただけで、実際は未だ入国していなかったからです。マドリードのバラハス空港に着陸する30分程前からスペインの大地の様子がちゃんと見えるようになりました。そこで目にしたのは延々と広がる赤っぽい大地。飛行機が高度を下げて着陸状態に入ってもその風景は続きました。その殺伐とした風景にショックを受け「とんでもない所に来てしまった…」と少し後悔してしまった程です。
少年時代の数年間、私は大阪府豊中市に住んでいました。そこは伊丹空港のある街で、いつも自宅の上を飛行機が行き来していました。飛行場の周辺には沢山の人が暮らす街がある、という感覚が強かった私ですから、一国の首都の国際空港の周辺にあるのが赤っぽい大地だけという事に驚き、私にとってそれは "地の果て" 的な風景に見えました。
またスペインの文豪ミゲル・デ・セルバンテスが書いた有名的小説『ドン・キホーテ』の舞台もラ・マンチャ地方です。この地方はカスティーリャ・ラ・マンチャ州の一部なのですが、この"カスティーリャ"という名称がポイントで、同じ名称が付く州として、マドリード州を挟みながら、北に接するカスティーリャ・イ・レオン州があります。つまりこの "カスティーリャ" という名称が付くエリアこそが、話があまりにも長くなるので詳しくは割愛しますが、現代スペインの大きなルーツの一つである "カスティーリャ王国" をルーツとしている地域だからです。そんな訳で、一般的に使われているスペイン語のことをスペイン語では "エスパニョール" と言いますが、 "カステリィャーノ" 、つまりカスティーリャ語とも言います。
説明が長くなりましたが、セルバンテスが書いた『ドン・キホーテ』の舞台であるラ・マンチャ地方は、かつてスペインの中心的な地域だったという事です。そんなスペインの "臍" 的な地域ですが、サグラダ・ファミリアやアルハンブラ宮殿のような有名な名所が無いので、訪れる観光客も少なく、今やマドリードから南部のアンダルシア地方へ列車やバスで移動する時に通過するぐらいです。
因みにスペインには独自の言語や独特の訛りを持つ地域が多くあります。代表的な地域は、地中海に面するカタルーニャ地方、バルセロナなどで使われている言語はカタルーニャ語、ピレネー山脈の西側に位置するバスク地方で使われているのはバスク語、そしてイスラム文化の影響が色濃く残る南部のアンダルシア地方には独自の言語は残っていませんが、かなり独特の訛りがあります。
とりあえず長い前説はここまでとします。
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さて、旅行プランですが、とりあえずラ・マンチャ地方に着いてからは、バックパックを担いでヒッチハイクで回ることにしました。金銭的な理由もありますが、特に行く街も決めず、単にぶらぶらとラ・マンチャ地方のちょっと殺伐とした赤土が続く風景を堪能するのが主眼ですから、ヒッチハイクで巡るのがベストだと考えた訳です。時期としては真夏を避けて、炎天下で長時間止まってくれる車を待つのは難儀ですから、まだ少し涼しい時期の初夏を選ぶことにしました。
当時住んでいたサラマンカからラ・マンチャ地方までヒッチハイクで行くのはかなり大変なので、とりあえずマドリードまでバスで行き、そこからヒッチで古都トレドへ入り、少しトレドを観光して、あとは出たとこ勝負で一週間ほどラ・マンチャ地方をぶらつく。道路脇で親指を立て、親切にも止まってくれた車の行先次第で自分の行先を決める。そして最後はシウダード・レアルという街で旅を切り上げる。こんな感じの旅行プランでした。
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とりあえず街を出る前に市場でその日の昼食・夕食用にパンやハムやチョリソ、チーズや野菜と果物などを買い込み、バックパックに詰め込みます。時代は1976年のスペインです。コンビニなど存在していなかったので、手軽に食材を購入することなど出来ませんでした。またペットボトル入りのミネラルウオーターみたいな便利な飲み物など当時は売っていませんでしたので、水筒に水を入れ、そして小さなプラスチック製のタンクに赤ワインを入れて持ち歩いていました。リットル売りの地元ワインは安かったので、結構飲みましたね。
さて実際にぶらぶら出たとこ勝負のヒッチハイク旅行を始めたのですが、来る日も来る日も見えるのは赤土の広がる大地ばかり。少しの樹木やゆるやかに起伏する丘もありましたが、実に単調な風景の続く旅でした。初夏のジリジリと照りつける日差しが容赦無く襲いかかってくる中、土埃にまみれ、さほど変化のない風景を眺めながら、まるでヴィム・ヴェンダースのロード・ムービー風に小さな街から小さな街へとヒッチハイクでぶらぶらと彷徨っていました。
しかし髪の毛の長い、どこの国から来たのかよく判らん男が道路脇で親指を立てても、なかなか車は止まってくれないものです。一応ルールとして3時間は粘って待つことにしましたが、3時間以上粘っても車が止まらない事もあり、そういう時は仕方なくバスで近場の街まで移動しました。
余談ですが、以前にガリシア地方をヒッチハイクで旅した時と比べて、住民性の違いなのでしょうか、ラ・マンチャでのヒッチハイクは難しかったです。本当になかなか止まってくれませんでした。ガリシア地方を旅した時は結構スムーズにヒッチハイク出来たのですが… その時は冬でしたから、ひょっとしたら寒さに凍えながらヒッチハイクしている姿に哀れを感じ、止まってくれたのかもしれません。
ヒッチハイク途中で街はずれの辺鄙な交差点や道路脇で降ろされて(降りて)、日が暮れ始めて夜になり、その後ヒッチハイクを続けるのが無理だと判断した時は、潔く(?)野宿することにしていました。きままなヒッチハイク旅ですから、そんな時のために寝袋も用意していました。まぁ、好んで野宿するわけではありませんが… また辺鄙な小さな街では、泊まれる施設が無い場合もあり得ると考えていましたから。
その夜は野宿する羽目に陥りました。もう何度か野宿は経験していたので、まずは大きな木か廃屋のようなものを探しました。やはり周りに何も無ければ人間なんとなく落ち着きません。だだっ広い赤土の野原でポツンと一人で寝るのはなんとなくシュールな感じですし、ちょいと寂しいももです。その寂寥感をビジュアル的に表現すると、以下の絵のような感じです。
その夜は鍬などの農機具を収めた納屋みたいな小屋が運良く見つかったので、そこを無断で利用させて頂くことにしました。
小屋の奥で寝袋を広げ、その上で簡単な晩飯の準備を始めました。市場で買ったパンにハムやチョリソを挟んで、サンドイッチにしてかじりつきました。そしてチーズをアテにワインも飲みました。ラ・マンチャ地方のチーズ、ケソ・マンチェゴは羊乳を原料としたチーズで、ちょいしょっぱいのですが、コクがあり実に美味。赤ワインがぐいぐい進むチーズです。
そんな感じでくつろいでいたのですが、突然何かの気配を感じ、壊れたドアの方を見ました。するとそこには痩せてはいるが、シェパードぐらいの大きさの野良犬が一匹いるではありませんか。眼光鋭く、なにやら険しい表情でこちらを覗き込んでいました。
どうやらこの小屋は野良犬の縄張りだったようです。しかしこんな人里離れた所で野良犬に襲われるのは実に難儀だ… さて、どうするべきか?
とりあえず野良犬に今夜の "ショバ代" として、ハムを2〜3枚、ポイっとくれてやりました。
なんじゃ、こんなモンしかないのかよぉ~
野良犬は明らかに落胆した表情でハムを食べました。そしてガックリと肩を落とし、残念無念感を振り撒きながら、とぼとぼ去って行きました。
その食べ方や態度・振る舞いに私は驚き呆れ、すこしばかり腹が立ちました。せっかく貴重なハムをやったのに…
あ~あ、ハムをやって損した!
もっと美味しそうに食べろ! オマエさんはハムを貰っておきながら、謝意を表すこともできんのか! この礼儀作法をわきまえん無礼なラ・マンチャの野良犬めが!
ラ・マンチャの野良犬はあまりハムが好きではないのか?ハムに飽きていたのか?それともハムよりチョリソかチーズが食べたかったのか?
ちょいとした疑問と腹立たしさが残りました。
しかし落ち着いてよくよく考えてみれば、私が立腹するのはお門違いです。野良犬の縄張りに何の断りもなく入り込み、勝手に一夜を過ごそうとした私の方に問題があります。多分私が寝袋を広げていた場所は野良犬の寝床だったのでしょう。優しくも平和的な野良犬は私との無益な争いを避けるため、また旅人への持て成しとして、その場所をすんなりと提供してくれたのでしょう。
多分、野良犬はハムに落胆したのではなく、どこの馬の骨か判らない日本人が疲れた体を休めるための場所を占拠していた事に対して落胆したのでしょう。
私の方こそ礼儀作法をわきまえない無礼な日本人でした。