見出し画像

棲家の遍歴・その5 / 大阪府富田林市 / 間取リックス&住マップ

2010年7月21日に他のサイトへ掲載した原稿を加筆修正しました。==================================

間取リックス:
大阪府富田林市久野喜台の家

富田林市・間取り-01

大阪・南部、金剛ニュータウン内の団地の3階。

1969年の夏から1972年の春まで公団の賃貸住宅に住んでいた。

中学校2年生の2学期から高校1年生の3学期までだ。

父が又しても離婚・再婚したため、豊中市庄内から引越し、父と義母(3人目)、そして私の3人で団地で住み始めたが、翌年の冬に13歳年下の弟が生まれ、4人で住むことになった。

初めての団地生活ということで、最初はなんとなく落ち着かなかった。

トイレは洋式で、これにも慣れるまで少し時間がかかった。

またシャワーの付いている浴室も初めてだった。

朝食後、自分の部屋からバルコニーのガラス戸越しに、前の大通りを眺めていると、中学校に向かって歩いて行く担任の先生の姿をよく見かけた。

映画『ウエスト・サイド物語』のサントラ盤、ジャニス・ジョプリンやサンタナなど、本格的に私が音楽を聴き始めたのは、この4.5帖の部屋から。

住マップ:
大阪府富田林市久野喜台2丁目-3

この地域は開発途中のニュータウンで、真新しいベージュ色の四角い団地が規則的に立ち並ぶだけの、緑の少ない機械的で殺風景な街並みだった。

しかしニュータウンから一歩外に出ると、南河内の古い街並みや畑、雑木林がまだ多く残っていて、ニュータウンの風景とのコントラストが強烈だった。

通っていた市立金剛中学校は自宅から歩いて約2分程度のところで、通学には便利だった。

大通りを挟んで向こう側にスーパー「ジャスコ」(現:イオン)があった。閉店時になると、アントニン・ドヴォルザークの交響曲第9番《新世界より》の第2楽章、“家路” のメロディーがいつも流れていた。

高校は大阪市阿倍野区にあったので、南海高野線・金剛駅から約45分ほどかけて、大阪市内まで通っていた。

教祖祭PL花火芸術(PL教団の花火大会)を初めて見たのも、この団地に住んでいた時。

大阪万博 “EXPO70” を観に行ったのも、この団地に住んでいた時。

いいなと思ったら応援しよう!