棲家の遍歴・その4 / 大阪府豊中市 / 間取リックス&住マップ
2010年7月21日に他のサイトへ掲載した原稿を加筆修正しました。==================================
間取リックス:
大阪府豊中市庄内西町2丁目
住んでいたのは古い木造の平屋。
1963年の夏から1969年の夏までこの家に住んでいた。
小学校3年生の2学期から中学校2年生の1学期までだ。
父が再婚し、義母、そして私と義理の妹の4人で住み始めたが、直ぐにテリア犬が2匹増えて、4人+2匹で住むことになった。
或る日、大雨の後、猫の額ほどの広さの裏庭に、約2メートル近いニシキヘビが出現した。2匹のテリア犬はニシキヘビに戦いを挑み、見事に仕留めた。テリア犬の闘争本能に度肝を抜かれた記憶がある。
私と妹の部屋は風通しが悪く、夏はとても暑かった。
トイレは未だ汲み取り式の和式だった。
古くて、洗面所も無い狭い家だった。しかしこの家で暮らした6年間が、私の人生の中では、一番楽しかった時期だ。
住マップ:
大阪府豊中市庄内西町2丁目
1963年の夏から1969年の夏まで、この辺りに住んでいた。
通っていた市立野田小学校(自宅から北)と自宅を結ぶライン周辺が私の主な行動範囲だった。
この地域は住宅が密集しており、子どもの遊び場といえば、家の前の道路や野田小学校のグラウンドが中心だった。
小学校から帰る途中、隣接していた大阪音楽大学の校舎からクラシックの名曲のサワリの部分や有名な行進曲などがよく聴こえてきた。
いまでもエドワード・エルガーの《威風堂々》などを耳にすると、帰り道の風景や土手の向こう側にあった音大の建物を思い出す。
市立第六中学校(自宅から南)に通うようになると、行動範囲は少し広がった。
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