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1社目が倒産!でも多くの学びを得た話

突然ですが、会社倒産の経験って皆さんありますか?
わたしは最初の会社が2年で倒産して当時は大変でしたが、今思えば多くの学びがありました。今回はわたしのキャリアの中でも“暗黒期”だった時のお話をしたいと思います。
 
わたしが最初に勤めた会社は国内の印刷会社向けに電子製版システムを開発・販売・サポートを手がける会社でした。
 
今はMacなどでDTPが当たり前の時代ですが1990年頃のMacはそこまでの性能には至っておらず、スーパーコンピューターのような筐体のハードウェアで電子製版をやるような時代でした。
 
数百名規模の中小企業でしたが、オフィスがお洒落で某有名化粧品会社のCM撮影に使われたり、カフェ&バーカウンターがあったり、欧米の大学で助教授クラスの技術者を数十人雇って開発していたりと当時のわたしにはとても魅力的な環境でした。
 
入社して半年後くらいからエンジニアとして出張で国内を飛び回る日々を送り、出張先の印刷会社の人達との触れ合いやチームでの仕事にやりがいを感じていた2年目のある日のことでした。
 
「うちの会社やばいかもしれない」
そんな噂が社内に流れ出してからは、あれよあれよという間に色々なことが起こりました。幹部社員の相次ぐ退社、給与の遅配、カラーコピー機など金目の備品がなくなり出す、毎週のように色々なことが起こりました。
 
わたしは相変わらず出張続きの日々でしたが、倒産する数か月前から「お客様に予定通り納品できないと、来月の給与が遅配する」といったプレッシャーを受けながら仕事をしていました。
 
何とか頑張って立て直そう、という気概を持った先輩社員が周囲に多くいたことや仕事や会社自体に相応の愛着があったので、今思えば最後まで踏みとどまれたのだと思います。
 
そういった皆の努力も実らず、あえなく倒産という憂き目に遭うのですが、本当に色々あったのはここからでした。
 
まず組合の発足です。未払い賃金が2~3か月分くらいあったので、それを会社から回収するための組織ができました。わたしはそれに加入して色々な活動をともにしたのですが、これが想像以上でした。
 
最初に取り組んだ活動は、「債権者や心無い社員から会社資産を守る」ことでした。
数週間だったと思いますが5~6班に分かれて交代制で24時間、本社に侵入してPCやカラーコピー機など金目の物品を持って行こうとする人達をバリゲードや監視カメラ、見張りを置いて牽制していました。夜に応援で炊き出しをしてくれる女性社員や社員の家族もいて、大変なのですが妙な一体感がありました。
 
それから街頭演説。わたしは近所に住んでいたので抵抗があり参加しませんでしたが、同僚は組合メンバーとともに近所を練り歩き、最寄り駅でメガホンで演説をするなどしていました。
 
某TV局の取材もありました。夕方に中小企業の取り組みを紹介する45分番組が当時あったのですが、その取材にわたしの上司と同僚が関わっていました。これが過剰演出、いわゆる“やらせ”取材で、上司の方は「Uターンフェアに行って、寂しくブランコに乗っている画が撮りたい」と言われ、同僚の方は「荒んだ感じの画を撮りたいので、部屋を汚くしといてください」と言われ、本当にそんなシーンが放映されていました(笑)。
 
そういった色々なことがある中で、ある時に「破産管財人と交渉すれば会社備品を安く購入することができる」という話を聞き、わたしはPCを数台購入してワープロソフトなどをインストールしたものを売り、未払い賃金の一部を回収するといったこともやりました。
 
最終的には組合活動と個人の活動を通じて未払い賃金はほぼ回収でき、1社目での濃すぎる経験は幕を下ろしました。
 
この経験を通じて、
 
“会社というものはいつ倒産するかわからない。これからは自分のやりたいことを徹底的に追及しよう”
 
というマインドになり、自分が強く働きたいと思う会社や仕事があれば、募集をかけていない、条件を満たしていなくても飛び込もう、というスタンスで動き回り、当時エンジニアが1人もいなかった魅力を感じていた会社に直談判してエンジニア第1号で入れてもらうことができました。
 
そしてこの会社での貴重な経験の数々が今のキャリアへとつながっています。今回はわたしの社会人人生で最初の壁となった体験談を赤裸々に綴ってみました。

皆さんも長い社会人人生の中で色々な濃い体験をされていると思うので、是非教えてください!
 
#キャリア奮闘記 #1社目がまさかの倒産 #倒産から多くの学びを得た話

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