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呑んでるだけじゃ始まらない、本気で酒と向き合う企業があってもいいじゃない

みなさん、こんばんは。

先日は、開設したnoteメディア『君と酒』に素敵なリアクションをいただき
大変感謝カンゲキ雨アラシでございます。

メディアの表側にて『君と酒』について、なぜ立ち上げたかをお話させていただきました。

ただ、自分でもまあまあキレイにまとめてしまった感があり、柄にもないなあと思ってるフシもあるので、自身のnoteにてもっと壮大な野望とか違う視点での裏側みたいなことを書き足したいのが今回のテーマ。

そもそもなんで酒飲んでるんでしたっけ?

ウチ、下町の印刷工場を営んでる実家で毎月ウチの両親と工場の社員さんが定期的にウチの居間で宴会と麻雀やってるのが日常でした。
はじめてのビールの味も、噛みしめるいかくんせいの風味も麻雀も、そのときに気がついたら覚えていたのが10代半ばの頃(時効です!キリッ!)
しかも酒英才教育の我が家は、戦国時代の元服と同じようなタイミングで父親に小料理屋へ連れてかれて「ボチボチ酒ぐらい飲めないと困るから、今日から日本酒飲めるようになっとけ」と言われ見事に日本酒デビュー。

呑み方でマウントしてた若気の至り

誰よりも酒のスタートダッシュが早ったワタシは、高校に入ると合コンの誘いとかも少し出始め皆がはじめてのお酒を薄めのカルピスサワーとかちょっと背伸びする奴はカシオレとか呑んでトイレで撃沈するのを横目に、とりあえずビールからの冷酒呑んで一人大人ぶってモテようとしてたが、最終的には全員の介抱してるだけ・・・マウントしてない・・・

ただ、大学に入って俺酒余裕で呑めますよ-的にイキってると、年長者からのコールという名の攻撃が尋常じゃなく、毎回撃沈。。
20歳くらいで一度酒のキャパシティを覚えることになる。。

酒のない世界にいた時代

大学卒業して、酒を全く飲まない時代があったのですがこのnoteに書いてますので良かったらお読みください。

酒と酒場との再会

4年とちょっとお酒を呑まない時期が続き、IT企業の社員として社会人をスタートしてから少しづつ酒の場に誘われるようになりましたが、まだまだ学生当時の酒との楽しみ方・触れ合いには遠かった気が。。
当時、底辺IT企業のペーペーエンジニア見習いだったのもあるが酒の呑み方も忘れかけていて、酒との関係がよそよそしかった覚えがあります。

そんな中、酒と酒場と「再会」できたタイミングが2度ありました。

ひとつは、中学校からの幼馴染が脱サラして飲食店を開業したタイミング。
ホワイト餃子って知る人ぞ知る餃子ですが、フランスパンみたいな生地でモチモチした食感の肉汁が小籠包みたいに出てくる、アレです。
それの支店(暖簾分けかな)を急に開業してて。2005年の秋頃。

気づいたら一緒に合羽橋へ行って道具揃えたり、江古田まで行って開店準備手伝ってたり何ならオープンしてしばらくは店でウエイターやってましたw

よく呑んでた仲間との再会がそうさせたのか、日常の中に非日常感があったのか仕事終わって江古田行ってウエイターして夜中まで呑んでタクシーで帰って寝不足で仕事行って、って結構な時間繰り返したけどめちゃくちゃ楽しかったなあ。いっぱい呑んだしいろんな出会いもあったし。。
いっぱいフラれてその数分の一くらい出会って。。

その時間は1年くらいだったかな、結局3年半くらいで閉店したのが遠い思い出。。

もうひとつは、ちょうどフリーランス生活が始まった頃とある雀荘に入り浸ってたとき。
この時期が実は浅草との出会い。

もうかれこれ12年くらい前。色々あって思いもよらずフリーランス生活が始まったのですが、当時鼻っ柱の強さに定評があったワタシはクライアントの課長と真っ向からぶつかり合い、『タバコ部屋で物事決める限りは一切残業いたしません』って宣言して毎日が定時帰り。

フリーランスなのに、5時半に仕事終わってやることないのも寂しいなあとモヤモヤしてた頃、mixi(ウオッカがダービー勝った年だから2007年)でとある雀荘のことを見つける。
久しぶりに雀荘でも行くかあ、取り立ててやることのない虚無感から逃げるようにフラフラっと雀荘へ。

クライアント先と自宅の間にあったので、あっという間に足繁く通うようになり。。そうすると近所住まいの仲間が少しづつできて飲みに行くようになるのはもはや必然。浅草橋だったので、良い飲み屋多かったしw

そこで知り合ったメンバーが今思うとだいぶ奇跡で、いまの弊社の株主2人共そこの雀荘で出会った飲み仲間です。

で、当時大学生だったウチの株主役員が先祖から6代浅草という生粋の浅草人で。祭りの青年部もやってるからとにかく酒が強い!
そいつに引っ張られるように気づいたら浅草に入り浸り酒浸りww

浅草花柳界の芸者さんと呑んだり、振り袖さんと呑んだりしたのもまさにその時期でした。三社祭デビューしたのもこの頃。
非日常感満載の浅草文化にはまった瞬間でしょうか。
人生の中心に浅草と酒と麻雀がいた時代です。

実は大学生の頃、すっごく安い日本酒をただ安く酔うためにいっぱい呑んで呑まされてたためか「日本酒嫌い」になってました。
この日本酒嫌いを克服したのが、浅草で振り袖さんと呑んだときでした。
浅草のいい感じの小料理屋さんで呑んだ日本酒は変な匂いもせず、思ったより呑みやすくしかも可愛らしい振り袖さんにお酌されたので克服したという思い出がありました。。

下町のピンチに立ち上がりたい!浅草を盛り上げたいが始まった

そうしてエンジニアの仕事をそこそこに浅草に入り浸る様になったワタシですが、そこで次の道に進むきっかけが。

浅草在住のウチの株主役員の親父さんとふとしたときに一緒に飲むことになったのですが、親父さん地域活動頑張りすぎて区議会議員になったそうで。

2000年代半ばごろの浅草って、今から想像できないくらい訪日観光客も多くないし、観光においてはもっと悪かった1990年代から盛り返していたものの産業・事業においては減少の一途をたどっていたそうだ。
そこに憂いを持っていた親父さんは「台東区とりわけ浅草を観光以外の産業・実業で盛り上げたいんだ!」と強く言われていて、それがワタシの中の下町愛・地域で活動したい欲に着火したのです。

気付けば『それワタシやりたいです!』って言っていて、動き出してました。2008年くらいから最初は地域の仲間作りとして
・浅草街歩きをアメブロで日々投稿。ブログ仲間で界隈の知り合いを増やす
・Twitterをはじめて、浅草界隈のお店の人につぶやいて会いに行く
・地域の個人店や人を紹介するフリーペーパーを作る(これは予算の都合と書き手の不在と実家が倒産したタイミングで断念・・・)

をやってました。
なんか今やってることの原型っぽくないですか?

当時繋がった人が、知り合いの会社に入社したりお店からだんだん横に繋がってチームで仕事したり、お店の店長さんが後々友達の奥さんになってたり『人をつなげる・コミュニティを作る』がここでスタートしてました。


初の投資案件、浅草のバーを盛り上げよう!

日中は大手通信キャリア案件でSEとして常駐業務を行いながら、夕方からはほぼ毎日浅草に通ってつながりづくりの日々。
当時東京に支店を作りたかった知り合いの社長(のちに入社するんだが)にゴリ押しで「茨城と東京ならTX走ってる浅草にしましょう!」と言って浅草の支店を借りてシェア利用してました。

この間フリーランス2年目ながら、住宅ローンで持ち家を江東区に購入&車も1台購入とリーマンショック真っ只中なのになかなかの破天荒芸人ぶり(まあ両親への恩返しなので働けばいいかと思ってましたw)

それでも下町・浅草界隈の盛り上げをやるんだ!という熱量は失われることもなく・・・

そんな中、飲み歩きも増えてきたのでバーに行くことが少しづつ出てきまして。すごく意外だったのですが、浅草って界隈で30軒以上もバーが存在してるし、なんならバー組合があるのです。
確かに100年の老舗は神谷バーだし、知る人ぞ知る高級店”ねも”もある。

でもバーって知らないと入りづらいし、当時まだSNSもそこまで浸透してないので敷居の高さってどうしても悩みの一つでした。
そんな話をバーのマスターと話してると、「浅草BarMAP」ってやつを毎年紙で作ってるんだけどだんだん代わり映えしなくなってきたしHPとか作りたいんだよね-?と。

これだ!!アプリつくろう!

ってふと思って、「Webでバー情報を紹介できて店主の横顔とか素敵なフォトとかのせるアプリ作りましょう!」って口をすべらせましたw

そうです、バー側から一切開発費用など取る気もなくて、アプリができたら
広告収入とか他の地域自治体からのオファーで元取れるかなと。
あと、ちょうどこの時代『セカイカメラ』が出現し世の中にARというものが認識されたのに触発されて、雷門や浅草寺やお店にARクーポンばらまいてそれをアプリでGETしたら広告費取れるぜ!って目論んでました。できなかったけどw

そんなこんなでBarMAPアプリ制作を始めたのが2011年秋頃。奇しくも同年3月に発生した東日本大震災から半年後でした。。訪日観光客が増えていた浅草も例外なく来訪者が半減していました。

バー30軒近くの撮影と取材はほぼほぼワタシ一人で行きました。
3週間ちょっとで30軒回ったと思います。SE業務が終わると浅草のオフィスに行き、その日のアポ予定店舗へおもむろに向かう。
時間があればはしごしたり、取材のお礼も兼ねて再訪したりと。。
さすがに一軒目からバーで飲むのは、大変。。

それと並行して、開発のほうも。。
ワタシはプログラミングできないので、当時知り合ったフリーランスPGさんが格安で引き受けてくれて。。でも数十万は支払ったはず。。
しかもうっかりしたことに、UI/UX担当する人がおらず自分で泣きながら考えるはめに。。。

そんなこんなで2012年4月にWebサービスが完成!!
近隣ホテルやもちろんバーにもサービスフライヤーを配布したり!

そのサービス名が、『COREZO!ASAKUSA』なのです。

結果としては、半年くらいでワタシの稼働がまったくあかなくなり
サービス終了。(フリーランス時代より会社員になったほうが爆裂忙しくなるというレアケース)
狙ってたARクーポンも実現できず、自治体からちょっとしたオファーがあったものの、最終的に実らず。。

バー界隈のつながりは広がってたり、フライヤーからサービス覗いて来てくれたって報告ももらえたし、何より浅草界隈で店主の顔写真がでてるバーサイトなんてなかったので、その後のFacebookでの露出などにも繋がってくれたといってもらえたのは嬉しい報告でした。

その時の投資は50万から100万の間くらいしたんですが、やってよかったとは今でも思ってます。


何かしないと、がたまりにたまり起業へ

2000年代後半に、『浅草』というエリアで地域の人々とつながり・つながりをコミュニティに少しづつしていき、2010年代前半にはWebサービスを自前で開発して盛り上げに一役買い、ここから事業も・・・

というところで、入社した会社からその先をなかなか理解されず、三年近くモヤモヤしたまま2014年の秋に。。
入社したとき10人ちょっとの会社を40人超える会社にしたのと、SEやりながら営業売上ずっと誰にも負けなかったので貢献の自己評価はだいぶ高めでしたw
それでも、自分がやりたいことを実現するにはこの会社ではないだろうと直感的に感じ、『ワタシは浅草・下町界隈を盛り上げることがやりたくてこの街に来たので自分の会社でそれを実現したい』と宣言して2015年4月に起業に至った。

さまざまなトライと小さな失敗の連続

起業して、それこそ色々やり始めました。

ウチの会社サイト、こんな感じで割とインパクト強めなんですが
このデザインの投書箱を街にばらまいてアンケートを取る、とか
伝統工芸・技術に特化した映像制作する、とかトライしました。

当時、宮古島で出会った未経験の若手を雇用したりアートディレクターを業務委託で契約したりとチャレンジにつぐチャレンジを行いましたが、結果は伴わず・・・

一時は、インバウンド景気・需要の高まりから観光客向けインバウンド体験サービスや手荷物預かりサービスに舵を切ろうとしていたこともありました。浅草来たときに『観光以外の商業や事業を盛り上げるんだ!』と言ってたにも関わらず。。

でも、『いや、なんで俺インバウンドの事業やるんだ・・・?そもそもそんなに興味もないのに』と猛烈に思い直しまして。。

すべてを白紙にしました・・・

このときはさすがに頭を真っ白にしてめちゃめちゃ悩みましたね。。。


そして・・・メディアの編集長になってみた

悩んだ結果出た結論は、『原点回帰』

もう一度『COREZO!ASAKUSA』をやろう!

じゃあ、何やる?

当時は、既存にない浅草・下町の情報発信をおこなうポータルサイト的なメディアを立ち上げようとしていました。

6年経ったけど、今って浅草や地域に根づくメディアってどうなってるんだろう・・・調べてみたが特に競合になりそうな有力メディアはなさそう。。

よし!『COREZO!ASAKUSA』をメディアとして再出発させる!

こうして、2018年の年明けに地域メディア『COREZO!ASAKUSA』が誕生。

編集経験の無いワタシが編集長という、未知の領域へ進むに当たりどんな記事を書いてもらって載せたら良いのか・・・

で、出てきたのが  『酒関連』

当時Wantedlyと契約して、ライター募集を行っていたのですがかなりの人数の方とお会いしました。70から80人応募が来て35人ちょっとはお会いしたはず。

オンライン経由で人とつながる喜びを数年ぶりに味わったワタシとしては、
ライターさんも読者さんも地域の人も繋がりをつくりたい!と考えて
なら酒だ、酒だあ!!と酒が絡む企画や酒にまつわるイベント取材などを中心にしてました。

企画例)
■ノープラン浅草地下街イベントレポート(寄り道多数)
■センベロは単位!COREZO流センベロ企画

こんなことを考えて記事になんてしてたおかげで、偶然生まれてしまった企画が、

            『はしご酒24』

日曜の朝6時に鶯谷駅前のディープな居酒屋に飲兵衛たちが集い、そこから
ひたすら酒を飲み上野・浅草の街を巡り、気付けば24時間はしご酒をおこなう狂気の企画。

このはしご酒をきっかけに、COREZO!ASAKUSAのキーワードに『酒』が
増えるようになった気がします。

はしご酒24の盛り上がりと葛藤

2018年4月に開催した『はしご酒24』イベント。最初は延べ15人程度の小さな企画でしたが、「次回いつやるの?」「またやりたい!」って声があがり。。実は正直これっきりでいいかなって最初考えてました。

なぜなら、運営が体力的にハードなのと予算が結構かかる点。
さらに当初はTシャツ作ったり、当日の様子を全部映像に撮ってあとでメディアにも何度か分けてUPして記事もバンバン載せていくんだ!って意気込んでいたが、24時間の映像を切り出して編集していくだけでも膨大な時間がかかるし、映像からの記事への書き起こしがそもそもライターにとって困難・・・あと、ひたすら飲んでるだけなので記事になりにくいw

他にも理由があったのですが、映像も記事もなんと「お蔵入り」・・・

メディアで記事にすらしてないのに、企画内容とネーミングだけ独り歩きしていって次回も開催して!ってなったときはまあプレッシャーでした。。

それでも続けようかなと思ったのは、前回参加者がまた来たいと言ってくれたこと・ほかの人から参加したいと言ってくれたことでコミュニティ形成としては望みがあるのではと感じたからです。
それでも予算と体力を考えると半年に一回かとw

それで、半年ちょっと後の2018年11月に第二回を2019年4月に第三回をと継続して実施しました。
参加人数も15人⇒22人⇒30人と少しづつ増えていき、参加はしてないもののコミュニティアプリ「KOU」に参加登録してくださったメンバーは44人まで増えていました。

さすがにビデオカメラを担いで映像を取り続けるのは断念し、発信の場をTwitterとnoteに切り替えたのも第二回から。
ただ、どうしても呑みの場がメインになってしまうので「発信する」ことが後回しになるのとアルコールの蓄積が判断を鈍らせるのとで運営が本当に難しい・・・

それでも、はしご酒面白かったと言ってくれる参加者が多く出てきたのはもちろん嬉しいし、人と人が繋がっていくさまを実感できたり友人関係が広がってくゆるやかなコミュニティとして存在意義がでてきたんじゃないかと少し手応えを感じてました。

そしてさらに高まりつつあるニーズに答える形で、12時間ならライトでしょってライトに楽しみたい層を意識したハーフバージョンを7月に開催。
延べ40人弱の参加者が楽しんでくださり、タイミングよく集まった夕方の時間帯には1時間半くらいでひとつのお店に25人以上集合しお店にとっても有益な時間に(お店の売上も1時間半で1軒¥50,000近く!)

外側から見ると継続的に開催されてるし参加者も少しづつ増えているし、浅草の店舗にとっても売り上げになってるしと、いいことづくめなイベントじゃないかと見えがちです。

しかし、内部(ワタシと前回から社員としてジョインしたメンバー)的には非常に危機感があって・・・

COREZO!ASAKUSAという地域メディアが主催してるイベントのハズなのだが、メディアとしての発信力が弱いので主体がわからなくなってる。。
さらに、人と人の出会いを作り出すことは結果としてできているのだが、ただ飲んでるだけ感が強まってしまい運営がダラダラして広く目が行き届かなくなってる。。
さらに予算面もサービス精神旺盛になってしまいだいぶ逼迫していて・・・

メディアの成長とはしご酒を中心にしたコミュニティづくりをメディア事業の中心に掲げ、はしご酒イベントは10年続くイベントにしたい!とまで考えていました。

しかしこのままだと次回やったら終了になりそうだ・・・という状況での葛藤が続きました。


会社として『酒』と向き合う重要さと新たなメディアの立ち上げ

あれ、7,000文字以上書いてようやく本題のタイトルに。。。まあいいか。。

会社としてメディア・酒イベントを運営してるのは正味1年数ヶ月なのですが、このnoteで書いてる通り過去からするとその前身から考えるともはや7,8年あがきもがいているのが実体でした。

自分が生まれ育った下町や縁あって関わるようになった浅草界隈をもっと盛り上げたい、という火種は10年以上前から消えることなくワタシの中に持ってるし会社を立ち上げた思いもそこから来ている。

メンバーがジョインし頼れる仲間も増えてきて、リスタートするならこのタイミングしかないのでは!と思って動き出したのがつい先月上旬のこと。

最近、Twitterのアカウント名を変更しました。

「sake_first」=「酒ファースト」という言葉ですが、この言葉はツイッターしてたときにフォロワーのかいさん(@Kai_MSYK)がポロッと「御社の経営理念は酒ファーストでいいのでは」言ったのを見て、これまでのさまざまな活動を振り返りながら”たしかにぴったりだな”と思ったのが使い始めたきっかけです。

10月になったらコーポレートサイトリニューアルするので、新たなる経営理念についてはそこでお披露目しますが、その理念をもとにメディアを使って啓蒙していきたい。はしご酒のようなイベントもその理念が伝わる形でしかも参加にかかわるすべての関係者(我々も含めて)が楽しくいられること、会社が運営するので事業性につながること、すべてを満たすために始めたのがこの『君と酒』メディア立ち上げです。

はしご酒24イベントは、24時間はしごして呑み続けるので「すごい飲兵衛しか集まらないイベントでは?」と懸念を持たれることも多々あるのですが、実はそれは違っていて、ワタシとしては「酒」という媒介となるツールを使っていろんな属性の人が集まるきっかけを作りたいのです。

昨今noteでも他のメディアでもノンアルの需要や機運が高まってきており、ワタシ自身呑兵衛イメージが定着し(まあ実際飲んでますが)ておりますが、別にノンアル嫌じゃないし「はしご酒24」ノンアルな方も大歓迎なのです。

このあたりのことも、発信するもととなるメディアが別け隔てなく酒を文化として捉えて伝えていけば、「君と酒」が主催するイベントだから、感性豊かな面白い人達が集まる、お酒飲んでウェイウェイ言うだけじゃない価値あるイベントなんだろうなって思っていただけるはずと考えてます。

現在スタートした君と酒では、編集部メンバー2名(@f_y_takahashi、@_winking)とクリエイティブ担当(@tama5miki※実際には来月から)とワタシとで運営してます。

またはしご酒イベントに関しては、詳細をまとめて近く告知を出しますがイベント参加者以外でも関わってくれるコミュニティメンバーを募集していく方針もあります。

アクションの裏側にある思いをきちんと伝えるために、メディアという世界を作ってそこでイメージを想起し、オフラインでのイベントに参加してもらう。

そんな形作りをやっていけたらというのが、ワタシの今の思いです。

『君と酒』、どうぞご贔屓に。ありがとうございました。





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