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ヴァンフォーレ甲府外国人列伝Part1

皆さんはヴァンフォーレ甲府に対してどんなイメージを持ちますか??

最近ファン、サポーターになった方だと天皇杯優勝、そしてACLベスト16が記憶に新しいかと思います。

少しJリーグへの造詣が深い方になってくると、伊東純也、佐々木翔、稲垣祥などを代表とする選手たちを発掘した育成クラブとしての印象や、
J1時代にドン引きサッカーと揶揄された堅守のイメージ(今は見る影もありませんが、、)があるかもしれません。

勿論そういった側面もあります。
ただ、忘れてはいけないのが、そう!

外国人ガチャ

今回は甲府の歴史を彩った数々の外国籍選手を紹介し、筆者の個人的寸評を添えてお届けします。
(記憶が曖昧な部分もあるかと思うので、違ってたら訂正してください🙏)

複数年在籍した選手は、1年目のシーズンに詳細を記し、それ以降のシーズンは名前のみの記載とさせて頂きます。

素人が偉そうに評価なんて付けるのも如何なものかとも考えましたが、あくまでエンタメ的なものですので、そうじゃないだろ!と思った方は優しく文句を言ってください。

評価はS、A、B、C、Dの5段階評価。
出場時間が3試合に満たない選手は-として評価対象外と勝手ながらさせていただきます。

筆者の記憶の都合上、本格的にサポーターになった2009年からシーズンごとに分けてお送りします。

急に飛んだらごめんなさい😇

記念すべき第1回目は2009シーズンに在籍した選手たちをお届けします!

2009シーズン

ダニエル

筆者個人的評価:A
ブラジルのサンエタカーノからレンタル移籍で加入。1年目からレギュラーとして活躍し、44試合に出場。主に秋本や山本、津田らとコンビを組み、甲府の守備を支えた。
彼の武器はなんと言っても強靭なフィジカルを生かしたクリアリング。ハーフウェーラインまで当たり前に届くヘディングでのガチクリアこそ彼の代名詞で、タッチラインに少し触って出せばいいようなボールをマン振りしてメインスタンドの方までクリアしていた記憶がある。
2年目は怪我で離脱する時期こそあったものの、守備の要としてJ1昇格に貢献。J2時代の無双感はなかったものの、J1でも持ち前の対人の強さとクリアリングでストロングを発揮し、翌年2011シーズンオフに名古屋グランパスへとステップアップしていった。名古屋ではACLに出場するなど2シーズンにわたって活躍し、一定の出場機会を得ていた。
その後、ブラジルに戻ったのち、大分トリニータに加入。J3降格が決定するも漢気残留をし、1年でのJ2復帰に貢献した。大分在籍時代に肺がんが見つかっていたが、それを公表せずにプレーを続けていた。
引退後、帰国したブラジルで癌が悪化し、36歳という若さでこの世を去ってしまった。
彼の訃報を受けて、2019シーズンの開幕戦、アウェイ大宮戦ではダニエルに哀悼の意を示し、彼のチャントとNOメガホンで彼の早すぎる別れを惜しんだ。
YouTubeに動画があったので、ぜひ時間がある方は見て欲しい。


マラニョン

筆者個人的評価:A
2008シーズン途中からの加入だが、筆者が2008シーズンは2試合ほどしか観戦しておらず、当時の記憶もほとんどないため、例外的に2009シーズンに記載。
彼の登録名は自分が生まれ育ったブラジルの州、マラニョン州から来ており、以後も日本ではマラニョンで登録されている。
2008シーズンは夏場の途中加入ながら、同じく夏加入のサーレスとのコンビネーションでゴールを量産し、翌シーズンからは完全移籍に移行。11番を背負い、エースとしてチームトップとなる19ゴールをあげ、甲府の攻撃を牽引した。続く2010シーズンもエースとしての活躍が期待されていたが、夏以降に調子を上げてきたハーフナーマイクにレギュラーの座を奪われ、途中出場でのプレーが増えた。それでも、コンサドーレ札幌戦でのハットトリックなど随所で活躍を見せ、昇格に貢献した。2011シーズンは、2007シーズン振りのJ1の舞台で守備にテコ入れ()をすべく、新たに獲得したフジネイ(後述)を登録した関係で、当時3名までだった枠から溢れてしまい、東京ヴェルディへとレンタル移籍している。ヴェルディでもコンスタントに得点をあげると翌年は韓国の蔚山現代FCへとレンタル移籍。ACLで得点をあげるなどしたが、本年限りで退団した。
その後Kリーグやイランでのプレーを経験した後、2015年夏に甲府に再加入したが、かつての輝きは取り戻せず、僅か2試合の出場で退団した。
甲府では多くのスーパーゴールでサポを虜にしてきたが、その反面簡単なシュートの方が決めれないという特徴もあり、
「なんでそれ決めれてそれ決めれないんだよ!」
というシーンも散見。決定機を外した後の悲壮感溢れる顔を見ると
「まあ普段決めてくれるし、そういう時もあるよな。」
と、妙に納得させてしまうのが彼のキャラクターであり、武器でもあったのかもしれない。


金信泳

筆者個人的評価:B
2009シーズンにサガン鳥栖から加入したコリアンストライカー。恵まれた体格を生かしたボールキープやパンチ力のあるシュートを得意としており、特に加入した2009シーズンは自身キャリアハイとなる14ゴールを記録。器用さはなかったものの、貪欲にゴールを狙う姿勢に心を打たれたサポも少なくない。利き足は右足だが、左足でのゴールが多く、本人も左足の方が得意と認めている。また、夏場になると途端に得点が取れなくなることが特徴で、呪われたかのようにゴールに入らないことから金信泳キビシンヨンとサポーターから野次られていたことも懐かしい()
翌2010シーズンはパウリーニョやハーフナーマイクら厚い攻撃陣の後塵を排し、主に途中出場からのプレーが多くなった他、ゴール数も僅か1ゴールと振るわなかった。
それでも、昇格したチームに残り、懸命にトレーニングを続けるも、出場機会をほとんど得られず、夏に金珍圭と入れ替わる形で愛媛FCにレンタル移籍した。韓国でプレーした後、AC長野パルセイロに移籍したが、出場がないまま退団。
ひっそりと現役を引退している。

ガウボン

筆者的個人評価:C
2009シーズン夏に昇格を目指すための攻撃の切り札として獲得。かつてサンフレッチェ広島でもプレーし、佐藤寿人や「マエシュンを諦めない」でお馴染み、前田俊介らと2トップあるいはスリートップを形成し、J1の舞台で9得点をあげた実績もあり、期待されたが、加入直後に怪我が発覚。シーズン途中に2トップへとヴァンフォーレが移行したことも影響して途中出場が多かった。
長身を生かしたヘディングや地味に器用な足元など、可能性は随所に感じさせてくれたが10試合の出場で2ゴールに留まり、そのまま退団。
雨のフリエ戦でのゴールは忘れないよ。

マルセロラバルテ

筆者個人的評価:−
2009シーズンの5月まで在籍していたようだが、全く記憶にない。wikiで調べるとブラジルの名門インテルナシオナル、ポルトガル屈指のビッククラブ、スポルティングと名だたるクラブでプレーした記録が残っており、若い時は相当期待されていた選手なのかもしれない。
甲府に加入したそういう選手は大体活躍しないのが相場である。出場がないまま退団。

ブルーノ

筆者的個人評価:−
ギリ記憶に残っている気もしなくもないが、FWということ以外はどんな選手か全く思い出せないため評価はつけていない。
ブエノやカイオらの出身校である千葉国際高校出身であり、日本語は多少話せたようだ。
ガイナーレ鳥取でもその後プレーしているが僅か2試合、1シーズンで退団している。

ウェベルトン

筆者的個人評価:−
記憶にすらなくてもはや誰やねんのレベル。
この選手のような選手が今後も増えていく。甲府がブラジル人ガチャと揶揄される所以である。
プロC契約で夏場での途中加入だったようだが、甲府での出場は天皇杯清水戦のみ。
なぜか会場がとりぎんバードスタジアムだった。意味がわからない。

Part2の投稿は未定です😇
読んでくれる人が多かったらやろうかな。

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